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先輩とみゆき 8

 さて、この女をどうしたものか。

 すっかり日が暮れた公園でみゆきは悩む。


 クリスマスにあれだけ浮かれていたのに、新年早々に凹んでいる。

 この短い期間に何があったのかと思うのだが、どうせ男がらみと分かっている。


 暗い公園で魂の抜けた顔をして一人でブランコを漕いでいる姿を見た時は、このまま気がつかなかったフリをして帰ろうかと迷ったのだが。


 どう考えても、そっちの方がややこしくなりそうなので仕方なく声をかけることにした。


 砂場に置き忘れられていたバケツを拾い、そっと友人の前に差し出す。


「悩み事があるなら、このバケツに吐くといいよ」

「みゆき、私は乗り物酔いしてるんじゃないんだ」


 情けない声で泣きそうな顔をして見上げてくる。

 その深刻そうな表情にほだされて、みゆきはブランコの柵に腰掛けて友人と向かい合う。


 どうやって話を聞こうかと思ったが、そんなこと考える前に向こうから話を切り出して来た。


「なあ、みゆき。もしかしてポチは絢香さんに気があるのではないだろうか?」

「へ? アヤカって前の生徒会長だった神岡先輩の事?」


 意外な名前が出て来てみゆきは戸惑う。

 あの男が神岡先輩に?


「そうなんだ。最近、様子が少しおかしくてな。一緒にいるとすぐ隣に座るし、廊下を腕組くで歩いたりしてるんだ。体をよく触られてるが嫌な顔してないし。あれは絢香さんに惚れているから、そういう行動になるんだよな?」


 言われて、みゆきは考えこむ。


 女性の隣に座るのさえ固辞してた彼がそんな事をしてるのか?

 体によく触るとか、下心がないと普通はしないのでは——。


 ——ん? 今こいつ、なんて言ってたっけ?


「ちょっと待って。誰が誰の体を触ってるって?」


 確認のために聞き返すと、友人は困った顔で説明をする。


「絢香さんがよくポチの体に触れるのだが、彼はまったく嫌な顔をしないんだ」


 今にも泣き出しそうな顔で友人は言うが、みゆきの困惑は深まるばかりだ。


「ええと、すぐ隣に座るのも、腕を組んでくるのも、もしかして神岡先輩の方からなの?」

 

 念のために聞いて見たら、彼女は素直に頷いた。


「最近は顔を合わせると、いつもそうなんだ。別に絢香さんに嫉妬しているわけじゃなくて、むしろ嫉妬すらできない自分が悲しくて。途方に暮れてここにいたんだ」


 情けない笑顔を作って彼女は言うが、どう考えても気があるのは彼ではなくて、あっちの方だ。


 記憶を辿って神岡絢香という人物を思い出してみる。


 すごい美少女なのは間違いない。

 ただ人間性となると何も知らないと言い切れる。


 付き合いのある人じゃないし、大会で記録を出して校内表彰をされた後、舞台袖でほんの数秒だけ言葉を交わしたことがある。


 その時の記憶では、明るくて朗らか。笑顔の絶えない気さくな人、という印象だ。

 腹黒いという噂も耳にしたことがあるが、みゆきにはよく分からない。


 目の前の友人がとても慕っているのは知っているが、言ってしまえばそれしか知らない。


「ポチは絢香さんに指輪あげたしな。たぶん、もう私なんかどうでもいいんだ」

「え? 指輪って、なにそれ? ポチくんが神岡先輩にあげたの?」


 ——それ、本当にヤバいんじゃないのか?


 そんな事したら、その気がない奴だってその気になるだろ?

 彼は何を考えてそんな事したんだ?


 しかも神岡先輩かあ。


 そのうち、そんな女も出てくると予想はしていたが。

 実際に出て来た相手はかなり予想外の女だった。


 見た目は完全にロリなのに、瞳の奥に年相応の知性と強い意志が宿っていたのを覚えている。

 その上で人当たりのよい笑顔が絶えない人だ。


 あれはモテる。


 目の前の《クールビューティー》とか呼ばれながら、その実ぼんやりしてるだけの泣き虫とは比較にもならない。

 あんなのに言い寄られたら、大概の男がコロッと行きそうだ。


 あの人、男なんか選び放題だろうに。

 よりによってポチくんに目をつけるか?


「ねえ、神岡先輩っていま彼氏いないの?」


 軽い気持ちでからかってるだけ、という可能性もあったが、友人は小さく首を横に振る。


「絢香さんは男性と交際した経験なんてないぞ。むしろ男嫌いの気がある方だ」


 ごく普通のことのように友人は言う。


 ——あ、なんか腑に落ちた。


 彼氏を作ったことがない、と聞いて納得するものがあった。

 それは理屈というより感覚に近いのだが、なんで彼なのか急に理解できた気がする。


 ——要するに、こいつと一緒だ。


 言い寄ってくる相手に全く興味を持っていない。

 自分がいいなと思った相手しか欲しくないんだ。


 ある意味で自分に自信があるのだろう。

 自分の価値を《言い寄ってくる男》で確認しようと思わないのだ。


 みゆきが、そんなことに意味がないと気がついたのはインハイで好記録を出してからだ。

 自分の価値は数字で出る、と理解するのがもう少し早かったなら、男女交際なんてまるで縁のない高校生活になっていたはずだ。


 よほど気に入った男の子に出会わなければ。


 仲がいいのが羨ましいとか、同じように大切にされたいとかじゃなくて。

 たぶんそんな難しい話じゃなくて。


 ——こいつと神岡先輩は男の趣味が似てるんだ。


 うわぁ、めんどくさい。


 思わずみゆきは頭を抱えたくなる。


 落ち着け。そうと決まったわけじゃない。落ち着け。

 動揺している自分に、心の中で何度も落ち着けと呼びかける。


 神岡先輩のことはよく知らないし、自慢じゃないが自分はかなり脳筋だ。

 だから、こんな想像が正しいとは限らない。


 でも万が一にも当たってたら。

 この推測が間違ってなかったら。


 あの人、ガチじゃん?


 マジでポチくんが好きなのかも。


「なあ、みゆき。どうしよう? 絢香さんが相手では、私なんかどうにもならない」


 すがるような目で友人はみゆきを見るが、どう言っていいのか分からない。


「ええとね、ポチくんは巨乳マニアだと思うよ」


 とっさに出たのが、こんな言葉だったのは自分でも情けない。

 だけど友人はそれで希望を持ったようだ。

 

「そうなのか?」


 食いつくように聞いてくる彼女の瞳に少し光が戻っている。


「そうそう。あたしも言い寄ったコトあるけど、簡単にあしらわれたもん。あの子、胸がない女に興味ないよ。大きい方が好きなんだよ」

「待ってくれ、みゆき。その話、初耳なんだが?」


「あれ? 言った事なかったっけ? まあ軽い冗談だったし、向こうも本気にしてなかったと思うから」

「そういうのはあまり感心できない種類のジョークだぞ。相手が本気にしたら冗談で済まなくなる」


 とっさに言い訳をしたら、なんとなく納得してくれた。

 スタート前みたいに心拍数が跳ね上がってる。額の汗を拭いたいのを必死で堪える。


 あれは本当に軽い気持ちで言っただけ。

 マジで付き合おうなんてつもりは全くなくて。


 でも本気で考えてから断ってくれたのは嬉しかった。

 そこがなんだか後ろ暗い。


「みゆきはいつのまにそんな事をしてたんだ。気軽に言い寄れるなんて羨ましいよ」


 ぼやくように言いながら、友人はいつものように長い髪を掻き上げようとする。

 カチューシャで抑えられた髪は掻き上げるほど顔にかかってなくて、彼女の白い指が夜目にもハッキリと——。


 見えた瞬間、みゆきは友人の右腕を掴んでいた。

 一瞬で二メートル近い距離を詰めてきたみゆきに彼女は目を丸くしている。


「ねえ、これ、なあに?」


 笑顔を作って力任せに右腕を友人の顔前に持っていく。

 空いてる方の手で、彼女の薬指を指差した。


 いったい、いつから着けていたのか。

 友人の薬指には、輝くようなシルバーリングが嵌っていた。


「……ポチにもらったんだ。手作りで、よくできたからって。手を出したら薬指に嵌めてくれて。いつも世話になっているから、そのお礼だって言ってた」


 淡々とした口調で彼女は説明する。

 みゆきは笑顔で右腕を掴んだまま、友人に問う。


「ねえ、このまま、あんた、投げ飛ばしていい?」

「待ってくれ、みゆき。報告をしなかったのは悪かったが、ちょうどその時期はうまく顔を合わせられなくて」


「同じクラスなんだから、いくらでも言うことできたでしょ!」

「しかし、教室でポチの話をするのは恥ずかしくて」


「あんたが一年の男の子に色ボケしてんのなんか、クラスの大半が気がついてるよ! グタグダ長話聞せといて、手作りのリングを貰ってた? しかも彼から薬指に嵌めてもらったって。そこから、どうして他の女に色目使ってるって話になんのよ!」

「い、色ボケ?」


 ビックリした顔で友人は言うが、どう考えてもビックリしたいのはみゆきの方だ。


「しかし、このリングは絢香さんとペアなんだよ。ポチは工作したかっただけで、人にあげる事に意味はないんだ」


 困った顔の友人の説明で、膝の力が抜けてくる。

 思わずブランコに座る友人の前にしゃがみ込む。


 ほんと、こいつらは意味わかんない。


 好きな女に指輪を贈って、それと同じものを他の女にもあげるとか、どういう事だ。

 受け取りようによっては、二人にマーキングしてるも同然なのに。


 長いため息が口から漏れる。


 たぶん、彼も何も考えてないんだろうなぁ。

 そうでなきゃ、こんな奴と一緒にやってけるわけがない。


「あのさあ、めんどくさいからポチくん、押し倒しちゃえよ」


 ブランコに座っている友人を見上げて、みゆきはワリと本気で言った。


「さっさと自分のものだってマーキングしなさい。それであんたの悩みは解決するから」


 言った途端に友人はただ泣きになった。

 いま、泣くような話をしたかと訝しんでいたら、彼女は絞り出すような声で言う。


「ポチは私の事なんかどうでもいいんだ。さっきだって下着を見せたのに、まったく興味を見せなかったし」

「え? あんた、ポチ君に下着見せたの?」


 いくら何でも積極的すぎだろ?

 たった今、押し倒せと言った事も忘れて、みゆきは思う。


「いや、見せたというか、見られたと言うか。事故みたいな物だったのだが……」

「それは興味を示さないのがマナーなのでは?」


 小学生男子みたいに『パンツ見えた!』なんてハシャぐ男じゃなくてよかったじゃん。

 むしろ喜ぶべきことだろうに、友人は泣きやまずに話を続ける。


「それにマーキングはもうしたんだ。クリスマスイブの日に」

「え? そうなの? いや、待って。……何したの?」

「嚙んだ。歯型を付けた」


 どこの獣だ、お前は!


 突っ込みたくなるのをなんとか堪えた。

 そうか、噛んだのか。


 意味わからん。


「だけどポチは私を噛むのは嫌だって言うんだよ。私なんかにマーキングしたくないんだよ。私は噛んで欲しかったのに」


 ボロボロと涙をこぼしながら言っているのだが、ちっとも共感できない。


「あのね。あたしが言ってるマーキングってそういう意味じゃなくて」

「わかってるよ。だけどポチには意志がある。私なんかより他の女がいいって言うんなら、私が無理にどうこうするなんて、酷いじゃないか」


 そうなる前にそうしろよと言ってるんだけどな。

 押し倒すのがダメで噛むのはOKってのも理解できない。


 だけど、それで精一杯だったんだろう。


「大丈夫。勇気を出せばきっといいことあるよ。あの子、巨乳マニアだもん」


 適当に事を言って励ましたら、友人は涙を流したまま手を伸ばしてみゆきの頭を軽く抱く。

 この間の指摘通り、ちゃんと顔は横向きにしてくれる。


「ありがとうみゆき。噛んでいいか?」

「絶対、ヤダ」


 そのまま二人でクスクス笑う。


 くだらない話だった。

 だけど、こいつが少し元気になったのなら、少しは意味があったのだろう。


「うん。明日からなるべく頑張ってみるよ」


 そう言って友人は手に力を込めてギュッとみゆきの頭を強く抱きしめる。


 友人ほどの胸のサイズだと《顔は横向き》とか、なんの意味もないとみゆきは身を持って知る事となった。

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