04_神祖末裔
服に隠された、体に直接刻まれた魔方陣。それを指摘され、鬼人の男は目に見えて動揺した。
「……お前……なぜ、それを」
「なぜって……そこから魔力が駄々もれですもの。わたくし、対魔術師の訓練では、わりと優秀な成績を修めましたの。ですから隠していてもわかります」
エレノアは「さぁ、はやくお脱ぎになって」とぐいぐい迫ってくる。
何なら自分が脱がしてやろうか、と言いだしかねない勢いだ。
「ルードとわたくしは、今や運命共同体。秘密はないほうがよろしいでしょう。というわけで、脱いでください」
「俺は、お前を殺した方がいい気がしてきた……」
「あら、さっきはつい『殺せばいい』などと言ってしまいましたけれど、わたくしを手をかけたら、あなたは今よりずっと難しい立場に置かれることになりますわ。
こう見えてわたくし、フォルターナの王妹なのです」
ルードの鋭い目が大きく見開かれた。きつい顔立ちだが、こうしているとちょっとだけ幼く見える。
目まぐるしく思考する頭の片隅で、エレノアはそんなことを考えた。
「……証拠がない。口だけなら何とでも言える」
「確かに、あなたのおっしゃる通りですわ。では、こちらをご覧になれば、証拠として認めていただけますか?」
エレノアは、右の手首につけた腕輪を差し出す。
「フォルターナ王家の紋章が入った腕輪です。先王の姉から譲り受けた、由緒ある王家ゆかりの品ですわ」
眉を寄せたルードは、その腕輪をじっと見つめた。
繊細な装飾が施された細い金の環に、早朝の空のような淡い青の水晶が嵌め込まれている。その水晶の内側に、フォルターナ王家の紋章が浮かび上がっていた。
さらに、腕輪全体に何かの術が刻まれている。それは非常に古い年代のもので……
「……神世の時代の術がこめられているのか」
「まぁ!すごいですわ!よくおわかりになりましたわね!」
エレノアは無邪気に手を叩いて喜んでいる。
面食らったルードは思わず黙りこんだ。
「おっしゃる通り、こちらの腕輪には神の祝福がこめられておりますの。神の血を引く祖先から、長く受け継がれてきたものなのですわ!」
神が絶大なる影響を及ぼした、神世。その時代に誕生したフォルターナ王家は、雨の女神と、人間の男を始祖にすると言われていた。
その恩恵か、はたまた、下手に手を出して神の怒りを買うのをおそれた周辺諸国のおかげか、フォルターナは大陸でもっとも古い王家となった。
そのフォルターナ王家には、神の血を証明するかの如く、神世の道具が幾つか継承されている。エレノアの腕輪もそのひとつだった。
腕輪に視線を落とした元王女は、秘密を打ち明けるように声をひそめる。
「実は……この腕輪の祝福とは、邪悪を打ち払う力なのです。わたくしの大叔母が魔物に襲われた時も、この腕輪が守ってくれたと伝えられております。
……ですが、その腕輪が、あなたたちには一切反応しないのですわ」
──異端審問の時から、気になっていた。
鬼人が真に邪悪な存在なら、腕輪が何らかの反応を示すのではないか、と彼女は考えていたのだ。だが、彼らがこれほど近くにいても腕輪は反応を示さない。
彼女の言葉を聞いて、鬼人の男は唇の端を皮肉げに吊り上げた。
「…………俺たちは、ほかの地上の生き物と何ら変わらないからな。聖邪のどちらでもないし、どちらでもある。地上の器を失えば、魂は"星海"に導かれ、神々の元で休息を得る。そして再び地上に生まれ変わるんだ」
「それは……」
「同じように神の血を引くというのに、俺たちは殺され、お前らは王族として敬われるのだから、理不尽な話だ」
低く吐き捨てられたその声には、憤り、悲哀、諦めが複雑に絡んだ、深い絶望の響きがこめられていた。
王宮で大切に育てられた自分には、想像も及ばぬような過酷な経験を、どれだけ積み重ねて、彼はここに立っているのだろう。彼の過去を想像すると胸が痛い。
彼との間に横たわる、途方もない断絶。目に見えなくても確かに存在する深淵に、息が苦しくなる。
だが、エレノアはそのことを口にはしなかった。言えば、さらに彼を傷つける気がしたからだ。
……彼は何歳だろう。ふと、そんな疑問が頭をよぎった。鬼人は非常に長命な種族だ。その寿命は700歳を越えるという。だから、青年のような彼の見た目は当てにならない。
ルードの本当の年齢が気になったが、切り出したのは別のことだった。
「今、あなたの仰った……鬼人族が神の血を引く、というのはどういうことですの?」
その問いに、鬼人の男は鼻で笑った。
「世間では、俺たち鬼人は悪鬼の血を引くと信じられているのだろう?」
「あなたは、事実は異なるとおっしゃっているように聞こえますが……」
「半分は事実だが、半分は違う」
鬼人は、緋色の瞳を眇めた。
「鬼人に伝わる伝承では、俺らの祖先は悪鬼だけではない。
────神世の時代。冥界より現れし悪鬼と、虹の女神の娘が恋に落ちた。二人は女神の許しを得て、地上に生きることを選んだんだ。
彼らの子が"始まりの鬼人"。俺たちの始祖だ」
今度は、エレノアが目を見開く番だった。
「…………それは本当なのでしょうか」
「証明する手だてはない。だが俺たちに伝わる伝承はそういうことになっている」
「でも、それなら……もしかしたら、わたくしにも何かできることが……」
「ない」
男はぴしゃりと否定して、眠っている少女を起こさないように丁寧に抱き上げた。
「……お喋りは終わりだ。俺と姪の命を救ってくれたことは感謝する。あとは好きにしろ」
「いえ、お待ちください!本題がまだですわ!」
黒い服をはっしと掴んで、エレノアはルードを必死に引き留めた。今、彼を逃すわけにはいかない。
「服の下にある、魔方陣を見せていただいておりませんわ。あなたは……ご自分を代償に、その魔方陣で、何を呼び寄せるおつもりなのですか?」