11-3 薄暗い廊下で
先輩が最初に提案した作戦は《廊下に吊るして釣れるのを待つ》だった。
人気のない薄暗い廊下に、ジッパー付きのビニール袋に包まれたエロ本が揺れている。
掃除用具入れの陰に隠れながら、落とし主が現れるのをじっと待つ。
罠を仕掛けてから何分が過ぎただろうか。
すごく密着しているから上着越しでも先輩の体温が伝わってきた。
ほとんど抱きしめているような位置にいる彼女の香りでクラクラする。
さすがに我慢しきれなくなってくる。
「……先輩」
「しっ。静かにするんだ。犯人に気づかれたらどうする?」
落とし物なのに、いつの間にか《犯人》になってる。
気持ちは分かるが、ちょっと酷い。
不満げな先輩の肩を押して体を離すと、それもまた文句のタネになる。
「離れるなと言っておいたのに、なぜ私と距離を取る? こんな丸見えでは隠れている意味がないではないか!」
最初から隠れられていないんですけどね。
二人が隠れるには掃除用具入れは小さすぎる。
「それとも君は、私と密着しているのがそんなに嫌か? 隠れ始めてからまだ3分と経っていないんだぞ!」
……まだ3分しか経ってなかったのか。
緊張してると時間の感覚っておかしくなるよね。
先輩と密着するのに文句なんかないんだけどさ。
あえて言えば、せっかく側にいるのに頭しか見えないのが残念だけど。
傍目からは抱き合ってるように見えてしまうのって、あまり良くないんじゃないか?
誰かに見られたら誤解を生みそうだ。
まあ和室前の廊下だから、人目は気にしなくてもいいんだろうけど。
それはそれで問題だよな。け
「えーと、この廊下は人通りが少なすぎると思います」
なにしろ放課後に人が通るのが稀な場所である。
どんな罠を仕掛けても、引っかかる人がそもそもいないのだ。
「言いたいことは分かるが、こんなの人が多い場所に仕掛けられないぞ」
憮然とした表情で先輩が言う。
なにしろ餌が18禁のエロ本だ。玄関とかに吊したら別の騒ぎになってしまう。
「もともと落ちていた場所に仕掛けるべきなんじゃないですか?」
犯人は現場に戻ってくるって言うしさ。
このエロ本が大事なら落とした場所を探してるハズだ。
なのに先輩は平然とした顔で言う。
「拾った場所なんて聞いてないぞ。そんなの知ってたら、まずそこで張り込んでる」
なるほど。もっともな話だ。
張り込み好きの先輩が、現場に足を運ばない時点で気がつくべきだった。
「君は風紀委員会のやる気のなさを甘く見ている」
つまらなそうに言って、グイグイと僕を掃除用具入れの陰に押しもどす。
「あの、先輩。このやり方はあまり効率的とは言えないのでは?」
「じゃあ、どうしろって言うんだ。臨時で生徒総会を招集して全校生徒の前で『このエロ本は誰のだぁ!』とでも叫べばいいか?」
壁際に押し付けた僕に抱きつきながら、先輩が上目遣いに睨んでくる。
この距離で顔が見れるのはちょっと嬉しいんだけど。
「えーと、犯人にみつからないように隠れるにしても、ちょっと僕らはくっつきすぎな気がします」
先輩は僕の上着のボタンを外し、脇の下に手を差し込んでくるもんだから、さすがに恥ずかしくて照れるというか。
廊下にエロ本が吊ってなかったら、ただイチャイチャしてるアベックにしか見えないぞ、これ。
先輩は僕を見上げたまま、悲しげな顔をする。
「……ポチは平気なのか?」
背中に手を回し、ぎゅっと力を入れて僕を抱きしめながら何か訴えるような目をしている。
少しだけ彼女の体が震えていた。
「私はもう我慢できないんだ。頼む、このままでいさせてくれ」
「……でも、いつまでもこうしてるワケには」
先輩を驚かせないようにゆっくりと手を動かし、そっと彼女の頬に触れる。
初めて触れる彼女の頬は驚くほどに冷たかった。
「ポチの手は暖かいな」
嫌がる素振りも見せず、先輩は上目遣いに僕を見て微笑む。
「えーと、先輩って冷え性なんですか?」
「言いようってモノがあるだろ! 普通に寒いんだから震えもする!」
「廊下は暖房、効いてませんものね」
寒いの苦手って言ってたもんな。
ため息とともに僕から離れると、地団駄踏むみたいな動きをして体を温めようとしている。
「一度、和室に戻りましょうよ。この作戦はいろいろ無理があります」
先輩の背を押して移動を促すと、彼女は首を横に振る。
「いや、よく考えたらこの手の探し物が得意な人物がいたよな。物は試しで彼女を頼ってみよう」
「そういう心当たりがあるんなら、最初からそっち行きましょうよ」
呆れて言うと、彼女は苦笑しながら僕の手を取る。
「まあ、そう言うな。私はけっこう楽しかったぞ」
屈託のない笑顔で言うので、何も言い返すことができなかった。
「うん。やはりポチの手は温かいな」
「そうですか? 先輩の手が冷えてるだけですよ」
先輩は繋いだ手をじっと見つめて呟くように言う。
「とりあえず、このままでいいか?」
「人目もないし、いいんじゃないですか? 温まったら反対の手にしましょう」
エロ本を回収した僕らは手を繋いだまま、ちょっと浮かれ気味に廊下を歩く。