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13-12 地の底から響く声

 両手に紙の手提げ袋を持って先輩がやってきた。


「遅くなってすまない。ポチ、ちゃんとまっすぐにココへ来たか?」


 紙袋を少しコタツから離れたところに置きながら先輩は微笑む。

 その笑顔に見とれながら僕は無言で頷く。 


 先輩のチョコレートは昨日二人が食べてしまった。

 だから約束を守る必要はなかったと思うのだけれども。


 バレンタインデーに、用もなく教室に残ってたらいろいろ誤解を生みそうだからね。


 彼女は自分のバッグを抱えたまま僕の正面、いつもの位置に腰を下ろす。

 コタツの上を眺め、その後でチラッと絢香さんを見た。


 視線を合わせた絢香さんは含みのある笑顔で、両手を肩まで上げて手品師がやる《何も持ってない》みたいな仕草をする。

 先輩は静かに頷き、僕の方へ向き直る。


 今の儀式、何だったんだろう?

 疑問を言葉にするより先に、先輩が口を開いた。


「うん。ポチ、昨日はご苦労だった」


 長い黒髪を気だるそうに掻き上げて、軽く頭を下げる。

 僕からお茶を受け取ると、静かに口を付けて溜め息を漏らす。


「涙無くしては語れない事件だったな」

「僕も途中で泣きたくなりました」


 僕もため息をつきながら感想を漏らす。


 チョコレートを渡した男たちが号泣するのはまだいいとして。

 体格のいい男が顔中グシャグシャにして『ありがとう、ありがとう』と連呼しながら抱きついてこようとするのは流石に勘弁して欲しかった。


 僕の表情を見て、先輩は苦笑して肩をすくめる。


「君の活躍を直接見れなかったのは残念だったよ。頑張ってくれたし、約束通りご褒美はあげよう。君の人生で最初のバレンタインチョコだ」


 全く期待していなかったことを言われたので、理解がちょっと遅くなる。


「……え? 貰えるんですか?」

「おや? 欲しくなかったなら、それでもいいか。君の生涯で最初のチョコレートだったのに、残念だよ」


 手にかけていたバッグを体の後ろに回して、もう一度肩をすくめる。


「そんな意地悪言わないでくださいよ。昨日、食べたからもう無いと思っていたんです」

「無くなったら作り直すに決まってるじゃないか。チョコレートが入手困難だったのは学校の周りだけなんだぞ」

「それは、そうなんですけど……」


 先輩は当然のように言うのだけれど。

 なにしろ面倒くさがりの彼女だ。僕のためにそこまでしてくれると思ってなかった。


「で、どうする? いらないなら絢香さんにあげるが?」

「それ、恨まれそうだからやめて」


 絢香さんが苦笑しながら茶を飲んでいる。

 食い意地が張ってる絢香さんにしては珍しいが、さすがに遠慮してくれたのだろうか。


 変なサプライズもなさそうだし、ここは素直に貰っておくべきだろう。

 まあ変なサプライズがあっても、絶対に貰うんだけど。


「すいません。それではお言葉に甘えて」

「日ごろ世話になっているお礼なんだ。頭を下げるのは私の方だよ。ほら、手を出したまえ。初めてのチョコレートだ」


 やたらと《初めて》を強調してくるのは、僕をからかっているつもりなのだろうか。

 それで先輩が楽しそうなのはいいのだが。


 ……たぶん言っといた方がいいんだろうなぁ。


「あの、申し上げにくいのですが……」

「ん? なんだね? すでに誰かから貰ったとでも言うのかい?」


 長い黒髪を掻きあげて、見下ろすように僕を見る。

 ちっとも頭なんか下げる気がないよね、この人。


「言ってみたまえ。誰かが君にチョコレートをくれたのか?」

「……はい。その通りです」

「なんだと? どこの誰にいつ貰ったんだ!」


 言った途端に先輩は前のめりになった。


「私は今日一日見ていたが、そんな隙はなかったはずだ! ここへ来るまでの間に、知らない人に声をかけられたのか?」

「……普通、知らない人はチョコレートをくれないのでは?」


 僕の反論に彼女は強くかぶりを振る。


「そんなの分からないじゃないか! そこらへんの女に『坊や、チョコレートあげるからおいで』とか言われてノコノコ付いて行ったんじゃないのか?」

「そんなのに引っかかってたら、いまココにいませんよ!」


 そんな古典的な誘拐魔、昭和の終わりにはすでに絶滅してないか?

 いや、いるかもしれないが校内にはいないんじゃないかなぁ。


 先輩は息も荒く、僕にグイッと顔を近づける。


「では誰に貰ったと言うんだね。見栄を張りたいからって嘘はよくないぞ。正直に言え」


 真剣な顔で身を乗り出し、睨むような視線で問い詰めてくる。

 別に見栄なんか張ってないのに、酷い言われようだ。


「えーと、朝、ホームルーム前に斜め後ろの席の柴田さんから」


 正直に答えたら、先輩は愕然とした表情で固まってしまった。


「……くっ、クラスメイトか」


 やがて絞り出すような声で呟くと彼女は力なく座り込む。

 何かマズかったのだろうかと心配になるが、衆人環視の教室で手渡されたものを断るわけにもいかなかったしなぁ。


「覚えてろ、あの三つ編みお下げ」

 

 俯いている彼女の方で、地の底から呻くような低い声が聞こえて来る。

 意味がわからなくて思わず絢香さんに視線を送ると、くすくす笑いながら先輩を指差す。


「あのねぇ、こいつはポチくんの初めての女になりたかったのよ」

「いや、待って下さい。その言い方は何か誤解を受けそうです」


 ガバッと顔を上げて、今度は絢香さんに詰め寄り出した。

 絢香さんは背中をそらして身を遠ざけ、ヘラっと笑う。


「間違ってないと思うんだけどぉ」

「モノには言いようがあるんです!」

「ポチくんの初めてが欲しかった、でもいいけど」

「だから、そういう言い方をしないでください! 私だってバレンタインにチョコレートあげるなんて初めてなんですから! ちょっとイベント性を持たせたかったんです! このくらいの気持ちは許して欲しいです!」


 顔を真っ赤にして先輩が力説している。

 ……うん。これは僕が悪かった。


 先輩がそんなに楽しみにしてたとは思ってなかったんだよ。

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