12-3 止まない雨
「なあ、ポチ。傘、余ってないか?」
あいかわらずで、挨拶も無しに藪から棒の一言だ。
何のことかと彼女を見返すと、両手を軽く振って説明してくれる。
「あ、いや、置き傘とか折り畳み傘のことだ。君が今日使う以外に、余分な傘を持っていないか聞きたいんだ」
「僕、今日は持ってきてないんですよ」
「天気予報で昼過ぎには降ると言ってたろ? 何も用意してこなかったのか?」
先輩は呆れ顔で言って絢香さんへ目を向ける。
「あたしも来るとき降ってなかったからなぁ」
彼女も肩をすくめて笑っている。
……え? いつから和室にいたんだ、この人は……。
「余ってるどころか、足りないのか……」
僕らの答えに先輩が頭を抱えてしまっている。
「ま、とりあえずコタツ入ってよ。茶菓子はあたし持ちでいいからさっ」
絢香さんがコタツ布団を軽く叩いて促すと、先輩はため息をついて入り口の襖を振り返る。
「聞いた通りだ。遠慮せずに入ってくれ。ついでに壁にある蛍光灯のスイッチも入れて欲しい」
先輩が声を掛けると、襖の陰から女の子が出てきた。
三つ編みお下げにメガネの大人しそうな女子だ。
言われたままに壁のスイッチを入れ、明るくなった室内を珍しそうにキョロキョロと見回しながらコタツのところへ歩いてきた。
□
「傘を盗まれた、のですか?」
「ああ、彼女はポチと違ってちゃんと天気予報を活用していたんだ」
四人でコタツに入って話を始める。
そう言えば、このコタツに四人とか初めてだな。
先輩は僕からお茶を受け取りながら、正面に座る三つ編みお下げを紹介してくれる。
「彼女は柴田——」
言いかけたところで言葉を止めて首を傾げる。
「彼女は一年生だから紹介なんかしなくても、ポチの方が詳しいか?」
「僕、学年丸ごとでハブにされてますから、女生徒の顔なんかよく分かってないです」
「今だになのか? 古代アトランティス人は何してるんだ?」
驚いた顔で言われたが、そんな簡単に変わるものでもないしな。
むしろあっさり変わったら、それはそれで人間不信が深まりそうだ。
「嫌がらせみたいのはだいぶ減ったし、クラス替えでちょっとよくなるのを期待してます」
「明日にでも、あいつに『もっと頑張れ』って釘刺しとくよ」
苦虫を噛みつぶしたような顔になって先輩が言う。
あんま気にしてないんだけどな。
僕としては、先輩が相手してくれてるだけで充分なんだし。
「えーと、つまり柴田さんは傘を盗まれてしまって帰れない、という話ですよね?」
「ああ、その通りだ。それ以上の話じゃないぞ」
「それ以上って言われても困りますけどね。とりあえず雨止むまで待ってみたら?」
三つ編みお下げの前にもお茶を置きながら言ってみる。
気後れしてるのか、彼女は小さく丸まって黙ったままだ。
居心地悪そうにしてるから、あまり長居はしたくないだろうけど。
「今日、雨やまないよ?」
「あ、そうなんですか?」
絢香さんが空になった湯飲みを僕に差し出しながら言う。
あまりに当たり前のように言うから僕は素直に納得したのだが、先輩は怪訝な顔になる。
「絢香さん、午後には雨が降るのを知ってたのに、傘持ってきてないんですか?」
「無精者にありがちだよね」
クッキーを齧りながら屈託なく笑っている。
僕も同類なので一緒になって笑っておく。
他の二人の視線がちょっと痛い。
「私だって無精ですけど傘くらい——。いや、それはいいとして、絢香さんはどうやって帰るつもりだったんです?」
「ん、相合傘、狙ってたんだけど、まさかポチ君も同じ魂胆だったとは」
またペタッとコタツに突っ伏すようにしてクスクス笑う。
そんなの狙ってないですよ。
そりゃ妄想だけならしましたけどね。
気恥ずかしいし、先輩に迷惑じゃん?
ちらっと先輩の様子を窺うと何か考え込んでいた。
少しして考えがまとまったのか。
湯飲みのお茶を一気に飲み干すと僕に手渡し、大きく頷いた。
「うん、雨が止むまでは待てないんだ」
「そりゃ明日まで降るみたいですし、泊まり込むわけにも——」
「いやいや、そういう話じゃない」
僕の言葉を遮って先輩が説明を始める。
「柴田は今日、デートなんだ。うん、羨ましいな」
僕の顔を正面に見て、ちっとも心の篭ってない口調で先輩は言う。
「駅前で待ち合わせして一緒に流行のラブロマンス映画を見に行くそうだ。うん、羨ましいな」
いや、そんなタイトルも分からん映画の話されてもな。
先輩も淡々としてるし、全く興味無いよね、その映画?
「その後、帰り道で彼女から告白をする予定らしい。うん、羨ましいな」
……もしかして《羨ましい》が彼女の中で流行っているんだろうか?
それはそうと気になるのは、さっきから僕の顔を見ているのはなぜだ?
もしかしてアイコンタクトで何か伝えようとしているのか?
しかし話の流れに不自然なトコなんてなかったぞ。
あえて言えば先輩が全部喋ってる事くらいだが、そこまで珍しい事でもない。
女生徒の相談者だと先輩の口数が妙に増えるのだ。
アイコンタクトを諦めたのか、先輩はフイッと視線を外す。
「まあそんなワケで時間が決まってる。すでに待ち合わせまでのカウントダウンが始まってると思ってくれ」
つまり、解決まで時間がかけられないって事か。
午後から急に強く降り出した雨。
僕らに限らず傘を持って登校しなかった無精者は多そうだ。
普通に盗難されたんだろうなぁ。
犯人、もう学校にいないんじゃないか?
「ねえ、もうすぐバレンタインなのに、なんで今日告白なの?」
ふと絢香さんがコタツから顔を上げて素朴な質問をする。
先輩も胸の下で腕組みをして頷く。
「ふむ、言われれば確かにそうだな。告白をバレンタインまで伸ばすことは無理なのか?」
「……ちょっとライバルみたいのがいて」
二人から聞かれて、ようやく一年の女子は口を開いた。
へー、この人、こんな声だったのか。
見た目のイメージと違うワケでもないが。
どこかで聞いたような感じがする、親しみが持てる声だった。
「早めに告白したいんですよ。バレンタインまで待っちゃうと彼女も勝負かけてくると思うから、先手を打って行動したくて」
どことなく、うんざりした顔で言う。
「バレンタインに正々堂々と勝負する手もあるのではないか? 早めの告白で勝算があるのなら、どちらでも一緒なのでは?」
「あたし、あの人、元からあんまり好きじゃないんですよ。まともに張り合うより、先手打って一泡吹かせたいですね」
三つ編みメガネの大人しそうな見た目なのに、言動は結構攻撃的だ。
手元で自分のお下げを弄びながら、顔を歪ませて悪態をつく。
「いちいちマウント取ってくるし、なんか最近はエコロジーにハマって、何かっていうとエコエコうるさくって。昭和のホラーマンガかよ」
僕には何のことだか分からなかったが、先輩は笑ってる。
絢香さんもポカンとしてるから、まあ分からなくても問題ない話なのだろう。
先輩は軽く肩をすくめて僕に向き直る。
「まあ、そういうわけだ。ポチは傘がないんだろ? 彼女の傘を早急に取り戻せたら、私と相合傘で帰る権利をあげよう」
「え? これ茶道部でやる話だったんですか?」
「あたしは? ねえ、あたしだけ濡れて帰るの?」
絢香さんがなんかアピールしてるが、この際それは放っておこう。
やばいな。そんなつもりなかったから適当に話を聞いてたぞ。
焦って今までの会話を思い出していたら、先輩に笑われてしまった。
「まあ見つからなくても、私の傘を柴田に貸せるからあまり難しく考えるな」
「でも、そしたら先輩が濡れるじゃないですか。カゼひきますよ?」
「告白デートにびしょ濡れよりはいいだろ? 三人で一緒に濡れて帰ろう」
肩をすくませて軽く言う先輩に、絢香さんが不満の声を出す。
「あんた卒業式で送辞やるんだし、カゼひかれたら困るんだけど」
「それを言ったら絢香さんは答辞以外に卒業生代表の挨拶だってやるのでしょう? カゼひいたら絢香さんの方が影響大きいです」
「あのね、あたしはあんたと送辞・答辞のやりとりしたいの。他の誰かとかヤだからね!」
意味のない口論になりかけた二人の間に三つ編みメガネが割って入る。
「あの、あたし自分の傘がいいんですけど……」