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13-15 おぞましき穴

「ポチ、ちょっと絢香さん任せる」


 それだけ言うと、先輩は絢香さんの背を僕の方の方へ押して押して台所に向かう。

 ……そう言われてもな。

 こんなの任されてもどうしていいのか分からんぞ。


「ん。任されたぁ」


 甘えるような声を出して絢香さんが僕の体にもたれかかってくる。


 半ば抱きつくような形でべたっと張り付かれてしまった。

 とりあえず大人しくしてくれるならそれでいいか。

 と思ったら、そのままコタツの上のチョコレートに手を伸ばす。


「ちょっと絢香さん、これ以上は——」


 止める間もなく半分かじって、残りを僕の口に押し込んでくる。


「……絢香さん、これ、好きですね?」

「うん、ポチくん好きぃ」


 ダメだ。会話が成立してない。

 かなり酔っ払ってるぞ、この人。


 少しでも正気を取り戻して欲しくて湯呑みを渡すと、素直に受け取ってお茶を飲む。

 いつもより幼く見えるのは酔っているせいなんだろうか。


 気がつけば絢香さんが黙ってじっと僕の顔を見つめている。

 少し潤んだ大きな目で覗き込むように僕の目を見て、座ったまま背伸びするように体を寄せてくる。


「……ポチくんはあたしのこと心配?」


 少し照れたような、でも大真面目な顔で聞かれてしまった。

 心配……してたのかなぁ。

 正直に言ったら、また爆笑されそうな気がするしな。


 僕が何か答えるのを待たず、絢香さんはヘラっと笑った。


「そっかぁ、心配してくれるんだ」


 湯呑みを握りしめたまま、安心したような顔で倒れるように僕にもたれかかってくる。


「ちょっと待って絢香さん。お茶、溢れるから」


 止める間もなく、絢香さんの湯呑みからジャバジャバとお茶が溢れる。

 胸に抱えるように持っていたから、僕も絢香さんも結構濡れた。

 だいぶ温くなっていたから火傷の心配はないんだけど。


「あの、大丈夫ですか?」


 いちおう聞いてみたが返事がない。

 顔を覗き込んで見たら、目を閉じてグッタリした様子だ。


「絢香さん? ねえ絢香さん?」

 

 呼びかけにも答えず、肩を揺すっても反応がない。

 これは、もしかして面倒な事になってないか?


「うん? 絢香さん、どうした?」


 水の入ったコップを持って戻ってきた先輩が怪訝な顔で僕らを見る。


「……あの、先輩。僕のバッグからタオル出してくれますか?」

「ああ、お茶を溢したのか。まあよくある事だよ。あまり責めるな」


 僕が絢香さんに抱きつかれてオロオロしていると思ったのだろう。

 苦笑しながら僕のバッグに手を伸ばしている。


「いや、そうじゃなくて。絢香さん、寝てます」


 腕の中にいる絢香さんを指差して言うと、キョトンした顔でこっちを見る。


「なんだ、水飲ませようと思ったのに無駄だったな」


 彼女はつまらなそうに肩をすくめ、手に持っていたコップの水を飲む。



          □



「まあ急性アル中ってほどでもないだろうしな。そのまま寝かせといてくれ」


 呆れた顔で先輩が言うから、押入れから布団を出して寝かせることにした。

 そのまましばらく二人でもらったチョコレートを食べていた。


 ようやく一息ついた、と言うところで先輩がお茶を煽るように飲んで、大きく溜息をつく。

 コタツの正面で彼女は気だるげに髪をかきあげ、切れ長の目で僕を見る。


「絢香さんは気遣いが多くて、ストレス強いんだ。今日のことは大目に見てやってくれ」

「制服にお茶こぼされた事ですか? 別に気にしませんよ」


 笑って返すと、先輩はちょっと困ったような顔になって視線を背け、歯切れ悪い感じで言葉を続けた。


「あー、それでポチ。分かっているとは思うのだが」


 少し言いにくそうにしながら、ゆっくりとした動きで僕を見る。


「……さっきのシェアの話、真に受けるなよ」


 念を押すように言われたが、酔っ払いの話なんか真に受けるわけないじゃん。



          □



 絢香さんが起きたのは最終下校時刻の間近だった。

 布団の上に起き上がり、乱れたセーラー服を不思議そうに眺めて、僕を見上げる。


「ポチくん、あたしにやらしい事した?」


 呆れたことに何も覚えていないらしい。

 それで酔い覚ましのお茶を飲ませて、素直に帰ってきたのだけれど。


 妙に疲れる一日だった

 部屋に戻ると同時にベッドに倒れこんでしまった。


 まさかチョコレート、あんなに貰うなんてなぁ。

 自分がモテてるとは思わないが、けっこう色んな人が気にかけてくれてるんだな。


 これも先輩のおかげだ。

 僕が貰ったというより、茶道部が貰ったと考えるべきだろう。


 先輩が窓口になってくれたのもありがたい。

 直接、こんな人数から渡されてたらパニックになっていた。

 明日、ちゃんとお礼を言った方がいいかな。


 あ、タオル、出しとかなきゃ。


 急に思い出したが、絢香さんを拭いたタオル、バッグの中に入れっぱなしだ。

 前に濡れタオルをバッグに入れたまま忘れて、えらい事になったもんな。

 覚えてるうちに行動しないと大変な事になる。


 なんとか起き上がってバッグを開けると、タオルの下に見覚えのない箱があった。

 綺麗にラッピングされているそれを取り出すと、メッセージカードが挟まっている。


 几帳面な字で《いつもお世話になっています。私の気持ちとして受け取っていただければ》

と書いてある。


 誰からとか書いてないけど、先輩からだ。

 偉そうに見下して「ほら、エサだ」とか投げてよこしそうな気もしてたのだが。

 意外なほど地味なサプライズだ。


 あの人、こういうとこ妙に遠慮がちだよな。

 あんま誤解されたくないのは分かるんだけどさ。

 

 ありがたいし嬉しいから、しばらく机に飾っておこう。

 チョコレートは今日、嫌になるくらい食べたから素直に味わえなそうだしね。


 それに僕には先に済ませなければならないミッションがある。

 

 ベッドの脇、バッグの隣にある紙袋に視線を移す。

 貰ったチョコレートは大半は頑張って食べた。

 ちゃんとアジも焼いて食べた。

 かなりの量を先輩と、起きてきた絢香さんにも手伝ってもらったんだけど。


 宮本さんから貰った《大穴》だけは二人とも手をつけようとしなかった。


「なんか入ってそう」

「そもそも食欲をそそる造形じゃない」


 二人の言い分はもっともで、どうして食べ物をこんな形にしたのやら。

 部分的にカラーチョコを使ってマーブル模様になっているのが病的でおぞましく、すごく嫌だ。


 サイズが大きすぎて直接かじるのも難しいし、下手に触ると病気が伝染りそうだ。

 どこから手をつけていいのか分からない。


「舐めればいいんじゃない?」


 絢香さんは笑って言ってたが、こんな卑猥なモノを舐めてる場面を人に見られたくない。

 正直に言えば食べたくないのだが、食べ物を捨てるのは絶対に嫌だ。


 初めて貰ったバレンタインチョコの一つなんだし。

 これが宮本さんの気持ちと思えば——。


 ……どんな気持ちなんだろう?


 こんな卑猥なものを飾って置くわけにもいかんしな。

 和室の床の間に飾ったら問題になりそうだし、自分の机の上だって嫌だ。

 先輩のチョコと並べたら、なんとなく先輩まで汚れてしまいそうな気がする。


 存在感だけはすごいんだよなぁ。


 とりあえず家族に見つかる前になんとかしないと。

 うっかりしてたら特殊な性癖に目覚めたと思われてしまいそうだ。


 捨てられないし、どこにも置いとけない。

 もう、ほとんど呪いのアイテムみたいなそれを前に決意を固める。


 これはたまたまそういう形をしている食べ物だ。

 食べ物は、食べると無くなる。

 いつもなら寂しい話だが、今日に限っては希望の光だ。


 ——よし、行くぞ!


 意を決して最も卑猥な部分にかぶりつくのと、「食事どうすんの?」と親がドアを開けるのは、ほぼ同時だった。

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