13-14 地獄への道
「アハハ、あんな男の事はもうとっくに忘れた!」
隣に座る絢香さんがチョコレートを口に放り込み、ケラケラ笑っている。
なんか知らんがテンション高いな。
「よく考えたら、全然好きじゃなかった気がするし!」
身もふたもない事を言いながら、絢香さんはまた手元のチョコレートをひとつ摘んで口に放り込む。
さっきから絢香さんは渡し損ねたチョコレートを、ずっと一人で食べている。
結構な量を作ってきたのだが、あっという間に半分以上無くなっている。
絢香さんは一緒に食べようと言ってくれたのだけれど、どうも手を伸ばしにくい。
向かいに座る先輩も気が引けるのか、絢香さんのチョコレートには手を付けず《僕が貰ったチョコレート》を無言で食べ続けている。
食べすぎな気もするけれど、どうせ僕一人では持て余してしまう量だ。
少しでも減らしてくれるのならありがたいから、先輩の事はとりあえず放っておく。
「珍しくこんな事したら、このありさまだよ。アハハ、慣れない事はするもんじゃないね」
絢香さんは屈託無く笑って、また口に放り込んだチョコレートをボリボリと噛み砕きながら、コタツ板にペタッと伏せる。
「やっぱ卒業前で焦ってんのかね。なんか上手く行かないよなぁ」
自嘲気味に笑っているのだけれど、ちょっと疲れているみたいだ。
とりあえずお茶でも淹れ直そう。
いちおう疲労回復とかリラックス効果とかあったハズだしな。
二人の湯呑みを回収してから、真面目な顔を作って絢香さんの顔を見た。
「この際だからはっきり言いますが、絢香さんからの話を聞く限り、その男、クズですよ」
キッパリ言ったら、きょとんとした顔で僕を見て次の瞬間には爆笑していた。
「アハハハハ、そっか、クズかぁ。アハハハハ」
「いえ、そこ笑う所じゃないから。その気もないのに気を持たせるような事をして楽しんでいたなら、クズ以外のなんだと言うんです?」
僕は大真面目に言っているのに、何がおかしいのかコタツ板を叩いて大笑いしている。
「うん。アハハ、うん。そうだね。向こうが楽しんでいたかは分かんないけどアハハハ」
「楽しんでいたに決まってます。絢香さんは美人ですし魅力的です。そんな女性に懐かれて喜ばない男はいませんよ」
「アハハハハ、そ、そうなんだ、アハゲホハハハ」
もう笑いすぎてムセている。
いったい、この話のどこがそんなに面白いのか。
もう仕方ないからダメ押しをしよう。
彼女の手の上にそっと自分の手を重ね、静かに優しい声を出す。
「絢香さんには、もっと自分を大事にして欲しいんです」
案の定、ウケた。
もはや声にならない悲鳴のような笑い声をあげて畳の上に転がって腹を押さえている。
正直なトコ、何が何だか分からないから嬉しくない。
……それはそうと、なんとなく先輩の視線が冷たい。
別に間違った事を言っていないと思うし、むしろ先輩の心情を代弁しているくらいなのに。
さっきからすごい量のチョコレートを食べてるから、お茶が遅いと催促してるのかもしれないな。
急いでお茶の淹れ直しをしていたら。ようやく絢香さんが『お、お腹痛い』と言いながら起き上がる。
「アハハ。ポチくんはいいねぇ」
僕からお茶を受け取りながらまだ笑っている。
「あんまマジになんないでよ。どうせ見た目から好みじゃないし、相手にされないのなんて分かってたもん」
絢香さんの見た目が好みじゃないって、すごいな、そいつ。
改めて見ても間違いなく美人だと思うのだが、小柄で幼い顔立ちがダメなのかなぁ。
それとも、あまりルックスにこだわりがないのか? とか思ったら、
「好みに合わせて胸盛るにしたって限度があるし」
自分の胸元に手を当てて自虐的に笑ってみせる。
ただの巨乳マニアじゃねえか。一瞬でも見直しかけた僕が馬鹿だった。
そんな僕を見て絢香さんはケラケラ笑う。
「もうさ、ポチくんでいいからあたしと付き合ってよ」
何でもない事のように言うから理解が遅れた。
「は?」
「別にいいじゃん。付き合ってる女性とかいないんでしょ? 私も彼氏いないし、ちょうどいいじゃん?」
突然すぎて困惑したまま固まっていると、絢香さんは勝手に話を進めてしまう。
「あたしじゃ魅力とか身長とか胸が足りない? でも胸は揉めば大きくなるって言うし、ポチくんが頑張ってくれれば少しは——」
「それ都市伝説ですから! そんなことあるわけないでしょ!」
「アハハ。これでも揉めるくらいはあるってば。ちょっと見せるから確認してよ」
膝立ちになってセーラー服を脱ごうとするものだから、慌てて先輩が止めにかかる。
両腕を掴んで引き下げ、睨むような顔で僕を振り返る。
「絢香さん、待ってください! ポチ、君も視線を逸らすぐらいしたまえ!」
「あ、すいません。ビックリしすぎちゃって」
「言い訳はいいからあっち向け!」
怒られるように言われて二人から顔を背けた。
まさかホントに脱ごうとしてたのか?
あっちに意識を向けないようにするために、目の前にあった絢香さんのチョコレートへ手を伸ばす。
プレゼントにしては、ただ丸いだけで飾り気がないチョコレートなので、この人にしては意外に無骨な物を作るんだな、と感心しながら口に放り込む。
絢香さんならもっと凝った物を作りそうな気がするのに。
とか思いながらチョコレートを噛んだ途端にむせそうになった。
振り返って、いまだ絢香さんともみ合っている先輩の肩を叩く。
「……あの、先輩。これ、アルコール入ってます」
「待てポチ、まだ……え? 絢香さん、酔っ払ってるのか?」
さっきから何かおかしいと思っていたんだよ。
先輩と二人で絢香さんの様子を改めて観察してみる。
少し頰が上気していて目が潤んでいる。
本当に脱ごうとしていたのか、セーラー服がかなり乱れていた。
長い髪も乱れているのは先輩の奮闘が窺える。
見ようによってはかなり色気のある姿だ。
「ああ、やっと食べてくれたんだぁ」
僕と視線が合うと、絢香さんはヘラァと笑ってコタツの上のチョコレートに手を伸ばす。
「アハハ、ほら、あんたも。変な遠慮されてたら、いつまでも減らないじゃん」
と言って先輩の口にチョコレートを突っ込んだ。
ちょっと嫌な顔をしながら噛み潰すと、すぐに真顔になって絢香さんの顔を覗き込む。
「絢香さん、このチョコレートボンボン、おかしくないですか? これ、中身ウィスキーそのまんまですよね?」
聞かれた絢香さんはクルッと先輩の方を向いて、彼女の肩をポンと叩く。
「ん。分かってるって。あたしとあんたでポチくんをシェアしよう!」
「はい? どうしてそうなるんです?」
先輩がびっくりした顔で絢香さんに迫る。
詰め寄られた絢香さんは動じもせずにケラケラ笑う。
「あんたの彼氏がポチくんで、あたしの彼氏もポチくん! 楽しいよね!」
「言ってる意味がわかりませんよ!」
「アハハハ、いいじゃん。もうそれが一番いいと思うのよ!」
先輩の肩をパンパン叩いて絢香さんが笑い転げている。
「あの、僕の意思は確認してくれないんですか?」
「もー、ポチくんも細かいことは気にしないの!」
今度は僕の肩をバシバシ叩き出す。
「んふふふ、二人でポチくんをシェアするの。楽しいよねっ」
いや、楽しいというより痛いのですが。
「そんなのが楽しいのは最初だけですから! 絶対に後悔しますから! この一年、いろいろ見てきましたけど、間違いなく最後は地獄行きです!」
「いいじゃん。三人一緒に地獄へ堕ちようよ!」
ニコニコ笑って言っているが、どう見てもシラフじゃなさそうだ。
さすがに先輩も困惑した顔で諭すように語る。
「ポチをからかって楽しいのは分かりますが、ホドホドにしてやってください。彼は絢香さんに悪い虫が付かないかと心配しているんですよ」
いや、すごく心配してるのは先輩だったハズなのだが?
言われた絢香さんは畳を叩いて大ウケしている。
「アハハ、わ、悪い虫! アハハ、そんなん付かないって! 悪い虫はあたしだってば、アハハハ」
先輩は胸の下で腕組みをして、呆れた感じに溜息をついた。
気だるそうに長い髪をかきあげ、肩をすくめて僕を見る。
そんな目で見られても、困るだけなんですけど。