13-11 遠い日の思い出
「あれで市川は穏健派でね」
翌日の放課後。
先輩の言いつけ通り、まっすぐ和室に来た僕はコタツに座る絢香さんの相手をしていた。
ちなみに当の彼女は何か用事があるとかで遅くなるらしい。
実際、今日の先輩は忙しそうだった。
休み時間の度に、僕の教室の前の廊下を何度も行き来してるのを見かけた。
何してるのか分からないが、生徒会長って大変そうだ。
「あいつ三年だからさ。事情聴取にあたしも立ち会ったんだけど」
美味しそうにお茶を飲みながら絢香さんが昨日の顛末を教えてくれる。
この人はこんな時でも表情豊かだから、お茶の振る舞いがいがある。
先輩なんか、何を出しても表情が変わらないからな。
まあ、それはそれで楽しいんだけどさ。
今日は何もお茶菓子を出していないのだが、不満も言わずにお茶だけ飲んでる。
「バレンタイン撲滅委員会は、あいつをチョコレートの風呂に沈めて校門に飾ろうってのが大勢を占めてたのよ」
「それ、ホントにやったら死んじゃうのでは……」
チョコレートの湯煎温度は50度以上だ。お風呂なんて温度じゃない。
本気で言ってたなら、ちょっと正気の沙汰ではないぞ。
「ん、あたしたち、けっこう恨み買ってた。大半が三年だったし、もう卒業だからお礼参りしようって意見が多かったようで」
「お礼参りって、昭和じゃないんですから」
絢香さんの口から出てきた時代錯誤なフレーズにかなり呆れた。
あいつら、本気でそんなこと考えてたのか?
エロ本図書館の蔵書でしか見たことないぞ、そんな言葉。
「アハハ。まあそれは置いといて。やりすぎたって声もちゃんとあってね。市川がそっくりのレプリカを作る事で事を収めたのよ」
「えーと、もしかして市川さんはあれでマトモ、というか……」
どう考えてもマトモな人には見えなかったが、あれでバレンタイン撲滅委員会の中では常識人だったのかも。
言葉の途中で考え込んだ僕に、絢香さんが肩をすくめる。
「ちょっと去年、厳しくやりすぎたかなぁ」
「いったい何したらそこまで恨み買うんです?」
「アハハ、不思議だよね」
真面目な顔で聞いたのに、大笑いでごまかされた。
まあ、それだけの事を、向こうも去年やっていたのだろう。
この人は笑えない話には口が重くなるし、ロクでもない話だったのは間違いない。
「ま、ポチくんが頑張ってくれたから、来年は大丈夫だよ!」
ケラケラ笑いながら絢香さんは言うが、あれはなかなかの拷問だった。
昨日はあの後、撲滅委員会のメンバーが個別に呼び出されて、先輩たちの事情聴取を受けることになった。
僕は先輩たちの命令で、やってきた彼らが生徒会室に入るのを待ち構え、一人一人に『義理ですけど』と言って砕け散ったチョコレート像の欠片を手渡し続けるハメになった。
こんなんでいいのか、と何度も思ったのだけれど。
呆れることに、彼らは一様に涙を流して僕に感謝の言葉を伝え、その後で『残念だが君とは付き合えない』と言ってくれた。
なんで男子生徒に義理チョコを渡すたびに、泣きながら振られなきゃならんのだ。
みんな憑き物が落ちたような顔になり、おかげで事情聴取は捗ったそうだ。
本当にそんなんでよかったらしい。
けっこう人数がいたのに誰一人として受け取りを拒否しなかった所に深い闇を感じる。
もしかして僕も義理チョコの一個すら貰えないまま三年になったらああなるのだろうか?
「……それで結局、絢香さんはチョコレートを渡せたんですか?」
僕としては昨日の顛末よりその方が聞きたかったのに、絢香さんが話してくれないので、こっちから話を振ってみた。
「それがさぁ」
聞くと同時に両手を前に投げ出すようにして、彼女はコタツ板にペタッと倒れ伏す。
指先を触手みたいに動かしてるのは、もしかしたら茶菓子を探しているのだろうか。
「全然知らなかったんだけど、あいつ、彼女いてさぁ」
「え? そうなんですか?」
いつでも準備周到な彼女らしくない発言にちょっと驚く。
そのくらい、とっくに調べた上での行動だとばかり思っていた。
「もう渡す前に終わっちゃったよ」
「え? 何も渡さなかったんですか?」
「そだよー。徹夜して作ったんだけど、カバンから出すことすらできなかった」
コタツに伏せたまま、力なく笑っている。
好きな人に彼女がいたと知って落ち込むのは分かるけどさ。
「でも気持ちを渡すだけですよね。彼女の有無なんて関係ないのでは?」
「そう言ったって、なんか渡しにくいじゃん? 人間関係悪くなりそうだし。必要以上の誤解されても困るし」
コタツに伏せたままクネクネしだした。
もうすぐ卒業なのに何を気にしているのやら。
「なら僕が後ろで《体験イベント実施中》とか書いたプラカード持って立ちましょうか?」
「やだよ、そんな面白イベント」
これなら誤解のされようもないと思ったのに、一言で断られてしまった。
まあ恥ずかしいのは分かるんだけどさ。
「絢香さんにはお世話になりましたし、そのくらいならやってもいいのですが」
「その気持ちは嬉しいから、他のところで発揮して」
相手をするのも面倒臭くなったのか、彼女はこっちを見もせずに手だけをヒラヒラと動かした。
ちょっと不機嫌になってるっぽいし、やめた方がいいのかな。この話題?
「まあ、話を聞く限りではあまりお勧めできる人でもない気がしますし。ホッとした気もしますよ」
「そうなの?」
ガバッと体を起こすと、目を細めてジッと僕を見る。
好きな人を悪く言ったのはマズかったかな?
「えーと、その田中……下の名前、なんでしたっけ?」
「ん? ……なんだっけ?」
さらっと僕に聞き返す。
いま、この人の好きな人の話してたんだけどな。
「名前覚えてないんですか?」
「アハハ、もう終わった話だから忘れた! ……あれは遠い日の思い出なの」
「今日の話なんですから、そんな目をしても無理ありますよ。ねえ、空になった湯呑みでお茶飲んでるフリしてなんの意味があるんですか?」
結局いつもの調子の絢香さんだった。
いろいろと思い通りにならなくても明るく振る舞えるのは、けっこう凄い事だと思う。
空になった湯呑みを受け取ってお茶を入れ替えていたら、ようやく先輩がやってきた。




