13-9 大地の女神
「さて、いちおう話は聞こうか」
倒れた男を見下ろして先輩が薄く笑う。
美人が静かに怒ると迫力あるよな。
事情聴取は先輩に任せる。
見つけた時は笑っていたけど、実はかなり不愉快だったようで。
横から口を挟むと、とばっちりを受けそうだ。
まあ、僕だって自分そっくりの像が廊下にあったら気持ち悪い。
彼が本当に製作者なのか知らんが、関係者なのは確かだろう。
絢香さんが言うには三年生の市川という人物らしい。
地味で、なんと言うか見た目にあまり特徴がない。
どのクラスにも必ず一人はいるよね、と言いたくなる感じだ。
「何の目的でこんなものを作ったんだ?」
色が付いてたら双子みたいなチョコレート像を指差して先輩が問う。
階段前の廊下に転がっていた市川はゆっくりと状態を起こして不敵に笑った。
「バレンタインていいよな」
そのまま胡座をかいて座り込み、眩しそうに目を細めてチョコレート像を見上げた。
「いつもは控えめな女性が勇気を出して愛を伝える素晴らしいイベントだ。その気持ちを品物に練り込めて渡すのも素晴らしい。さらにチョコレートは健康によくて素晴らしい。チョコレートは媚薬にもなり精力剤にもなる素晴らしさだ。甘い絆で結ばれたカップルがチョコレートを貪り食い、互いの愛を貪り合う。こんな素晴らしい事があるだろうか!」
何やら市川が長々と語り出したが、真面目に聞く気は全くない。
うっかり相手にするとロクな事が待ってないのは分かっている。
勢いよく市川は立ち上がり、仁王立ちで両の拳とともに天を仰ぐ。
「そう、すなわちバレンタインデーは子孫繁栄りためのイベントなのだ! なあ、そこの君! もし毎日がバレンタインデーだったら日本の少子高齢化問題なぞ、たちまち解決すると思わないかい?」
「はあ……」
無視しようと思ったのにさっそく話を振られてしまった。
こういう時、なんでか僕は絡まれやすい。
いろいろ思うところはあるのだが、とりあえずやる気のない相槌を打っておく。
「そして生徒会長だ!」
彼は仁王立ちのままビッと先輩を指差した。
「地母神のように豊かな胸はバレンタインのシンボルにふさわしい。まるでバレンタインのために生まれたような胸だ!」
……だからさぁ。
先輩は胸のことをネタにされるの、すごく嫌なんだってば。
もう、いっそ先輩の胸を取り外して押入れに隠したくなってくる。
「えーと、子宝に恵まれるのは鬼子母神では?」
うんざりしながら訂正をする。
地母神は豊穣の神で農作関係だ。
例えるなら園芸部とか美化委員会の方で、間違っても保健委員ではない。
「世界はどこまでも広く、俺のちっぽけな祈りなど届かない。毎日がバレンタインデーなど無理があるのは分かっている」
もちろん市川は僕の言葉なぞ無視して話を続けている。
「だが、この学校だけならどうだろう? 決して広くないこの学校だけなら俺の祈りは届くのではないか? この像を校門に飾って地母神の加護を受ければ、すぐにでも毎日がバレンタインデーになるであろう!」
輝く笑顔で僕らを見て、高らかに宣言して見せるのはいいのだが。
「えーと、要約すると《市川さんは女性と子作りがしたい》って話ですか?」
「違う、全然違う! そうじゃないんだ! それでもいいがそうじゃないんだ!」
地団駄を踏んで悔しがって肩を落とす。
そして絞り出すような呻く声でポツリと呟く。
「……お前らはバレンタインにチョコレートをもらったことがあるか?」
「まあ、それなりに」
「うん、けっこう後輩の女子とかくれるし」
先輩と絢香さんが顔を見合わせて言う。
それほど意外でもない話なのに、それを聞いた市川は拳を握りしめ、
「俺は一個もないんだよ!」
今にも泣きそうな顔で叫んだ。
「ちくしょう! なんで女がチョコレート貰ってるんだよ! おかしくねえか? 俺だって人生で一個ぐらい義理チョコを貰いたいんだよ!」
慟哭する市川を指差して、大して面白くもなさそうに先輩が言う。
「ポチ、喜べ。仲間だぞ」
「わーい。やったぁ」
抑揚なく返事をして不満を表現した。
こんなのと仲間扱いされても嬉しくない。
僕らが会話している間にも、市川の演説は休みなく続いている。
「だから俺は同志からカンパを集めて大型のチョコレートのプリンターを自作したんだ! 3Dデータはパソコン研究会、造形の調整は美術部、チョコレートの扱いは料理研の協力を得て完成した大作だぞ! 地母神像はみんなの義理チョコへの希望と憧れの結晶なんだ!」
予想していたよりも組織的だな。
先輩がスマホを取り出し、いま名前が出た部活をメモり出す。
彼の言葉に、絢香さんが納得したように手を打った。
「ああ、料理研行ったら追い払われたの、そのせいか」
「ふっ、協力を得る対価に大量の製菓用チョコを要求されたがね。高く付いたよ」
フッコさんが絢香さんを嫌ってるワケではなく、後ろ暗い事があったからか。
「ところで料理研て女子しかいなかったですよね?」
「うん。それだけ貢いても義理チョコが貰えないのは、市川の人間性に問題がないか?」
僕の疑問に先輩も頷く。
市川も大きく頷いた。
「それでも毎日がバレンタインだったら、いくら俺でも一個くらい貰えるはずだ。これは義理チョコを貰えない俺たちに残された、最後の女神なんだ」
熱い瞳で僕に訴えかけてくるのだが。
勝手に先輩をそんなもんにしないで欲しい。
「私は毎日バレンタインでも、好きな人にしかあげたくないぞ」
「そだねー。お小遣いにも限りがあるし、むしろ義理チョコ減りそうだよね」
「バカな! 毎日がバレンタインだと義理チョコは減るだと?」
先輩たちの率直な意見に、市川は目を見開いて驚愕の顔だ。
「ていうかさぁ、毎日がバレンタインデーだと単なる日常なんだし、チョコレートを贈る習慣自体が無くなりそう」
「ああ、そうですね。モテる男だけがたまに貰う感じになりますか」
「何てことだ……。それでは結局顔のいい男しか得をしないじゃないか」
何気ない二人の会話を聞いて、ガックリと市川が床に膝をつく。
いや、モテるかどうかは顔の問題じゃないと思う。
顔は大事かもしれないけど、それだけじゃないよな。
義理チョコすら貰った事がない僕が言っても説得力ないけどさ。