先輩とみゆき 9
バレンタインってこんなんだったっけ?
学校からの帰路、みゆきは足を引きずるようにして歩く。
妙に気疲れする1日だった。
別に部活の練習で疲れているわけではなく。
ネットリとして絡みつくような男子の視線が鬱陶しかっただけだ。
去年はこんなじゃなかった気がするのに。
一人夜道を歩きながら、みゆきは長いため息をつく。
それとも、今まで自分が気づいていなかっただけなのだろうか。
また彼氏を作ったら、こういう面倒ごとも減るのだろうか。
大会やトレーニングの邪魔になりそうだからいらないけど。
小さな面倒ごとを避けるために大きな面倒を抱え込むハメになるのはコリゴリだ。
うんざりしながら歩いていたら、目の先に友人の姿が見えた。
肩を落として歩いているその姿を見ていたら、少しだけ気分が明るくなる。
何しろ今日はバレンタインデーだ。
御幸は小走りで友人に追いつき、背後から肩を叩く。
何気ない行為だったのに、彼女はビクッとして怯えたように振り返る。
「うわっ、……ああ、みゆきか。あまり驚かせないでくれ」
案の定で何かやらかしたらしい。
これは、ぜひ話を聞かないと。
友人の腕にするりと自分の腕を絡ませて、笑顔を見せる。
「どうしたの? バレンタイン、どうだった?」
「いや、どうも考えがまとまらなくてな」
友人はぎこちない笑顔で肩をすくめた。
思ったよりも困ったことになっているらしい。
「……まあ立ち話もなんだから」
「いや待ってくれ。本当にどう話したらいいのか分からないんだ」
友人と腕を組んだまま、みゆきは人気のない公園に引っ張り込む。
妙に嫌がる素振りを見せたが、激しい奇行が予想されるので道端で話すなんて論外だ。
ブランコに乗って話を聞けば、神岡絢香が好きな異性にチョコレートを贈ろうとしていたと言う。
「それって……」
「三年の田中健二という男子だ。絢香さんのクラスメイトらしい」
予想外の全く知らない名前が出て来た。
てっきりよく知っている名前が出てくると思っていたのに。
——あの人も知らないところでちゃんと青春してるんだなぁ。
まともに口も聞いたことすらないのに、何となくしみじみしてしまう。
ああいう人が好きな人ってどんなだろう、と急に興味が湧いてきた。
「へー、クラスメイトがお相手なんだ」
「まあチョコレートを渡す前には終わったのだがな」
聞けば彼には幼なじみの彼女がいて、告白する前に恋は散っていったそうだ。
意外な結末にみゆきはちょっと驚いた。
話を聞く限り、かなり積極的にモーションをかけていたようだが。
あの美少女に言い寄られてよろめかないとはスゴイな。
黙って隠して二股をかけることもできそうなのに、ずいぶんと真面目な男だ。
さすが神岡絢香が好きになる男は違うな。
みゆきが感心していたら、友人は付け加えるようにポツリと言った。
「まあ田中健二なんて生徒はこの学校にいないのだが」
——は?
友人の口から飛び出した思いがけない言葉に振り返れば、シニカルな笑いを浮かべてみゆきを見ていた。
昨日、神岡絢香に相談された後で、すぐに生徒名簿をチェックしたらしい。
「今年、うちの学校に田中という名字の人物は、生徒はおろか教職員にすらいない」
「ごめん、どういう事なのか、さっぱり分かんないんだけど」
ブランコから立ち上がって友人の正面に立つと、彼女は気だるそうに長い髪をかきあげて、ため息をつく。
「照れ屋で回りくどい人なんだよ。普通にポチにチョコレートを渡せばいいのに」
……ああ、そういう事か。
みゆきはちょっと納得するものがあった。
神岡絢香が彼に好意を抱いているのなら、バレンタインに何か仕掛けてくるのは当然だろう。
素直に渡すのが恥ずかしくてワザワザ《渡せなかったチョコレート》をでっち上げ、ポチくんに食べて貰ったと。
「……それ、さすがに回りくどすぎない? 本命チョコじゃないんじゃないの? 別に告白したとか、そういうワケでもないんでしょ? 義理チョコくらい誰だってあげるし」
みゆきは友人が穿ちすぎていると思ったのだが、ブランコに乗った彼女は薄く笑って肩をすくめる。
「最近、絢香さんは用もないのに和室へ顔を出しに来るし、やたらポチの体に触るし、隙あらば抱きつこうとしているんだ」
——それってセクハラなんじゃないかなぁ。
好意うんぬん以前に、人としてどうかと言いかけたが。
「全部、いつも私がポチにやっている事だ。そういう意味では絢香さんは分かりやすいよ」
「……ああ、そう」
ダメだ、こいつら。
あまりのしょうもなさに笑いが出てくる。
うちの生徒会ってこんなのばっかなのか?
「宇宙人の時だって、ホントは茶道部に持ち込むような話じゃなかったんだ。ポチと会う口実としか思えない」
「ええと、以前あんたは『ポチくんが神岡先輩を好き』って言ってなかった?」
確認のために聞いて見たら、友人は泣きそうな表情でみゆきを見上げる。
「だってそう言う事にしておきたいじゃないか。絢香さんと利害が対立するなんて考えたく無かったんだ」
なんだ。とっくに気がついていて、見て見ぬ振りをしていたらしい。
現実逃避も甚だしいが、その気持ちは分からなくもない。
神岡絢香は気さくで明るい美少女で、おまけに人望も高い。
そんな相手がライバルになるのは、気弱な友人にはかなり厳しいだろう。
実際、友人はブランコに乗ったまま頭を抱えている。
「よく分からないのは、なんであの人は私がすぐに気がつくような嘘をついたのかだ。私が相手の素性を調べるのなんて簡単に想像が付くだろうに」
いや、普通、想像しないと思うよ?
つい突っ込みたくなる気持ちをみゆきはグッとこらえる。
「あのさ。なんのアピールかなんて気にしたって仕方なくない? このまま放っといてポチくん取られちゃたら——」
友人は静かに首を横に振る。
「いや、その心配はないんだ」
「ないって事はないんじゃないの? 向こうが本気だったらどうすんのよ?」
「絢香さんからは『ポチを二人でシェアしよう』と提案されたよ」
は? こいつ何言ってんの?
シェア? こいつら男を分けっこする相談してるの?
……え? マジで?
言っている意味が分かった途端、思わずみゆきは詰め寄っていた。
「ちょっと待って。その話、あたしも入れて! あたし月1くらいでいいから!」
真剣な顔で迫るみゆきに、友人は目を丸くして仰け反り、ブランコから落ちそうになっている。
「待ってくれ。みゆきまで、そんなことを言うのか!」
ブランコの鎖にしがみついて怯えた顔をしているのは、落ちるのが怖かったからではないだろう。
「……やだな。冗談に決まってんじゃない」
手をひらひらと振って距離を取り、ニッコリ笑ってみせるが、実は結構マジだった。
男をシェアするという発想がなかったから、神岡絢香の提案には素直に感心してしまう。
月1程度の取り分なら、お付き合いの面倒な部分は全部他の人に丸投げできそうだし。
たまに会って愚痴聞いてもらって、ちょっと甘えさせてもらうだけの健全なお付き合いでいいんだし。
大会や練習の邪魔にならない彼氏とか、都合よすぎてつい飛びついてしまった。
あまりに怯えているので、さすがに悪いことしたなと心の中で反省する。
冗談と聞いた友人は明らかにホッとした顔になっている。
「なあ、みゆき。あまり私を驚かせないでくれ。彼が今日、どれだけチョコレートを貰ったと思っているんだ」
ため息交じりに言っているが、それはどう考えてもこいつのせいだ。
朝から彼にチョコレートをあげそうな女子に声をかけていた結果なのだ。
集まった半分くらいは《ついでに》とか《余ってたから》とか、《こいつのリアクションが見たかった》だったと思っている。
「で、結局あんたはチョコレートを渡せたの?」
シェアの件を深追いされたくなくて話題を変えると、彼女は自信なげに頷く。
「渡せた、と思う」
何で曖昧なんだろう?
伝書鳩にでも括り付けて飛ばしたのか?
疑問はあるが、大事なのはそこじゃない。
「ちゃんとポチくんに『好きです』って言えた?」
「それどころじゃなかったんだ! 絢香さんが酔っ払って——」
勢いよくブランコから立ち上がろうとして、友人はバランスを崩す。
倒れそうになった彼女の体を、みゆきは両手で抱きとめた。
「あんたたち、校内でお酒飲んでたの?」
「いや、そういうわけではないのだが。それに絢香さんは何も覚えていないから、文句の言いようもなくて」
制服越しでも柔らかくてボリュームのある胸がよく分かる。
「あまり気にしなくていいと思うよ」
ハグしたまま、みゆきは友人の背を叩いた。
不安そうな表情で友人はみゆきの顔を見るが、そんなの杞憂に決まっている。
こいつと一年間一緒にいて、いまだに手を出せない男なのだ。
どんな誘惑があっても、神岡絢香と何かが起こるワケがない。
それに——。
「ポチくんが触りたいのは、どっちかって話よ」
神岡絢香は小さくてふわふわで柔らかそうだから、そっと手で触れてみたい誘惑に駆られる。
だけど、こいつには異性ならものすごく興味を引く部分があるのだ。
男の子なら、どっちを選ぶかなんて考えるまでもない。
て言うか、あたしだって触りたい。
「よし、分かった! あたしとポチくんであんたをシェアしよう!」
「は? 言ってる意味が分からないぞ!」
「こういうのは難しく考えない! いいからちょっと触らせて!」
「やめろ、みゆき! 私には心に決めた人がいるんだ! 私の胸を揉んでいいのは彼だけなんだ!」
「そういうのは一度でも揉ませてからいいなさい!」
友人の体をくすぐるように弄りながら、みゆきは思う。
こいつに遠慮して小さなチョコにしたんだけど。
それで、たぶん間違ってなかったのだろう。
面倒くさいのはこいつだけで充分だ。
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