先輩と絢香 3
「で、昨日の言い訳を聞こうか?」
生徒会長の席で精根尽き果てて突っ伏している後輩に、絢香は事務的な声で尋ねる。
まあ机に突っ伏す気持ちはわかる。
昨日は《クリスマス撲滅委員会》の連中から事情聴取をし続けてた。
今日は終業式が終わってから、ずっとその後片付けだ。
今日のうちに片付けないと年越しになるから、すごく忙しかった。
さっきようやくひと段落して、執行部のメンバーに解散を宣言したばかりである。
絢香自身、ぐったりして来客用のソファに身を沈めている。
後輩は力なく机から顔を起こして、言われた通りに言い訳を始める。
「すぐに帰ろうと思っていたんです。でも呼び出しが掛かって」
「そんなことは分かってるよ。だから見回るフリして帰っちゃえって言ったじゃん。なんでいつまでも残ってたのよ」
「あの、しかし私が帰るというのはさすがに体面上……」
「あたしが面倒みるって言ったのに、そんなに信用できなかった? 何でポチくんのプレゼント盗まれてんのよ」
ちょっと言い方がキツすぎるか。
絢香はソファに身を沈めたまま、ため息をつく。
信用問題を口にしたのは明らかに言い過ぎだった。
自分はいま生徒会執行部とは無関係だし、後輩は自分の責任を果たそうとしていた。
むしろ軽率な唆しに乗らなかったのを褒めるべきなのだ。
「ごめん。今の言葉は酷かった。取り消させて欲しい」
「あ、いえ、もっともな意見かと」
後輩は椅子の上で背を伸ばして答えてくれる。
怖がらせたいわけではないのに、つい余計な事を言ってしまった。
絢香はソファから立ち上がり、後輩のところへ歩く。
生徒会長の机に両手を突いて、少し怯えてる彼女に問う。
「あのさ、あたしたち、何のためにこの一週間、毎日ラーメンの食べ歩きをしてたの?」
言いたいのはこっちの方だ。
後輩の頼みでここの所、毎日ラーメン屋を巡っていた。
それも1日に2軒とかのペースでだ。
「なのに結局どこにも行かないし、何もなかったって何なの? あたし、何のためにあんなにラーメン食べなきゃならなかったの?」
「……そ、そのことについては大変に申し訳ないとしか」
椅子の上で縮こまるようにして後輩が頭を下げる。
「どんなに小さくなったって、あたしよりは大きいんだからな! 分かってんのか、おい!」
もう因縁をつけてるとしか思えない言葉が口から出てくる。
「すいません、少し分けられたら良かったのですが……」
両手で胸元を隠すように抱きながら後輩が言う。
こいつは、どこまで本気で言ってるのやら。
「あんたの肉なんか別に欲しかないよ! その辺の犬しか喜ばないでしょ、そんなもの!」
「そんなものはあんまりです。確かにポチは昨日、私の胸に抱いたら涙目になってましたけど」
困った顔で後輩が反論する。
「え? 何、その話?」
絢香が聞いていたのは《ラーメン屋には行きそこなって、最後の春日饅頭を二人で食べた》というほのぼの話だけだ。
こいつらの通常運転じゃねえか、と思っていたのだが、案外と進展があったのかも。
「ん、それ、ちょっと詳しくお姉さんに話してみて?」
下世話な話題だが、これくらいは聞いとかないと元が取れない感じがする。
絢香は後輩に背を向けて、いそいそと部屋の隅にある冷蔵庫へ歩き出す。
「あのねぇ、今日はとっておきがあるの。それ出すからゆっくり話しようよ」
そう言って絢香が取り出したのはクリスマスケーキだった。
「え? 絢香さん、どうしたんですか、それ?」
生徒会室の冷蔵庫から思いもよらない物体が出てきて、後輩が目を丸くしている。
「今朝、コンビニで8割引だった」
「そ、それは安かったと思いますが、……大きすぎやしませんか?」
自慢げに絢香が手にしているそれは、どうみても10号・30センチ級の代物だった。
「ん、昨日あたしが勝手に仕切っちゃたからさ。みんなに迷惑かけて悪かったから、お詫びにって思ったんだけど」
ソファ用のテーブルに置いて肩をすくめる。
「みんな帰っちゃったし、どうしようかと思ってたんだ」
苦笑しながら後輩を手招きする。
後輩も苦笑しながら絢香のところへやってくる。
「絢香さんのこういう所って、あまり知られてませんよね」
「ん? 抜けてるトコ?」
あらかじめ一緒に用意していたフォークを手渡しながら聞いてみる。
「けっこう気遣い多いのに、空振りしまくる所です」
「あはは、気遣いの三振王と呼んでくれ」
笑い飛ばす絢香自身、そこにはちゃんと自覚がある。
気遣いは伝わらないことも多いし、悪い方に誤解されることもある。
でも、そんなの分かってくれと押し付けるものでもない。
損な役回りを引き受けても感謝されないし、舐められるだけだ。
頑張ったって嫌なことばかりなんだけど。
目の前に後輩みたいに分かってくれる奴が少しいれば、それでいいやと思ってる。
こいつは春から色々とおかしくなってるけど、それでも大切な後輩なのは変わらない。
「あの、絢香さん。ナイフとか取り皿のようなものはないんですか?」
巨大ケーキを前に彼女は戸惑った顔をしている。
その真面目な顔が、なんか楽しい。
「何、言ってるの? あんた、本気出せばこれくらい一人で行けるでしょ?」
「どんな本気です、それ?」
絢香の言葉に後輩も楽しそうに笑う。
「ああ、いまお茶、淹れますから。それともコーヒーの方がいいですか?」
ソファから立ち上がった後輩に声をかける。
「食べ切れそうもなかったら、ポチくんも呼ぶ?」
何気なく言ったつもりだったが、途端に後輩の表情が曇った。
すぐに彼女も気がついたようで、あわてて言い訳じみた事を喋り出した。
「あ、いや、待たせているのは確かなんですが。私は昨日、やらかしまして。すぐに謝っているのですが、このあと、もう一度きちんと謝りたいと思ってまして」
なんかグダグダ言ってるけれど、言いたいことは明らかだ。
「あー、要するに《二人きりになりたい》のね?」
「……はい。そうです」
絢香が要約してみせると、後輩は真っ赤になって蚊の鳴くような声を出す。
まあ、いいんだけどさ。
「とりあえず、その《やらかした》ところも聞かせてもらえるんだよね?」
「あの、それでお願いがあるのですが」
恐る恐る、と言った感じで後輩が切り出す。
「リボン、今日も絢香さんにやって貰えないでしょうか?」
「いいけどさ。アレ、一発勝負のネタだよ? 2日目じゃもう厳しいと思うよ?」
絢香が言うと、後輩は両手の拳をぎゅっと握りしめ、真剣な表情で見つめてくる。
「でも絢香さん、昨日は何かいい感じだったんですよ。何か私でもどうにかできそうな感じで。このまま今日も頑張れば何かできそうな気がするんです!」
思いつめた表情で力説するが、よく聞くまでもなく《何か》しか言っていない。
昨日謝るようなやらかしをして、でもいい感じだったの?
本当にあの後、何があったんだろう?
「わかった。わかったから泣きそうになるな。うん、ちゃんとやるから心配しないで。あと何を言えばいいのか覚えてる?」
絢香が聞くと、後輩は何度も大きく頷いた。
それから、とんでもない大声で叫ぶ。
「プ、プレゼントはわ・た・し!」
最後の方、声がひっくり返ってたぞ。
大丈夫か、こいつ?
ちょっとしたいたずらのつもりで吹き込んだのだが。
——すまん、ポチくん。あたしが思ったよりややこしくなってた。
ケーキにフォークを刺しながら、絢香は心の中で謝っておく。