先輩と絢香 5
大失態だ。
人払いの済んだ生徒会室で、絢香は頭を抱えている。
昨日はどうかしていたとしか思えない。
自分がここまで自制の効かない人間だったとは。
絢香にだってプライドはある。
後輩の男を奪い取ったなんて汚名は勘弁して欲しい。
二個下の一年生だぞ。
この先どうなるのか分からないのに。
絢香には、本当に好きなのかさえ自信がないのだ。
二人の仲が良いのが羨ましいだけかもしれないし、あいつが好きだから《あいつの好きな男も好き》という程度の話なのかもしれない。
恋愛経験がほとんど皆無な絢香には、そこら辺の判断がうまくつかない。
だって、彼があいつと一緒にいても嫉妬したりしないし。
でも一緒にいたいし、触りたいし触って欲しい。
こういうのを恋愛っていうのか、よく分からない。
そもそも絢香は後輩に「ポチくんにチョコレートあげていい?」と聞くつもりだった。
仲を邪魔したくなかったので、いちおう許可を取ってから、と思ったのだ。
なのに、いざ言おうとしたら急に怖くなった。
簡単に言えると思っていた言葉は、口にしようとした瞬間から喋れなくなってしまった。
それでもなんとか言おうと思って四苦八苦してたら、存在しないクラスメイトへの恋愛相談になっていた。
どうしてそうなったのか、絢香にもさっぱり分からない。
もう収拾がつかなくなって酔ったフリをしたら、何をしてるのかさえ分からないくらいに混乱したので、寝たフリをして誤魔化した。
……絶対に誤魔化せてないけど
応接セットのソファにもたれて、絢香はだいぶ投げやりな気分になる。
仕方ないから《何も覚えていない》事にしてしまった。
無理があるのは分かっているが、仕方あるまい。
昨日、言うつもりの無かった言葉をハッキリと口にした。
ここまで歯止めが効かなくなるなんて自分でもビックリだ。
あそこのお茶、何か変なものが入ってるんじゃないのか?
ポチくんのフェロモンとか。
あいつも色々おかしいし、むしろそうであって欲しい気さえする。
ずっと避けていたせいか、どうにも色恋の話は苦手だ。
興味が無かったワケじゃないんだけどさ。
絢香にだって、過去に《ちょっといいな》と思っていた男はいた。
でも自分がモテると気がついた途端にクズになった。
この3年間、そんなヤツをいっぱい見てきた。
そんな奴らのオモチャになるのはゴメンだ。
だから意識的に色恋を遠ざけていた結果が、このザマだ。
あたし、あいつとは卒業後も友達でいたいのに。
……だからって、シェアはないよな。
クズが嫌いで恋愛から遠ざかっていたのに。
あたしがクズ作ってどうするんだ。
おかげで後輩から呼び出しをくらってしまった。
あいつがあたしを呼び出すなんて、少し前なら想像もしなかったのに。
基本、執行部では用のある方が足を運ぶのがルールである。
問題ありと判断された場合にだけ呼び出しをするのだが。
やって来たら、とっくに人払いまで済んでいる。
もう説教する気満々だ。
やっぱ怒っているんだろうなぁ。
謝ったら許してくれるかなぁ。
□
少しして後輩が生徒会室に入ってきた。
黙って静かにドアを閉めると切れ長の目が睨むように絢香を捉える。
怖い。
マジで怖いんだけど。
長い黒髪をなびかせ、感情の読み取れない顔で、足音もさせずに歩いてくる。
陰でクールビューティーと呼ばれるだけのことはある。
整った顔が無表情で迫ってくると、ものすごい威圧感だ。
しかも、あの胸が——。
デカすぎて怖い。
説教される身になって初めて知る恐ろしさだ。
何だ、アレ?
凶器みたいな存在感なんだけど?
後輩はゆっくりと上品な仕草で絢香の前に座ると、物憂げに髪をかきあげる。
やばい。こいつ、やっぱ本気だ。
珍しくお茶も出さないし、無駄口もない。
居場所を無くして縮こまる絢香を前に、後輩は穏やかな声で語り始める。
「呼び出してすいません。二人きりで話せる場所がここしか思いつかなくて。さすがに絢香さんの家にお邪魔するワケにもいきませんので」
そう言って絢香にペコリと頭を下げた。
……あれ?
怒ってないのかな?
このまま、うやむやにさせてくれるのだろうか。
少しホッとして絢香も素直に頭を下げる。
「こっちこそ、昨日は色々ゴメン」
「話というのは、その昨日の件なのですか」
一瞬、心臓が止まるかと思った。
来た! 油断させて、いきなり来たよ!
もう逃げていいかな。
視界の端で窓を見るが閉まっているし、ここは二階だ。
下はコンクリートで飛び降りて無事な保証もない。
静かにパニックになっている絢香を、後輩は観察でもするように眺めていた。
やがて意を決したように身を乗り出して話し始める。
「あの、絢香さん。あれから一日考えたのですが」
そう言うと同時に、彼女は突然ボロボロと泣き出した。
「……え? ど、どうしたの?」
後輩は身を乗り出した姿勢のまま絢香を見つめ、滂沱の涙を流している。
何が起こっているのかと思えば、後輩は手の甲で涙を拭い、苦悶の表情で言葉を絞り出す。
「わ、私は器の小さい女なんです。ポチをシェアするのは、とても耐えられそうにありません。私には無理です」
「……そ、そうなんだ」
まさかの内容にビックリして言葉が出てこない。
絢香自身、どうかと思う発言だったのに、後輩は丸一日真面目に考えてくれたらしい。
正直なところ、ちょっと感動してしまった。
こいつが、あたしとの事をどれだけ大事に思っているのか伝わってくる。
窓から逃げ出そうとした事が恥ずかしく思えてくる。
やがて泣き止んだ後輩は、胸のポケットから一枚のカードを取り出した。
「その代わりと言っては何ですが、これを受け取っていただければ」
パウチ加工された手作りのカードで、可愛らしい犬と湯呑みのイラストが書いてあり、《001》と番号が振られている。
「……何コレ? 部員証みたいなモノ?」
そういうことにしてもいいのですが、と言って彼女は立ち上がる。
それだけでビクッと緊張してしまうのだが、後輩は全く気にせずお茶の用意をし始めた。
「ポチと付き合う優先券です」
「はい?」
平然とした顔で、とんでもない事を言い出した。
どうやら整理券みたいな物らしいが、これが無いと彼と付き合えないのか?
改めて手元のカードを確認するが、間違いなく《001》と書いてある。
怪訝な顔をする絢香に気づき、後輩はニッコリと微笑んだ。
「絢香さんが1番で、私が2番と言うことで」
「へ? 何であんたが2番なの? 1番じゃなくていいの?」
意外な提案に驚くが、後輩はコーヒーを淹れながら振り向きもせずに答える。
「高校生のカップルなんて、そう長く続くものでもありません。絢香さんは卒業ですから、会う時間も取れなくなりますので尚更です。それに一度でも彼女ができたなら、次だって作りやすくなりますから。私は茶道部でポチとゆっくり仲を深めます」
この女は立板に水でシレッと言いやがった。
あたしの聞き間違えてなかったら、今こいつは《女性慣れしてないポチくんのために生贄になれ》と言ったんだよな?
ものすごく打算にまみれた発言に目眩がする。
さっきまで泣いていた殊勝さとか純情さはどこへ行った?
それであたしが別れなかったらどうするつもりだ?
さすがに呆れ返っていたら、後輩がコーヒーカップを手に戻ってきた。
「どうぞ。インスタトですが」
差し出されたコーヒーカップに口を付ける。
あいかわらず執行部のコーヒーは不味い。
三年間、一度も変わることのなかった不味さだが、いつかコレを懐かしく思う日がくるのだろうか。
——ポチくんの淹れたお茶が飲みたいなぁ。
「ねえ、この話、ポチくんの意向はどうなってるの?」
コーヒーカップを両手で抱えながら上目遣いで睨む。
さすがにこいつの暴走だろうが、彼がこんな二股じみたやり方を了承しているならガッカリだ。
もちろん絢香の杞憂であったが。
「集まったチョコレートの中にいくつか本気を感じさせる物が入っていました。抜け駆けされる前に私たちで仕切ってしまいましょう」
胸を張って堂々と他人の恋路を邪魔する宣言をした。
ちょっと絢香には真似できそうもない発想だ。
さっきとは全く別の意味で感動してしまう。
「ちなみに3番はみゆきが持ってます」
「へ? 早瀬ってポチくん好きなの?」
「いえ、ポチにあまり興味は無いようですが、シェアの話は興味津々でしたので」
「あ、ああ。……そうなんだ」
また意外な名前が出て、意味不明な事を言うから混乱する。
クズと付き合うくらいなら好きな男をシェアしたい、と言うのなら理解できる。
でも、好きでもない男をわざわざシェアしたいか?
あの容姿と性格なら男なんて引く手数多だろうに、何を考えているのやら。
もう少し早瀬みゆきと親交を持っておくべきだったろうか。
いまさらな事を考え込んでいたら、後輩の声で現実に引き戻される。
「それで相談なのですが、4番は宮本さんあたりにすればいいのでしょうか?」
「はい? ……み、宮本?」
意外を通り越してぶっ飛んだ名前が出て来た。
いや、確かにあいつ男いないけどさ。
「えっと、宮本はポチくん気に入ってるけど、そこまでじゃないんじゃないかなぁ」
「しかし、昨日のチョコレートの中ではひときわ巨大でした。大きさだけが愛情の証とは言いませんが、色も付いていましたし……」
あいつの巨大チョコレートが本命チョコだとしたら、さすがに怖い。
あの色合いが愛情表現?
シュールを通り越してホラーだったぞ。
「あとですね。この一年観察した結果、ポチは面倒くさい女性が好きみたいですし、宮本さんは彼の好みに合うかと」
絢香は思わず、楽しそうに語っている後輩の姿をマジマジと見つめる。
……まあ確かにその通りなんだろうが。
かなり納得する発言だけど、全く羨ましい気がしない。
「見た目で言えば、ポチは小柄で明るい女性が好きですね。私より絢香さんの方が好みですよ」
「それをあたしに言ってどうするのよ。そういうの紹介すればいいわけ?」
文句を付けるように言ったら、彼女はコクリと頷いてみせる。
呆れ返っていたら、後輩は自分の胸ポケットから《002》と書かれたカードを取り出す。
「これ、10枚ほど作ったので、余らせるのはもったいない気がするんです」
「ねえ、ポチくんは何人の女の子と付き合えばいいの? 女を取っ替え引っ替えするようなクズがあんたの好みなの?」
「いえ、そういうわけでもないのですが……」
「まずポチくんの気持ちを確かめようよ!」
「そんな怖いこと、できるワケないじゃないですか!」
「これ以上ややこしくしてどうすんの! 早瀬にあげたのも回収しなさい!」
言いながら後輩が持っているカードを指で奪い取った。
あっ、と短く声を上げて残念そうな顔をしているが、返してやるつもりはない。
ポチくんの気持ちを確かめれば、それだけで終わる話なのに。
——ま、臆病なのはあたしも一緒か。
もっと言えば卑怯で姑息なのもだ。
見るからにガッカリしている彼女の手に、絢香はそっと《001》のカードを手渡す。
「……あの、これは?」
「ん、交換。あんたが1番。あたしが2番て事で」
笑顔で言うと、信じられない物を見るような目で見返してくる。
こっちの顔色を窺いながら、恐る恐ると言った調子で聞く。
「……いいんですか?」
「アハハ、気にしないでよ。あたし、一番ってガラじゃないし、いいって事さ!」
精一杯明るく言ったつもりだった。
なのに後輩は両手で顔を覆って、また泣き出した。
「いや、そこまで泣くほどの事じゃないでしょ?」
慌てて言うが、後輩は激しく被りを振った。
「すいません、絢香さん。私は本当に器の狭い人間です。本当は2番じゃ嫌だったんです。ポチが他の誰かと付き合うなんて考えただけで悲しくなります。それが絢香さんでも譲りたくないんです。そんな自分が醜く思えて。せっかく絢香さんはシェアしようって言ってくれたのに、それでさえ——」
ごく普通の事だと思うんだけどな。
自分を責めるような話じゃないのに、ずいぶんと無理させてしまっていた。
絢香としては《ポチくんが好き》というより、《こいつと一緒にいるポチくんが好き》な気もするし。
こっちの気持ちが曖昧なのが、こいつを困らせる原因になっている。
手に残ったカードを胸のポケットにしまいながら絢香は苦笑する。
こいつはどんな気持ちでこんなカードを作ったのやら。
あの時、言葉が出なかった理由も今なら分かる。
たぶん、あたしはポチくんに振られる事よりも、こいつに嫌われる方が怖かったんだ。
精一杯手を伸ばして、応接セットのテーブル越しに後輩の頭を抱きかかえる。
「ごめんね。辛かったね」
「あ、絢香さんは悪くないです。私が狭量なのが原因ですから」
後輩は絢香の腕の中で号泣しながら謝り続けている。
「そんな謝んないでよ。私は平気だから」
「でも、でも——」
今日は何を言っても、こいつは謝り続けるのだろう。
本当にこいつには悪い事をしたと思う。
絢香としては打算まみれの発言なので、こんなに謝られても困るだけなのだ。
だって、こいつの言う通り、高校生のカップルって長続きしないし。
大学行ったら、いい男が見つかるかもしれないじゃん?
ポチくん、まだ一年生だし。
これからどんな人間になるかわかんないし。
ポチくんがいろんな経験をしても今のままだったら、本気でお付き合いしたいけど。
こいつと別れてなかったら、またシェアを持ちかけるのだってありなんだし。
胸にしまった《002》のカードは絶対に捨てない。
もう一生大事にする。
このカードはポチくんへの権利と、こいつからあたしへの思いが込められたカードなんだから。
読みに来てくれてありがとうございます。
いいねを付けてくれた方に改めて感謝を。
今回の更新で13章終了です。
勝手ながら14章開始まで、しばらく時間をいただきたいと思います。
今後も精進していきますので、またよろしくお願いいたします。