05_召喚魔術
「あなたの体の魔方陣は……召喚術でよく使われるものですわ。そうでしょう?」
自分を引き留めた女は、必死に言いつのる。
改めて見ると、絹糸のような金髪に深い青の瞳の、美しい娘だった。王族だというのも納得の美貌だ。
エレノアに答える前に、ルードは腕の中の少女をちらっと見た。少女の眠りは深い。助け出され、傷が癒されたからか穏やかに寝ている。しばらくは目を覚まさないだろう。
だが、この話は、幼い少女に聞かせたいものではなかった。少女がうっかり目を覚ましたら困る。……ルードは軽く息を吐いて女を拒絶した。
「……お前には関係ない」
「関係大ありですわ」
にべもなく突き放されても、エレノアは臆することなく食い下がる。
「……その大がかりな召喚術の代償は、あなた自身でしょう。それを行使したら、冥界から悪鬼すら呼び寄せることが出来るのではありませんか。
わたくしの予想が外れてなければ、フォルターナどころか、一帯すべて灰になるでしょう」
エレノアが強く睨んでも、ルードに動揺する気配はもはやなかった。星のような光が浮かぶ、あざやかな深紅の双眸が、静かに彼女を見返していた。
────冥界より地上に出でて、災厄をふりまく"悪鬼"。おそるべき力を持つ彼らに国ごと滅ぼされた例は、歴史上いくらでもある。
その悪鬼を召喚するなど、並の魔術師や召喚師には不可能だ。だが……と、エレノアは眉を寄せた。
目の前の鬼人が持つ魔力は、桁外れだ。その血と魂を捧げれば、悪鬼の召還は成功するだろう。そうなればこの一帯は灰塵に帰す。
大袈裟ではない。確実にそうなる。
「……だからどうしたと言うんだ」
低い声でルードが呟いた。
「俺たち鬼人に生きる場所は、もはやない。
お前らは俺たちから、ありとあらゆるものを奪った。住処を、命を、尊厳を、根こそぎな。なら、俺たちが同じことをしてなぜ悪い」
「……悪い、とは……言いません。わたくしだって、兄や両親を理不尽な理由で、その子のように傷つけられたら、平気でいられるかわかりませんから」
言葉を選んでそう告げると、鬼人は深紅の瞳を軽く伏せた。
「……俺たちは限界だ。幼い子どもすら狩られる。なら、力を見せつけることで救われる命もあるだろう」
…………エレノアは会話しながら、魔方陣の気配をもう一度探った。
発動条件は術者の魂と血。つまり彼の死だ。それによっておそらく召喚の魔方陣が開く。
もし、大神殿でルードを庇わなかったら……と想像して、背筋が冷えた。あの時点で召喚術が発動し、フォルターナは滅亡していたかもしれない。
やはり本命は少女ではなく、こちらだった……
エレノアは心の中で嘆息する。
「……逆に、迫害がひどくなる可能性だって……あると思いますの。ひとは皆、怖がりですから」
エレノアは視線を腕輪に落とした。壁の隙間から射す光を受けて、青い宝石がきらめいている。でも、それだけだ。
少なくともこの二人は"邪悪"ではない。その確信が背中を押した。
彼女は決然とルードを見上げた。
「やはり、破滅を黙って見過ごすわけにはいきませんわ。それに、せっかく助けたあなたが、召喚の代償で死んでしまうのも嫌です……!」
「…………」
「そもそも、間違ってるのは神殿ではありませんか!少なくともあなた方は、邪悪な存在などではありません」
エレノアはそう断じた。
「間違いは、きっちり正さねばなりませんわ!」
エレノアはずいっと一歩踏み出す。勢いに押されたルードが思わず半歩下がった。
「…………召喚の前に、わたくしにチャンスを与えていただきたいのです。
一度だけで構いません。もしわたくしが失敗したら、諦めてすべて受け入れます……どうかお願いいたします……!」
────本当に変な女だ。戸惑いとともに、ルードは必死に懇願する女を見下ろす。
王妹だという神官の煌く青玉の瞳は、どこまでもひたむきだ。
彼女は、ルードの知る誰とも似ていない。
殺すと言われても平常心を失わず、服の下に隠された魔方陣の実相をあっさり見破った。
儚げで美しい娘なのに、中身は豪胆なくらい肝が据わっている。何より、鬼人をおそれて蔑むどころか、真摯に向き合うつもりらしい。
……ルードは、自分の上半身を埋め尽くすように描かれた魔方陣を思い返した。
この魔方陣を使うのが、遅いか早いかの違いでしかないのなら、彼女の提案を受けても、良いのでは……
彼は、自分の心が揺らぎはじめるのを感じていた。鬼人に与えられた選択肢は多くない。ならば、この賭けに乗るていどの事は、許されるのではないか────
「……わかった」
ルードは、大きく息を吐き出した。
「……おまえの話を聞く。
だが場所を変えるぞ。ここには食い物がないし、この子のそばで、その話はしたくない」
「承知いたしました」
エレノアは交渉を受け入れられてほっとしたのか、小さく笑みを返した。
「仲間のところに戻るが、お前は人質ということで話を通しておく。行くぞ」
「はい!」
溌剌と返事をして、女はいそいそとそばに寄ってくる。
本当に変わった人間だ、と思いながら、ルードは転移魔方陣を開いた。
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転移した先は、古びた小屋がいくつか並ぶ山合の集落だった。一見廃村のようだが、あちこちからひとの気配がする。
隠れ里のようなものだろうか、とエレノアは辺りを見回した。
「…………お帰り、ルード。無事で何よりだ。キィアも……助かったようだね。本当に良かった」
小屋のひとつから鬼人の青年がひょいと顔を出し、ルードに気さくに話しかけてきた。
ルードの姪は、キィアというらしい。穏やかな寝息を立てている少女を見て、その鬼人は安堵を浮かべた。
話しかけてきた彼の年格好は、二十代半ばくらいだろうか。あざやかな新緑の瞳が目を引く。
外見年齢的には、ルードとそう変わらないように見える。しかし鬼人の場合、見た目は当てにならない。彼らは青年期まで人間と同じ早さで成長し、その後は数百年同じ姿ですごすのだ。
「……で、その人間は?」
鬼人はこちらに目を向け、冷やかに尋ねた。エレノアを警戒しているのか、離れたところから近寄っては来ない。
エレノアの手首に嵌められた魔術の枷を見て、その鬼は目を眇める。
「人質だ。高貴な生まれだから、利用価値があるかもしれないと思って拐ってきた。手は出すなよ」
「ふうん?」
じっと眺められ、エレノアは人質らしく怯えた表情を浮かべる。
「……キィアを休ませたい。行ってもいいか」
「もちろん。二人が無事に戻ってきて嬉しいよ。ああ、そういえば計画は延期するのかい?」
「延期はしない。数日以内にはやる。キィアのことは頼んだ」
「……わかった」
「この女はしばらく俺が見張るつもりだから、連れていく。じゃあ、あとでな」
ルードは踵を返すと、エレノアに「来い」と顎でしゃくって、すたすたと歩き出した。
背中に視線を感じながら、彼女は男の後ろを小走りについていった。