2-7 桜舞う春の日に将来を誓う
「私が悪い事をしているのは分かっています」
僕ら三人に囲まれて、セイゴは申し訳なさそうに俯いている。
「勝手に物をすり替えるのは、人として間違っていると気がついていました。でも——」
そこでガバッと顔を上げて、潤んだ瞳で僕を見た。
「でも、好きな人の持ち物が欲しい気持ちは分かって欲しいの!」
こいつ、絶対に反省してないよな。
芝居がかった仕草もそうだが、三人の中から、僕を選んで訴えかけてきたのもワザとだろう。
そんなに僕はチョロそうに見えますかね?
「なるべく迷惑にならないように新品と交換したの。あいにくフグは手に入らなかったから、代わりに小振りのマグロを用意しました。それでもダメなの?」
「……いや、それマグロじゃなくてブリですよ」
僕が間違いを指摘すると、
「そうなのか? 詳しいな、お前」
山本が感心したような声を出すから呆れてしまう。
「俺は魚の種類を覚えるのも苦手なんだ!」
まあ釣るだけなら詳しい必要はないんだろうけど。
「山本くんは子供の頃からそういう人なんですよ」
苦笑しながらセイゴが言う。
——子供の頃から?
思いがけない発言に、僕らの視線がセイゴに集まる。
「……実はあたし、山本くんの幼なじみで」
そう言ってセイゴは少し恥ずかしそうに身をくねらせた。
「なんだと!」
「そこ、山本さんが驚くトコなの?」
「自慢じゃないが、俺は人の顔を覚えるのがすごく苦手なんだ!」
僕らの会話を無視して、セイゴは再び目に涙を浮かべながら勝手に話を続けている。
「彼とは幼稚園から小学校、中学校とクラスもずっと一緒だったの。もう運命としか思えないのに、山本くんは他の女と付き合っちゃうんですよ! 結婚しようって約束したのに!」
「えーと、その約束はいつの話なんでしょう?」
「幼稚園の卒園式よ! 桜が舞う春の日に、あたしたちは将来を誓い合ったの!」
「それは忘れていても仕方ないと思いますが?」
「そんなの、あたしだって分かってるわよ! それでも山本くんが他の女と付き合うのはイヤなの! あたし以外の女と思い出を作っていくなんて耐えられない! あんな女と付きあった記憶なんて全部なくなっちゃえばいいのに!」
セイゴは座っていた椅子から跳ね上がるように立ち上がり、目の前の机に飛び乗った。
「そしたらね、あたし分かったの! 山本くんにはそんな思い出は必要ないって!」
そこまでいってから、彼女は髪を振り乱すように大きく首を横に振る。
「ううん、あたし以外の全部がいらない! だから山本くんの世界を全部まっさらな新品に取り換えて、あたしたちは新しい世界のアダムとイブになるの!」
彼女はそう宣言してニッコリと微笑み、山本を見下ろした。
山本は身の周りの物が無くなる事を『俺の物語が消えていく』と語っていたが、まさしくそれは正しかった。
セイゴは山本が持つ全ての物語を抹消して、自分だけのストーリーを刻み込もうとしていたのだ。
とんでもない告白を聞いた山本は、肩を落として呆然とした表情で呟く。
「……なんて事だ。俺の事をそこまで思ってくれていた女の子がいたなんて」
「ええっ、そっち方面で感動していたの?」
「当たり前だ! 他に何を思えと? 俺の全てを消し去っても俺の事が好きだと言ってくれている。俺の人間性など関係なく、存在自体が愛されている! 感動せずにいられようか!」
「そうよ、あなたを愛しているの!」
大粒の涙を流しながら、セイゴが叫ぶ。
山本も負けじとばかりの大声を出す。
「すまない、俺は何も覚えていない! 愛されていたのか!」
彼の頬を涙がハラハラと流れ落ちる。
大粒の涙を流したままクーラーボックスのブリを引き抜くと、セイゴが立っている机の隣に飛び乗った。
「俺は《俺の物語》が消える事に怯えていたんだ。自分しか見えていなかった。君の気持ちに、いま気がついた! いや、思い出したと言っておこう!」
そしてセイゴの前で片膝をつき、花束でも差し出すようにブリを掲げる。
「君が欲しい! 俺はこのマグロに賭けて永遠の愛を誓おう!」
彼が今にも歌い出しそうな気取ったポーズで愛を宣言する。
セイゴは掌でグイッと涙をぬぐって、弾けるような満面の笑顔を見せた。
「まあ、なんて素敵なんでしょう!」
——ブリに賭けた永遠の愛って……すぐに腐るぞ。
唖然としながら、とりとめのない事を考えていたら、少し離れた席に座って成り行きを見守っていた先輩が面倒くさそうに口を開いた。
「盛り上がっている所を悪いんだが、少し質問をしてもいいかな?」
教室に入ってからずっと、彼女は眠そうな顔で椅子に座り、頬杖を突いて黙っていたから《この二人と関わり合いになりたくない》のだと思ってた。
意外にも、まだ生徒会長としての使命感は残っていたらしい。
「制服とか体操着とか、そのブリもそうなんだが、新品で買うにはかなりの金額がかかるよな?」
確かにそこは最初から疑問だった。
いったい、どこからそんなお金が出ているのか。
「山本くんの財布をすり替えた時、キャッシュカードだけは新品が作れなくて」
そこまで言って、セイゴは恥ずかしそうに身をくねらせる。
「ただ持っているだけってのも悪いし、せっかくだからまっさらな世界のために使わせてもらったの。うふっ、山本くんてお金持ちね」
「何だとぉ!」
つまり山本が無資格でフグを売って儲けた金を、セイゴが勝手に使い込んでいたと言うわけだ。
「お、俺の鮎竿が、全国大会の夢が……」
がっくりと膝を折った山本が、バランスを崩して机ごとひっくり返る。
「ああっ、山本くん、どうしたの? しっかりして!」
慌てて手を伸ばしたセイゴも、山本に引っ張られて机の下へ落ちていく。
「こういうのを《悪銭、身に付かず》って言うんですかね?」
眠そうな顔で座ったままの先輩に聞いたら、彼女はゆっくりと首を横に振った。
「ずいぶん色んな物を買っているからな。客観的に見れば山本が得をしているのは確かだよ」
先輩は軽く肩をすくめて見せると、スカートのポケットからスマホを取り出した。
「ああ、私だ。すまんが至急、執行部全員に招集をかけてくれ。不祥事が起こった。それから職員室に生活指導部の先生がいるか確認を——いや、まだ声はかけるな。確認だけでいい」
通話の相手は執行部の誰かだろう。
校内に猛毒を持った魚が持ち込まれている以上、穏便に済ませられる話じゃない。
この先に茶道部の出る幕はない。
山本とセイゴを生徒会室へ連行して、待ちかまえていた執行部の人に引き渡しを終える。
僕の仕事はこれで終わりだ。
と思っていたら、先輩が僕の肩をポンと叩いた。
「行くぞ、ポチ」
思わず、キョトンとして彼女の顔を見返した。
いったい先輩はドコヘ行くつもりなのか。
「もう一人、身柄を押えなきゃならない奴がいるだろう?」
こんな事も分からんのか? と言いたげな表情で彼女は言う。
「文化祭でフグの調理を担当していたフッコだよ」