先輩と絢香 4
「絢香さん、コタツが見つかったんですよ!」
下駄箱の前で唐突に後輩に声をかけられた。
「うん、わかった。靴履くからちょっと待って」
あしらうように言って、絢香はゆっくりと靴を履き替える。
満面の笑みで声をかけてくるあたり、また男がらみで何かあったのだろう。
正直、あまり聞きたくない。
エロ本の処分も手伝わされたし、自己嫌悪に陥るようなこともあった。
疲れる1日だったので、他をあたってくれたらありがたい。
だけど後輩は絢香が靴を履くのを黙ってじっと待っていた。
「お待たせ。じゃ行こうか?」
絢香は微笑んで玄関に歩き出そうとすると、後輩は慌てた様子で引き止める。
「待ってください。私はまだ上履きのままなんです」
「あんた、いま何を待ってたの? ――で、コタツがどうしたって?」
大急ぎで靴を履き替えている後輩に声をかける。
彼女は下駄箱に上履きを放り込むと、笑顔で振り向く。
「うん、私たちの和室にコタツがあったんです」
「……それはようございました」
つい気のない返事が出てしまう。
だが後輩はそんなことを全く気にせずに話を続ける。
「そうなんです。これは期待していいと思うんですよ!」
「え? なんかあるの?」
コタツで何かするのだろうか?
思わず聞き返すと、後輩は嬉しそうな顔をして絢香を見た。
「だってコタツですよ? 二人で一緒に入ったりしたら仲良くなれそうな気がしませんか?」
「あんたたち、とっくに仲良いと思うけど?」
そんな段階はとっくに過ぎてると思うのだが。
あるいは、もっと何かエロいことでも企んでるのだろうか?
「あんたはコタツに期待しすぎ。そんなこと考えてないで、たまには一緒に帰ったら?」
「い、いえ。そういうのはまだ私たちには早いと思うんです」
頰を赤く染めて顔の前で手を振っている。
「早いも何も、そういうとこから始めるものでしょ?」
「そうなんですか? 絢香さんは物知りですね」
これで人を馬鹿にしてるわけじゃないんだからなぁ。
隣を歩きながら、絢香は深いため息をつく。
「だいたい、あんたの言う《仲良くなる》って何を指してるの?」
「ええと、まあ、その……」
言い淀んだあげくに真っ赤になって足を止めてしまった。
まだ校門も出てないのに、帰宅にどれだけかけるつもりだ。
もしかして、ホントにコタツでエロい事をするつもりなんだろうか?
思わず絢香が後輩をジッと見ていたら、彼女は突然思い出したように叫ぶ。
「ポチの家に遊びに行く約束をしたんです!」
「分かったから、歩こうね?」
後輩の手を引っ張って、絢香は早足で歩き出す。
最終下校時刻間際とは言え、校門周辺にだってそれなりに人はいる。
周りの視線がちょっと痛い。
だけど後輩はそんな事お構いなしで喋り続ける。
「今度、彼の家に行く約束をしたんですよ。なんなら絢香さんも一緒に行きますか?」
「はあ? あたしが行って何すんのよ?」
どう考えたって邪魔者にしかならないだろうに。
それとも和室から出てきたコタツでも運びたいのか?
呆れた顔で後輩を見れば、案外と切実な表情で絢香を見ていた。
「だって一人で行くの怖いじゃないですか。家族とかいるんですよ?」
――そりゃいるだろ。
当たり前の話なのに、何をおびえているんだか。
まあ気持ちはわからなくもないけどさ。
絢香はため息とともに後輩に聞く。
「……で、いつ行くの?」
「決まってませんが」
彼女はキョトンとした顔で返事をする。
ただそういう話をしただけらしい。
「そういうの約束って言わないから!」
「そ、そうなんですか?」
後輩はうろたえながらも、絢香の指摘に首を振る。
「いえ、確かに『近いうち』とだけしか言ってませんが、約束はしているハズです」
胸を張って言い張っているが、何も決まっていないと言っているのに等しい。
いや、むしろきちんと約束しているよりタチが悪い。
「……今日の夜、いきなり押しかけたりするなよ?」
釘を刺すつもりで言ってみたら、後輩は心から残念そうな顔をした。
「そうしたいのは山々ですが、あいにく住所を知りませんので」
やる気満々の回答に絢香は頭を抱えたくなる。
こいつは夜中に押しかけて何するつもりなんだ。
「絢香さんが一緒だとポチも喜ぶと思うんですよ」
意味不明な事を言って、後輩は絢香を見つめている。
「喜ぶわけないじゃん。困らせるだけだよ」
「いえ、ポチは絢香さんみたいな女性が好きですから、絶対に喜びます」
何を根拠に断言するのかと思ったら、彼女はため息交じりに付け加える。
「だって山のようなエロ本から、迷わずロリを選びましたから」
「面と向かってあたしにそれを言うか? おい、表出ろ、こら!」
絢香に『ロリだから好き』が禁句なのは周知の事実だ。
苦笑しつつ腕まくりしながら後輩に言うと、悲しそうな顔が返ってきた。
「彼は私が拾った《胸の大きな女性》が写ってるエロ本に全く興味を示さなかったんですよ? なのにロリは自分から手に取ったんです!」
嘆くように言っているのだが、全く意味がわからない。
「ちょっと待って。今日の話ってどんな話だったの?」
校庭の大焚き火を消しに行っただけなので、いまいち全体が分かっていない。
大量のエロ本があったのだけは知っているが、それだけだ。
「私だって説明できませんよ。ポチが《胸の大きな女に興味があるのか》を知りたかっただけなのに、どうしてあんな事になったのやら」
ブンブンと腕を振り回して言っているのだが、つまり拾ったエロ本で好きな男の性的志向を知ろうとしてたのか?
「……そんなの直接聞けばいいんじゃない?」
「それで『嫌いだ』って言われたらどうするんですか? そんな事になったら私は自分の胸、包丁で切り落としますよ!」
涙目になってとんでもない事を断言する。
「だから一緒に来て欲しいって言ってるんです! ポチ好みの絢香さんが一緒にいたら、私ももう少しポチと仲良くなれるじゃないですか!」
もう、いろいろと話がおかしいのだが、どこに突っ込んだらいいのやら。
彼が自分に興味ないのは、絢香自身よく分かっている。
どう考えても、こいつの付属物程度にしか思われてないんだけどな。
「そうだ、ポチの部屋に入ったら家捜ししてください! 私はするなと止められているので代わりにして欲しいんですよ。何か絶対に出て来ますから!」
まるで《とても良い提案》をしているかのような顔で後輩は語っている。
いちいち巻き込んで欲しくないんだけどな。
卒業も近いし、むしろ距離を置こうかと考えていたくらいなのに。
絢香は諦めの深いため息を吐く。
実際、こんなとっちらかった女が一人で現れたら、ポチの家族だって困るだろう。
ほっといたら何しでかすか予想もつかない。
「ああ、もう、わかった。一緒に行くから。どんだけ邪魔にされても付き合うから。なんならあんたたちの邪魔もするから」
「ありがとう、絢香さん。一緒に仲良くなりましょう」
後輩は絢香の手を握って礼を言う。
――こいつ、分かってて言ってるのかなぁ。
呆れながら思うが、何も考えてないに決まってる。
だから絢香は肩をすくめて、いつものように笑顔を向ける。
「ん、そうだね。仲良くなれるといいね」