冒険者としての第2歩目
明日も18時に更新予定です。
てっきり、初心者の冒険者がよく通うような安全な狩場に案内されるものだと誰もが思っていた。
だが、実際に案内されたのは薄暗い森。
ウィリアムたちは思わず顔を見合わせ、無言のうちに緊張を共有する。
やけに重々しく感じる雰囲気がある場所だった。
「な、なんか……嫌な空気ね……」
セシルがぽつりと漏らすが、誰もそれに応じる余裕はなかった。
全員が無言で周囲の木々を見回す。
そんな中で一人、まるで遠足にでも来たかのように上機嫌な表情で歩く女性がいた。
「美味い魔物はどっこかなぁ~」
フィオナである。
ルンルン気分で森を進む彼女の後ろ姿を見てしまっては、たとえ不安が募っても、誰も異を唱えることなどできなかった。
鬱蒼とした森の中へと進んでいく。
しかし、ある地点を境に、空気ががらりと変わった。
「……おい」
突然、フィオナが足を止めた。
そして不満そうに眉をひそめる。
「私のホーンラビットは、どこにいるんだ?そんな気配を……全く感じないぞ?」
その声には、明らかな苛立ちが滲んでいた。
「そ、そうだな……この前までは、うじゃうじゃいたんだが……」
ヴァーマスが額に汗を浮かべながら応じる。
だが、違和感を覚えていたのは彼女だけではない。
「……魔物だけじゃないね。近くに動物の気配すら感じないよ」
ラグナも立ち止まり、森の気配を慎重に探る。
だが、鳥の囀りも獣の息遣いも、一切が消えていた。
「これは……まずいな」
ヴァーマスの表情が険しくなった。
次の瞬間、彼の声が鋭く響く。
「全員、撤退準備だ! 周囲の警戒を怠るな!」
それまでの和やかな空気は一変し、場の空気が一気に引き締まる。
「俺が先頭だ。フィオナさんは最後尾を頼む。ラグナは自由に動けるよう、中間を頼む」
「了解」
「……はいっ!」
各自が即座に頷き、退避行動に移る。
「ちっ……たった数日で何があったってんだ……」
苛立ちを隠せない様子で、ヴァーマスが前方を睨みながら進む。
「魔物の痕跡すらない。足跡も爪痕も、匂いも消えてる……。これは……ただ事じゃないね」
ラグナが周囲を注視しつつ呟いた。
「お前が狩場に選んでいたくらいだ。この森の生態系は安定していたんだろう?」
フィオナが後方から問いかける。
「ああ、間違いない。数日前までは魔物も動物も普通にいたんだ。急にこんなふうになるなんて……」
その時だった。
「何か来るぞ! 全員、戦闘態勢!」
ヴァーマスが叫んだ瞬間、木々の間から黒曜石のように鈍く光る毛皮を纏った巨大な獣が、爆発的な速度で飛び出してきた。
『グワァァアアアッ!!』
耳をつんざく咆哮が森に響き渡る!
全身を鋼のような筋肉で覆ったその影は、地をえぐりながら一直線にヴァーマスへと飛びかかる。
「チッ!」
一瞬の判断の遅れも許されぬ速度。
だが、
「ッ!」
ヴァーマスの身体が本能的に動く。
咄嗟に左腕のバックラーを突き出し、獣の爪を受け止めた。
キィィンッ!
火花を散らして金属音が響き、凄まじい衝撃が彼の腕を襲う。
だが、その顔に恐れはなかった。
「こいつ……ワーウルフか!他にもいるぞ、警戒しろッ!」
彼の警告が全員を戦闘状態へと切り替える。
ヴァーマスに襲い掛かったワーウルフはバク転しながら一旦下がると
『ヴォン!』
と一声吠えた。
すると、暗がりの奥から
『グルル……グゥアアアアッ!!』
唸り声が次々と響き渡り、黒い影が次々と飛び出してくる!
「くそっ、五匹もか!」
ウィリアムが声を上げ、剣を構える。
現れたのは、いずれも漆黒の毛皮を纏ったワーウルフ。
その鋭い牙は涎を垂らし、瞳には殺意がぎらついていた。
仲間たちは武器を手に臨戦態勢を取るが、
「ラグナ!?」
誰よりも素早く動いたのはラグナだった。
彼は何の合図もなく、懐から小瓶を一つ取り出すと、何の躊躇いもなくヴァーマスに襲い掛かったワーウルフに向けてソレを投擲した。
ガシャンッ!
爪で弾かれた衝撃で瓶が砕け、中から液体が四散する。
風に乗ったその臭いが周囲を包み込む。
その瞬間だった。
『キャ、キャンッ!?』
ワーウルフたちの動きが一変した。
その巨体がびくんと震え、全身の毛が逆立つ。
耳を伏せ、尻尾を巻き込み、小さく震えるように後退する。
「な、なんだ……?」
ヴァーマスが驚きに目を見張る。
獰猛だったワーウルフたちが、まるで子犬のように情けない鳴き声をあげ始めたのだ。
『ウゥゥゥ……キャンキャン!』
最前にいた一匹が逃げ出すと、他の四匹も続くように森の奥へと走り去っていく。
その足取りには恐怖と混乱が滲んでいた。
「お……お前……何をした……?」
フィオナがぽかんとした表情でラグナを見やる。
ラグナは肩をすくめて、平然と答えた。
「ヨハム公爵の領から脱出するときに見たでしょ?俺が液体を撒いてたの。あれと同じ類のものを蒔いただけだよ」
ヨハム公爵領から脱出する際にラグナがバラまいた液体。
あれをもろに浴びてしまった兵士達の姿を思い出したフィオナ。
「まさか……あれか?あの……臭いやつ……!」
「あれと似たようなものだよ」
フィオナが青ざめながらも、ラグナの言葉の意味を察する。
「……人間であの苦しみだったんだ。奴らにとっては脅威だろうな」
実際にラグナがワーウルフに向けて投げ付けたのはオオカミの尿で作られたウルフピーではなく、神獣フェンリルの尿で作られたもの。
自分たちよりも遥かに格上の存在を感じ取ってしまったワーウルフ達の反応はある意味当然なのだった。
しばしの静寂。
フィオナは呆れたように頭を抱え、
「……ラグナ。やる前に一言くらい言え。」
ラグナは肩をすくめながら、それでも得意げに答えた。
「強い敵に正面からぶつかるのもいいけど、時にはこういう手段も必要でしょ?」
その言葉に、ウィリアムたちは戦慄を覚えた。
魔物を屈服させるのは剣や魔法だけではない。
道具ですら魔物に有効な物があると再認識したのだった。
こうして一行は、一戦も交えることなくワーウルフの群れを撃退することに成功する。
だが、それは同時にこの森で何か異常が起きている証でもあった。
今回も読んでいただき本当にありがとうございます。
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