12-2 心残りはどこにある
「あいつ、まだ来てないの?」
寝乱れた制服を直しながらあたりを見回している。
彼女が身だしなみを整えているうちに、一度台所へ戻ってお茶の準備をする。
「先輩は生徒会の仕事ありますから、もう少し後になるかと」
「そんなの適当にやっときゃいいのにね」
元生徒会長とは思えない言葉を口にしながら笑っている。
僕が戻ったら、膝立ちになって素早い動きでコタツの反対側に周って座り直す。
「さすがに二人きりだと、ちゃんと距離を取るんですね」
お茶の用意をしながら軽口を叩くと、彼女は少し不愉快そうに肩をすくめる。
普段の絢香さんはスキンシップ多めな人だけど。
寝ている時に体へ覆いかぶさってしまったのは、やはり怖かったんだろうか。
ちょっと悪いことしたな。
手早く淹れ直したお茶を手渡す。
もう面倒くさいから僕の湯飲みをそのまま使ってもらう。
「ん、最近、ちょっと距離近過ぎたって反省してるの。いろいろ誤解されたくないじゃん?」
「あれ? そういうの気にする人だったんですか?」
両手で湯飲みを受け取りながら、けっこう意外な事を言った。
「……あたし、けっこう男の子には警戒するよ?」
「知ってます。そっちじゃなくて、『誤解されたくない』ってのが意外でして」
「ん、だってさ——」
絢香さんも猫舌なのか、両手で抱えた湯飲みを息で吹いて冷ましてる。
こういう仕草は子供っぽいよな。
「どうでもいい奴も多いけど、誤解されたくない相手だっているじゃん? 君だってあいつには誤解されたくないでしょ?」
恐る恐る湯飲みに口を付けながら、当たり前の顔で言う。
どうだろう?
言われたことを頭の中で考えてみる。
僕が絢香さんと仲良くしたら、何か誤解が生まれるのか?
先輩から見れば《絢香さんがうちの犬を撫でてる》程度の出来事だろうし。
飼い犬が飼い主より他の人に懐いてる、というのなら面白くも無いだろうが、そういう話でもないしなぁ。
「誤解も何も、あの人、たぶん何も思いませんよ」
キッパリと断言したら、睨むような目で反論されてしまった。
「なんか思うに決まってんじゃん! ちょっと考えれば分かるでしょ?」
「えーと、犬好きの人なら、他人が自分の犬を可愛がるのを見て喜ぶ、という事ですか?」
「……何で、ちょっと考えた結果がその答えなのよ?」
ため息とともに呆れ顔をされてしまった。
もうこの話題を続ける気力がなくなったらしい。
もぞもぞとスカートに手を回して、僕にクッキーを手渡してくれる。
「ところで絢香さん、何でここにいるんですか?」
「あたし、ここの部員だし。別にいいでしょ?」
もらったクッキーを食べながら聞いてみたら、当たり前の顔で思ってもみなかった答えが返ってきた。
「……そう、なんですか?」
「そうなの。あたしも夏休み入るまで知らなかったけど」
「えーと、絢香さん、ヒマなんですか? 他にやる事ないの?」
「そんな冷たい事言わないでよ、君たちに会いにきたんだから」
「先輩ならともかく、僕に会っても面白くないでしょう?」
「いやいや。あたし、卒業前に君に言っておきたい事あるし。せっかく二人きりだから、いま言うけどさ」
湯飲みをコタツの上に置いて大真面目な顔になる。
なんだろう、と思って居住まいを正すと、絢香さんも居住まいを正す。
おかげで真正面からバッチリ目が合う。
「……あの、さ」
ふいっと視線を逸らして、ちょっと照れたような笑顔で話を切り出した。
「夏休み前の事なんだけど。野球部の話、あったじゃん」
「あれ、酷い話でしたよね」
野球部の一件は僕らが《会長案件》を嫌がるようになったキッカケの一つだ。
結果として野球部は廃部になったし、被害者だったマネージャーは学校を辞めた。
思い出す限り、とても照れた顔で話すような内容では無かったはずなのだが。
「あのとき、君だけがあたしを信じて動いてくれた。嬉しかったよ。ありがとう」
そう言って絢香さんはゆっくり頭を下げた。
まさか半年以上前の話で頭を下げられるとは思わなかった。
戸惑っている僕の顔を上目遣いで確認すると、ニヘッと笑って肩をすくめる。
「ちゃんとお礼を言ってなかったからさ。卒業前に言っておきたかったのよ」
エヘヘと声に出して笑い、コタツにペタッと突っ伏した。
「よかったぁ。ちゃんと言えたぁ」
「そんな気にする話でしたか?」
「ほら、あたし、最初の頃、ポチ君に当たりきつかったし。ホント、ゴメンね」
「すごく警戒してましたよね」
「ん、あいつ、男に縁ないヤツだったからさ」
美人でグラマーな後輩が、唐突に得体の知れない一年とつるみだしたのだ。
おかしな事になってないか、と疑うのは当然だと思う。
「いよいよ卒業が近くなったら、思い残しが気になってさ。この夏服も、もう二度と着ないと気がついたら名残惜しくなっちゃって」
体を起こして白いセーラー服の胸元を摘んで見せる。
そんな理由で夏服だったのか。
寒いだろうに、よくやるなぁ。
感心してたら、こっちの心を読んだようなことを言う。
「あたし、けっこう暑がりだから」
「絢香さんは夏服、似合ってますしね」
何気なく褒めたら嬉しそうに笑う。
「そう? じゃ、卒業式もこれで行こうかな?」
「それ、悪目立ちしますよ。写真とかにも残りますから」
「でもせっかくポチ君が褒めてくれたんだし。一緒に写ろうよ」
「うちって卒業式は在校生休みって聞きましたが?」
「そこはそれ。執行部に混ざって出席しとこう!」
きっぱりと言って僕の手にクッキーを握らせてくる。
もしかして賄賂かなんかのつもりなのだろうか。
「それでもって校門前で花束持って待ち伏せして『いなくなるのが淋しいですぅ』って泣いてよ!」
「それ執行部の人がみんなでやってくれますから」
「いやいや、あいつらけっこうドライだし、そこまで慕われてないから」
いかにも残念そうに肩をすくめるが、そんなことないと思う。
少なくても先輩は花束で待ち伏せくらいやりそうだ。
変なサプライズ込みで、の話だけど。
「無理して来いとは言わないけどさ。当日の送辞はあいつだよ。見てみたくない?」
「ぜひ出席させてください!」
「即答なの? ねえ、もうちょっとあたしにも価値を見出してよ! いま膝付き合わせてお茶飲んでる仲じゃん?」
コタツ板をバンバン叩いて抗議してくるから笑ってしまう。
まったくもう、とぼやくように肩をすくめてお茶を啜っている。
玄関の戸を開く音がして、ようやく先輩が顔を出す。