緩んだ空気に天罰を
「まぁ、ドワーフの作品なら問題ないわね。ミレーヌ様の装備は申し訳ないけど、お父様が準備した物を身に着けてもらいますわよ?」
エイミーの申し出に、ミレーヌは一瞬だけ迷いを浮かべた表情を見せた。
「それは……」
言葉を選びかけて唇を閉ざす。
出来ることなら、皆と同じように装備を一から揃えたかったのだ。
仲間として、対等な立場で並んでいたい。
そう思うからこそ、彼女は心のどこかで特別扱いされることに気後れを感じていた。
「……仕方ありませんわね。お父様やお兄様にはただでさえ我儘を言っているんですもの」
静かにそう呟いたミレーヌは、諦めを滲ませながらも微笑んだ。
商会のことについては気にしなくてもいい。
皆と一緒にいる時間を大切にしなさい。
先日、父からそう言われた記憶が蘇る。
けれども万が一、自分が不意の事故で重傷を負った場合のことを考えれば、やはり父が用意してくれた万全の装備を身につけておくのが最善だと、彼女は自分に言い聞かせるしかなかった。
そうして、武器と防具を揃えた一行は、初めてのクエストであるスライム討伐へと向かうべく街の門を抜け、郊外の草原地帯へと足を踏み出した。
「よし、これで準備万端だな!」
新品のレザーアーマーの胸元をポンと叩きながら、ウィリアムがどこか浮かれた様子で言う。
陽光を反射する片手剣と木製のバックラーもすっかり板についてきており、彼の足取りは軽やかそのものだった。
その隣では、セシルが腰に帯びたショートソードを抜き、軽く振るって感触を確かめている。
「ウィリアム、調子に乗って怪我をするなよ」
冷静に忠告を飛ばしたのはシャールだったが、当の本人は注意を気にした様子もなく、むしろ肩をすくめて笑ってみせる。
「大丈夫だ!そこまでは油断していない」
とウィリアムと会話していたシャール自身も手にした杖を握ったり離したりしながら、そわそわと落ち着かない様子を見せていた。
「シャール君も落ち着いてくれよ。これから実戦なんだよ?」
そんな彼をたしなめたのはテオだった。
彼は小柄な体に不釣り合いなメイスを背負っていたが、どこか自信に満ちていた。
「わ、わかってる。所詮スライムだ。今の俺たちなら大丈夫だろう」
「わかったから、落ち着こうね。まずは目的地についてからだよ」
そう優しく笑みを浮かべるテオの姿に、シャールは少し気恥ずかしそうに視線を逸らす。
「ふふ。みんな楽しそうですわね」
そんな彼らを少し後ろから見守るミレーヌは、微笑ましさと懐かしさが入り混じった眼差しでラグナに声をかけた。
だが、彼の表情はどこか曇っている。
視線は仲間たちではなく、彼らの周囲、草の茂みや空の動き、そして風の向きにまで及んでいた。
「どうかしましたか?」
心配そうに尋ねるミレーヌに、ラグナはわずかに表情を和らげて返す。
「いや、なんでもないよ」
表向きはそう返したものの、心中は穏やかではなかった。
『みんな浮かれすぎている。誰も周囲の警戒をしていない。以前とは違って、いつどこで魔物が出てくるかなんてわからないのに……』
かつて死地を何度もくぐり抜けてきたラグナにとって、この場の空気は緩みすぎているように感じられた。
訓練や学園演習と違い、ここは本物の戦場なのに。
街道を外れ、草原へと足を踏み入れる。
土の香りが濃くなり、背丈を超える草が風に揺れる。
「街道を外れてこんな風に歩くことなんてあんまり無かったよな」
シャールが辺りを見渡しながらつぶやく。
「そういえばそうだね。いつもは学園の演習場だったし、魔物と戦う経験自体がほとんどなかったもんね」
テオが、慎重にメイスの重心を確認しながら答える。
その表情にはわずかに緊張も走っていた。
「初めての冒険って感じがするな」
ウィリアムはといえば、普段の慎重さがどこかに行ってしまったのか剣で通行に邪魔な草をかき分けながら進んでいる。
「まあ、スライム退治なら危険も少ないだろうからなぁ。気楽にやればええでしょ?」
ルーが軽く杖を振りつつ笑うと、メンバーの緊張もわずかにほぐれる。
だが、その笑顔の背後にいるラグナは、視線を動かすことなく風の中に微かな違和感を感じ取っていた。
周囲の雰囲気が変わった。
不自然に踏みつぶされた草の跡も見えた。
彼の警戒心が徐々に高まっていくのをよそに、仲間たちは呑気な会話を続けていた。
「なぁなぁ、クエストが終わったら初めての報酬で何か食べにいかへん?」
ルーが嬉しそうに声を弾ませる。
「私は街の東側にある甘い匂いがしたパン屋が気になるわ」
「僕は肉が食べたいな。久しぶりにガッツリしたの食事がしたい」
セシルとテオが順に答えると、ウィリアムやシャールもそれに頷く。
その和やかな空気の中で、ラグナだけは風の音と草の揺れに意識を集中させていた。
彼の視線が草むらの一点を捉えた、その時。
「皆さん?ちょっと……」
ミレーヌが周囲に向けて声を上げようとしたその刹那、
「……!」
ガサガサッ、と草が不自然に揺れた。
「うん? うぁぁぁぁぁ!?」
その瞬間、草の影から飛び出してきたのは、粘液質に包まれたスライムだった。
速度こそ緩やかだが、不意を突かれたシャールの足元へ一直線に飛びかかっていく!
「シャール!」
最初に反応したのは、やはりラグナだった。
彼は即座に駆け出そうとしたが、
「えっ!?」
驚いたミレーヌが、思わず彼の腕を掴んでしまう。
咄嗟の反応だったが、それがラグナの動きを一瞬だけ鈍らせた。
その間に、スライムの突撃をまともに受けたシャールは、無様に尻もちをつく。
「うっ……!」
「シャール!」
ウィリアムが叫ぶ。
だがスライムはそのまま転がりながら、粘液を地面に散らし、シャールの近くで話をしていたテオの目の前に姿を現した。
本能で察したのか、テオの動きは素早かった。
彼は反射的にメイスを構え、両手で柄を握りしめると、
「テオ!?」
ラグナの叫びも届かぬうちに、鈍器は振り抜かれ、スライムの中心部へと上から叩きつけられた。
「ブチャッ!」
打撃音と同時に、スライムの体組織が押し潰され、中から透明なゲル状の液体が四方八方に飛び散る。
粘り気のある液体が、転倒したシャールとメイスを振るったテオの顔や衣服にべっとりと降り注ぐのだった。
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