13-10 愛が欲しい
「えーと、ちょっと聞いていいですか?」
跪いてうなだれている市川には別の事を聞いてみよう。
僕もしゃがんで目線の高さを合わせて、愛想笑いで問いかける。
「これ、地母神と言ってますが、何で胸が無いんですか?」
さっきからの話だと、ここに矛盾がある。
古代から地母神像はグラマーなのが多いのに、この像は肝心の部分が真っ平らに近い。
たまに真っ平らなのもあるらしいが、それでは先輩をモデルにしている意味が分からない。
そもそも市川は卒業間近だから、うちの学校が毎日がバレンタインになっても、もう関係ないし。
何か別の意図があるのでは、と疑ってみたのだが。
「ああ、それにはワケがあるんだ。まず、このスカートの部分を見て欲しい」
案外と市川は嬉しそうに顔を上げてすぐに立ち上がって解説を始める。
制作物の解説が楽しいのは何となく分かる。
「設計段階では、ここはもっとリアルに作る予定だった。3Dデーター収集のために文化祭見回り中の生徒会長を色んな角度から盗撮したのだが、いざデーターにしようとしたら一枚もスカートの中の写真がなかったんだ」
「……はい?」
思わず素で聞き返してしまった。
もしかして、こいつ、先輩のスカートの中が見たいって言った?
僕の咎める視線にも気付かず、彼は真剣な顔で言葉を続ける。
「我々は誰一人として《生徒会長のスカートの中》を知らないんだ。さらに言えば3Dプリンターの性能や時間の都合もあり、その部分は諦めざるを得なかったんだ」
諦めてなかったら酷い目に遭わせましたよ。
ニッコリ笑って頷くと、市川も大きく頷いて顔の前に人さし指を立てる。
「スカートに隠れている部分はチョコレートで埋まってるから、覗いてもガッカリするだけだぞ」
「覗きませんよ。そんなことしませんから」
即座に答える。考えたのはもちろん内緒だ。
「これは想定外の重大な設計ミスだった。当初の見込みより多めの素材が必要になってしまったのに、すでに予算は使い果たしていた。その時点で我々に残された選択肢は《首から上を作らない》か《胸を減らす》しかなかったんだ」
「えーと、作るのを諦めるって選択肢はなかったんですか?」
「なかったな。仕方ないから胸回りは前生徒会長の写真からデーターを作って合成した。彼女の薄い胸ならちょうどピッタリ足りるハズだった」
「え? この胸、あたしなの?」
絢香さんが驚いて自分の胸元を抑えながら、チョコレート像の胸と見比べている。
言われてみれば、違和感のあったネームプレートの掛け方は絢香さんっぽい。
「予想外だったのは、それでチョコレートが余ってしまった事だな」
「大きなお世話だ! ほっといてくれよ! ちょっとポチくん、邪魔しないで!」
ブンむくれた様子で文句を言いだした絢香さんを手で制する。
興味はあるが、その話は長くなりそうだから後にして欲しい。
「えーと、何でそこまでして先輩の姿にこだわるんですか?」
材料が足りない→先輩の胸を減らす、という論法は何かおかしい。
胸の大きな女性は彼女だけじゃない。
この学校には先輩が驚くようなスタイルの女性だっている(未確認)。
なのに、なぜ彼女でなければならないのか。
「ハハハ、嫌がらせだよ」
僕の疑問に市川は笑顔で答えてくれた。
それはいいのだが、ちょっと理解が追いつかない。
「……あの、嫌がらせって?」
「俺たちは去年、バレンタイン撲滅委員会を潰されたからな。バレンタインの象徴として校門な飾り、巨大な胸が溶け崩れるまで晒し者にしてやりたかったんだ」
要するに義理チョコすら貰えないのを先輩のせいにしてるだけなんじゃねえの?
発想に可愛げがない、というか、かなり悪意があるよな。
やけに組織的だと思ってたら、案の定だ。
絢香さんを振り返ると、彼女もうんざりした顔で肩をすくめた。
「……結局、撲滅委員会の残党じゃないですか」
「ごめん。こんな形で生き残ってるとは思わなかったのよ。義理チョコすら貰えないなんて想像つかなくて」
ヘラっと笑って、僕に向かって拝むように片手を上げる。
絢香さんのせいじゃないのは分かってるので、謝らせるのはちょっと申し訳ない。
ところで僕もそんな経験ないのですが、その辺どう思っているんでしょうかね?
「ポチ、壊せ」
仏頂面の先輩が胸の下で腕を組み、短く僕へ命令する。
不愉快な代物だし、どう処分するか以前に壊したいと思うのは当然だろう。
いつも通りの事だし、従わない理由はないのだけれど。
……そうか、壊すのか、これ。
「すいません。代わってもらえます?」
考えた挙句に先輩を振り返って頭を下げた。
呆れ返った顔で僕を見る。
「あのな、ポチ。これは別に私じゃないぞ。そこの階段から落とすだけでいい」
「それは分かっているのですが……」
これは先輩じゃないし、本人の意思を無視して作られた悪意の像だ。
ただ似ているだけのイミテーションなのに、どうも壊すのは抵抗感が強い。
「仕方ないなぁ。あたしがやるよ」
大笑いしながら絢香さんがチョコレート像へ向かう。
ちょっと恥ずかしい。
「ま、胸はあたしのパーツなんだし、壊す権利はあるでしょ」
階段のすぐ前まで台車ごとチョコレート像を移動させて、『せーの』の掛け声とともに落とそうとした。
その途端、市川が走ってきて勢いのままに絢香さんを突き飛ばす。
小柄で体重の軽い彼女は吹っ飛ぶように倒れて廊下の向こうに転がった。
「ダメだ、このチョコレートは壊させない! 義理チョコ一つも貰えない俺たちが作り上げた希望の光だ! 俺だけの地母神なんだ!」
「貴様、絢香さんに何をする!」
僕が絢香さんの無事を確認しているうちに、先輩が市川に駆け寄っていく。
慌てて先輩の後を追い、二人が揉み合いになる前に引き離す。
「ポチ、離せ! このままじゃ私の気が収まらん!」
「危ないですから無茶しないで!」
先輩の腰を抱くようにして抑えるが、それでも彼女の突進は止まらず市川の所まで引きずられてしまう。
物凄い剣幕の先輩を前にして、市川は何を勘違いしたのかチョコレート像を庇うようにして立ちふさがる。
とりあえず逃げて欲しいのに!
「ダメだ。これは俺のチョコレートなんだ! お前たちに壊されるくらいなら、いっそ全てこの場で食べてやる!」
言うと同時に振り返ってチョコレート像に齧りつこうとする。
こんな量、食べきれるわけないだろ。
たとえイミテーションとはいえ、こんな奴に先輩を齧られるのは嫌だ。
今にもチョコレート像に齧りつこうとする市川の姿を見て、とっさに僕は《先輩が危ない》と判断してしまった。そして僕の両腕は先輩を抱きかかえていて。
だから、つい足が出た。
思い切り強く彼を蹴ってしまったのは仕方がない事、だったと思う。
結果として彼はチョコレート像を押し倒すように倒れ、そのまま階段の下に転げ落ちていく。
先輩を抱きかかえたまま、そっと階段の下を覗き込むと、粉々になったチョコレートの上でピクピクと痙攣している市川の姿が確認できた。
思った以上の惨状に、腕の中の先輩が僕を振り返って眉間にシワを寄せる。
「……ポチ、さすがにやりすぎじゃないのか?」
「ねえ、市川、大丈夫なの?」
絢香さんもそばに来て、階段下を見下ろしながらドン引きしている。
僕もここまでやるつもり無かったんだけど……。
「えーと、とりあえず怪我してないか確認します」
先輩から手を離して恐る恐る階段を降りる。
ゆっくり近づいて様子を確認すると痙攣しているのではなく、ただ泣いているだけなのが分かった。
彼は虚ろな目で天井を眺め、声を押し殺して嗚咽していた。
とりあえず意識はあるようだけど、大丈夫なのか?
「あの、大丈夫ですか?」
「……お、俺はただ、チョコレートが欲しかっただけなんだ」
彼は僕の呼びかけに、呻くように答えた。
その魂の慟哭とも言える言葉に思わず胸が痛む……いや、痛まないな。
うん、全く痛まない。
先輩に悪意を持ってるし、階段から落ちたのは自業自得とまでは言わないが、同情はできない。
市川が起き上がろうとしていたので右手を差し伸べると、彼は僕の手をジッと見つめた。
何だろうと思っていたら、涙を流したまま小さな声で呟いた。
「……愛が欲しい」
いや、そんな事言われてもな。
ちょっと、どうしていいのか分からない。
仕方ないから、その辺に散らばったチョコレートの欠片からなるべく大きいのを拾い上げた。
もう一度右手を差し出し、そっと彼の手にチョコレートを手渡した。
「義理ですけど。僕から市川さんへバレンタインのチョコレートです」
こんなんでいいのか、と思わなくもないが他に何も思いつかない。
こんな事、先輩や絢香さんに頼むわけにもいかないしな。
市川は目を見開いてこっちを眺め、次第に瞳の焦点が合っていく。
そして彼は滂沱の涙を流し始めた。
「こ、これがバレンタインのチョコレートなのか!」
驚愕の表情で手渡したチョコレートを眺め、泣き笑いの表情で僕を見る。
「ありがとう。なんと素晴らしい。ありがとう。君の愛は確かに受け取った。まさか卒業前にチョコレートを貰えるなんて、信じられない出来事だ。ああ、ありがとう。これも全て地母神さまの加護のおかげなのか」
いまだ階段上にいる先輩に向かい、土下座するように拝み出した。
いや、それ、あんたの地母神じゃねえから。僕の先輩だから。
言いたくなる気持ちをグッとこらえる。像が粉々になった原因は僕にもあるしな。
「本当にありがとう。君のことは一生忘れない。だけど俺は女の子が好きなんだ。君とは付き合えない。分かってくれ」
心底悲しげな顔で市川は言うのだが、そんな話どこから出たんだ?
僕の背後に隠れるようにしていた絢香さんが、笑顔で背を叩く。
「残念だね。ポチくん、フラれちゃったよ」
「最初から義理だって言ってます」
いまだ義理チョコ一個も貰ったことがない僕だけど。
まさか、あげる方が先になるとは思わなかった。