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光の雨がふる  作者: es


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8/10

08_慷慨悲歌

 長い一夜が明けた。

 早朝の空はよく晴れていた。透き通るような遥か天上の青は、地上を包みこむように優しい。果てなき蒼穹に、真綿に似た白い雲が浮かんでいる。


 エレノアは、裏の戸口からそっと小屋の外に出た。瞳を閉じて手を組み、"星海"の神々に祈りを捧げる。それから天上を見上げ、気合いをいれた。

 これから、国と鬼人族の命運を賭けて、人生最大の勝負に出る。気を引き締めてかからねば。




 …………深夜遅く、エレノアはルードとともに、兄王の寝室から秘密の通路を通って城外に出た。そして、彼の転移魔術で村に戻ってきた。


 兄王の協力は取り付けた。ああ見えて兄は有能だし、約束を破ったりはしない。計画はきっとうまくいく。

 自らに言い聞かせて、昨夜は固いベッドで横になった。

 興奮して眠れないかも……と思ってたのに、いつの間にかぐっすり寝てしまい、今朝はスッキリ目が覚めた。

 我ながら図太い……と苦笑していると、後ろの戸口が開き、誰かが顔を出す気配がした。


「起きてたのか」

「はい。おはようございます、ルード」

「……」


 振り返ってにこりと笑うと、彼は一瞬緋色の目を見張った。そして、バツが悪そうに目を逸らす。それに構わず、エレノアはあえて明るく振る舞った。


「今日は一世一代の大勝負ですわ。わたくし頑張ります!」

「……そうかよ」

「はい!」


 ぼそりと呟く鬼人に、ぐっと拳を握りしめ、元気よく返事をする。だがその直後、横合いからかけられた冷やかな声に、場が凍りついた。


「……君たち、ずいぶんと仲がいいじゃないか。人質にはとても見えないな」


 建物の影から、一人の青年が姿を現す。それは、昨日二人がここにやって来た時に声をかけてきた、緑の瞳の鬼人であった。




 青年は、星のような光が散る緑の瞳を眇めた。鋭い視線が宿すのは、強烈な猜疑と敵意。相手を射殺せそうなほどの激しさは、彼が受けてきた仕打ちの凄惨さを物語っているかのようだ。

 これほど激しい敵意を向けられたのは初めてで、エレノアは思わずたじろぎ、身をすくめた。


「……ところでルード。昨日の夜、転移魔術の気配がしたんだけど。村を抜け出して、二人でこそこそどこに行ってたのさ」


 男はルードに対しても、剣呑さを隠そうともしない。エレノアはハラハラしながら、睨みあう両者を交互に見た。

 じりじりと緊張が高まっていく。だが、ルードの肩からふっと力が抜けた。彼はため息とともに、どこか諦観の滲んだ声を吐き出した。


「……同胞に隠し事はしたくない。正直に言おう。昨夜は、フォルターナの王城に侵入した」

「……そこの人間の女と一緒にか?」

「そうだ」

「ルード、君は一体どういうつもりだ!」

「……この国を滅ぼす前に、気まぐれにこいつの提案に乗ってみようと思っただけだ」

「人間の、提案に?」


 青年が驚愕に顔を歪める。


「あぁ。成功する可能性は無いと思うがな」


 緑の瞳をさらに険しくした鬼人から視線を外し、ルードは素っ気なく言い捨てた。そして、自暴自棄とも取れる口調で続けた。


「俺の体に刻まれた魔方陣は、誰にも消すことはできない。自傷でも他傷でも、俺の血が流れた瞬間、この魔方陣は俺の魂を食い破って、冥界から悪鬼を呼びよせるだろう。

 そして、俺たちを虐げた奴らに、鬼人の力を見せつけて終わりだ。お前らは、その前にできるだけ遠くに逃げておけ」

「それで、君はその女とどこに行こうって?」

「王都の大神殿だ」

「……何だって」


 彼は一瞬絶句して、ルードの胸ぐらを掴んで食ってかかる。


「ルード!お前は、僕たちを裏切るつもりなのか!?」

「違う!」

「お止めください!」

「黙れッ!!」


 思わず止めに入ったエレノアは、緑の瞳の鬼人に強い力で突き飛ばされた。地面に転がって、土のついた顔を上げる。

 その視線の先。燃えたぎるような憎悪を瞳に浮かべた鬼人が、自分を見下ろしていた。


「人間よ、この手でお前を殺してやる。僕の妻がそうされたように。

 ……八つ裂きにして、はらわたを抉り出し、地獄の苦しみを味あわせてやる。そうすれば、お前に誑かされたルードも目を覚ますだろう」

「やめろ!」


 ルードの制止を無視して、男は詠唱を始める。エレノアはゆっくりと立ち上がり、憎しみに満ちた男の双眸をそっと見返した。


「……本当に申し訳ありません。あなたの気持ちがわかるなんて、わたくしには、とても言えません。そのようなこと、烏滸がましすぎて、」

「……っ、黙れ、黙れッ!!当然だ、人間のお前に、僕たちの苦しみがわかるものか!今ここで殺してやるッ!!」

「………………でも……ほんの少しの間だけ、気持ちをおさめてはいただけませんか。この計画が失敗したら、わたくしは、どちらにしても命はありません」


 痛みで胸が軋む。知らないうちに、エレノアの青い瞳から透明な雫が溢れていた。


「……あなたたちに、信じてなんて……言える立場ではない事はよくわかっております。わたくしたちは、あなたたちに本当にひどいことを……してしまって……」


 唇が戦慄いて、うまく声が出ない。

 彼らの怒りや憎悪は、嘆きや悲しみと表裏一体だ。神殿によって虐待され、獣のように鎖に繋がれた少女────キィアを目の当たりにした後なら、苦しいほど理解できる。


 エレノアが、キィアに直接手を下したわけではない。だが、それでも罪はあるのだろう。ずっと安全な場所にいて、彼らを脅かしてきた者たちに何もせず、見て見ぬふりをしてきた罪が。

 苦しめる側だった自分が泣くなんて卑怯だ、そう思うのに、涙が溢れて止まらなかった。白い頬を、透明な滴がとめどなく転がり落ちて、胸元を濡らしていく。


「……わたくしは、あなたたちへの迫害を止められる立場だったのに、今までずっと、それを見ようともしなかったのです。本当にごめんなさい……ごめんなさい」


 嗚咽しながら、深々と頭を下げる女に戸惑ったのだろうか────いつの間にか、鬼人の詠唱は止まっていた。

 沈黙する目の前の鬼人に、エレノアは言葉を選んで思いを伝えようと試みる。


 ほんの数歩、足を踏み出せば触れることのできる、わずかな距離。けれど、彼らと自分との間には、奈落のような断絶がたしかに存在していた。

 深い悲しみと、怒り。絶望。それらを越えて、自分の言葉が届くように祈りながら、エレノアは声を振り絞った。


「……それでも、今からでも、わたくしに出来ることをしたいのです。間違いは、誰かが正さねばなりません。

 ……あなたたちは、けして邪悪などではないのですから」


 エレノアは濡れた瞳を上げて、決然と言いきった。


「わたくしは今日、それを証明したいのです」



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