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光の雨がふる  作者: es
3/10

03_逃亡幇助

 鬼人が剣を振り上げた。

 ガキン、という鋭い金属音が響いて、エレノアはハッと我に返る。見ると、少女の首輪に繋がる太い鎖が、途中から叩き斬られていた。


 束縛から解放された少女が、震えながら鬼人の男にすがる。傷だらけのその小さな体を、男は片腕でそっと抱き上げた。


 男はきっと、少女の肉親なのだろう。

 そう思わせる、壊れ物にふれるような、慈しみに満ちた手つきだった。エレノアはまわりの喧騒を忘れ、二人をじっと見つめる。


(あれが、邪悪な魔物……?)


 そうは思えない。

 家族から愛されて育った彼女には、あのこまやかな手つきがどれほど愛情に満ちた仕草なのか、手に取るようにわかった。彼らは愛情が何か、知っている。


 ……その時、再び転移魔方陣が開きはじめた。


「逃がすか!」


 魔方陣に気づいた聖騎士が抜剣し、鬼人の二人に迫る。


「いけません!!」


 思わずエレノアは叫んでいた。

 彼女の血が、全力で警告している。


 ────少女より、あの男を傷つける方がまずい。本命はあちらだ……!


 彼女の周囲では、神官たちが蜘蛛の子を散らすように議場から逃げ出そうとしていた。その流れに逆らって、エレノアは三人の元へ駆け寄った。


 聖騎士の横殴りの一閃は、鬼人が片手で握っていた剣で辛うじて弾かれた。同時に開きかけた魔方陣が消え、光が霧散する。

 怒りに満ちた鬼人の表情に、エレノアの背筋は、氷を流しこまれたかのようにひやりとした。


「"聖なる星神の御名において 我に護りと 祝福を"」


 気がついたら、ほとんど無意識に聖句を口ずさんでいた。

 キンと澄んだ音がして、鬼人と聖騎士の間に"戒域"が立ちはだかる。魔術師が使う結界に似た、神気による防御壁。エレノアはそれを行使していた。


 ガッ!


 聖騎士の鋭い一撃は、しかし、エレノアの"戒域"に弾かれて鬼人に届くことはばかった。聖騎士が、信じられない、と言いたげにこちらを振り返る。


「エレノア殿、いったい何を……!」

「何をぼさっとしているのです、お逃げなさい!早く!」


 驚愕する聖騎士を無視して、エレノアは鬼人に向かって叫んだ。

 彼は、神殿で味方が現れるなど夢にも思わなかったのだろう。緋色の目を見開いて、けれどすぐに魔方陣を開く。

 青白い光が二人を包むと同時に、ふっと消えた。


「"聖なる星神の御名において 我の前に 再び道を開き給え"」


 聖句を口ずさんだエレノアは、消失した転移魔方陣を呼び戻すことに集中した。

 この術の本来の用途は、魔術師の追跡。すなわち魔術が得意な者の捕縛を想定している。

 しかし今は、自分に残された唯一の逃走手段だ。ありがたく使わせていただこう。


 遠巻きにこちらを眺める神官たちの、猜疑心と恐怖に染まった顔を見なくても、この場に留まればろくなことにならないのは判りきっていた。


 聖騎士がこちらに手を伸ばす。

 エレノアはその手をかいくぐり、神官服の裾を翻して、再び光りはじめた魔方陣に飛びこんだ。


 王妹でもある神官見習いの暴挙に怒号が飛びかう。議場が混乱を極めるさなか、エレノアは魔方陣とともに忽然と姿を消した。




 +++++




「動くな」


 魔術の光に灼かれた視界。それが元に戻る直前、冷たい刃物を喉元に押し当てられ、エレノアは動きを止めた。

 薄闇に目が慣れてくる。ここは、建物の中だろうか。周囲は薄暗い。

 憎悪の視線を受け止めながら、元王女は気丈に、殺意を向ける相手の説得を試みた。


「……こんなことをしている場合ではありませんわ。今すぐ魔方陣の痕跡を消さないと、別の者が転移を追尾して、こちらに現れるかもしれません。それでもよろしくて?」

「お前に指図される謂れはない!」


 激昂した鬼人の迫力は、空気を震わせるかのようだった。だが、エレノアだって命がかかっている。売り言葉に買い言葉で怒鳴り返した。


「あなたたちを助けたことで、わたくしももはや逃亡中の身。追尾されたら、わたくしたちは一網打尽で捕らえられてしまいます!」

「うるさい黙れ!」

「わたくしを殺したければ、やればよろしいのです!

 その場合、あの子を助けるどころか、揃って火刑にされてしまうでしょう。あれほど小さな子を、そんな目にあわせたいのですか?」

「…………っ」

「それに、あの子には、魔術師には使えない高度な治癒が必要です。違いますか」


 状況的にやむを得ないとはいえ、少女の命を人質に取る、卑怯な言い方だ。エレノアは自分の言葉に自己嫌悪を覚えた。

 だが、鬼人はひとまず冷静になってくれたようで、口をぐっと曲げて押し黙った。


「転移陣を完全に消去します。よろしいですわね」


 返事を待たずに聖句を唱えて、魔方陣の痕跡を消す。これも本来の用途は対魔術師用……主に鬼人対策として開発された神術だが、以下略である。


「これで、追っ手はこちらに来れないでしょう」


 ほっと息をついて、エレノアは黒づくめの男を見上げた。


「その子の治癒をさせてください」


 男の後ろで、壁にもたれて座りこみ、苦しげな息を繰り返す少女に視線を向ける。

 薄暗さに目が慣れると、ここは古びた小屋の中だとわかった。立て付けの悪い壁の隙間から、あちこち光が漏れている。

 早く治癒してあげたい。見回すと、部屋の隅に粗末なベッドが置いてあった。


「その子をベッドに寝かせていただけますか」


 少女を運ぶように促すと、鬼人はものすごく嫌そうな顔で、それでも言われた通りにした。


「……少しでも変な動きをしたら殺す」

「当然ですわね。そこで見張ってらして」


 ちらっと男を見ながら言うと、エレノアは少女に向き直った。殺気立った男の気配を背中に感じながら、怪我の様子を確かめていく。


 ぐったりしている少女の怪我は、間近で見ると、目を覆いたくなるほどひどかった。

 エレノアの胸に、再び言い様のない怒りが沸く。これが本当に、神に仕えるものの所業なのだろうか。


 感情をおさえ、エレノアは少女の体についた無数の傷をひとつひとつ丁寧に癒していく。その間に半刻ほどが過ぎていった。




「……終わりましたわ。あとは栄養のある食べ物と、休息が必要です」


 エレノアがそっと立ち上がった。


 鬼人の男は、眠っている少女を覗きこんだ。先ほどよりずっと顔色が良くなっている。

 土気色だった頬に赤みがさして、身体の傷もきれいに治っている。この女神官は、本当に神術を駆使して少女を癒してくれたらしい。


 男は困惑していた。

 鬼人族を敵視しているはずの聖職者が、自分たちの逃亡を助けたばかりか、少女の傷も癒してしまった。この女は……本当に変わっている。

 その変わり者は、躊躇いがちに口を開いた。


「……この子は、あなたの娘なのでしょうか」

「いや、姉の忘れ形見だ」

「そうですの……」


 ぽつりと呟くと、女は何となく事情を察したのか、気まずそうに黙りこくった。

 暫く沈黙が流れたあと、彼女は気を取り直した様子で顔を上げた。


「わたくしは、エレノアと申します」

「……俺はルード」

「ルード……良いお名前ですね」


 エレノアは、蕾が綻ぶようにふわりと微笑む。


「ルードはこれからどうなさるおつもりですの?」

「それは……言えない」


 言えるはずがない。

 敵の人間に。


「そうですか……」


 うーんと唸って、エレノアは地面に目を落とした。そしてしばらく考えこんだあと、おもむろに顔を上げる。


「ルード、あなたちょっと服を脱いでくださらない?」

「……は?」


 花のように上品な口から突拍子もない要求が飛び出して、ルードは呆気にとられた。

 虚を突かれて固まっていると、相手は焦れたように催促した。


「どうぞ早くなさって。もちろん、いやらしい意味ではございませんわ。あなたの体に刻まれた魔方陣を、ちょっと見せていただきたいだけですの」


 事も無げに言われ、鬼人は緋色の目を見張った。


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