第7話:お父様
研究室までの道のりは、このまっすぐと続く長い廊下を歩くだけでよかった。単純計算しても所有時間は十分と掛からない。しかし彼はその倍の倍……一時間を費やしてようやく目的地に着いている。
……城の中で何度も検問を受けさせられた。想定外の出来事を思い出した彼は深く溜息を吐く。
それだけ研究室が重要拠点としての存在意義を築いているのであって、まだ文明が発展しきっていないこの世界ならではの安全対策機能であるのだから、異を唱えられない。
それでも、一つの分厚い鋼鉄製の扉を潜る度に同じ内容の質問とボディーチェックを受けさせられる羽目になるのだけは勘弁したいところだった。
――こんこんこん
ノックをして、返答がなかったが人の気配は確かにある。一応の礼儀は済ませているから、アキラはそのまま扉を開放した。
「…………」
――扉を開けたものの、足を踏み入れられなかった。
一言で目の前にある光景を形容するなれば、正しくゴミ屋敷という言葉がこの上なく相応しい。
床を敷き詰めているのはカーペットではなく、大量の羊皮紙だった。細かな文字と図形が記載されているが、この世界の人間ではないアキラには、そこになんと書かれているかを解読することはできない。
とりあえず落書きでないのは明白で、されど踏みつけてよいものか。
「…………」
しばらく悩んだ末、アキラは足を上げる。床に置くぐらいだから、踏んでも構わない……ということなのだろう。そう判断した彼は、散乱する羊皮紙に足を下ろそうとして、
「その資料を踏むんじゃない!」
「えっ?」
「まったく……これだから素人は何もわかっておらんのだ。ここにあるものすべての価値は、君のような凡才が一生働いても払えないほど貴重なものなのだよ!」
どこからともなくやってきた男にいきなり怒鳴られて、アキラは眉をしかめた。白衣を纏っていて、この男がお父様――パラケラススたる人物なのであろう。およそ知的人には見えない厳つい表情と高慢な態度が、アキラに疑問を抱かせた。
もっともその疑問は、すぐに解消されることとなるが。
「お父様、お掃除をさせていただきます」
「あぁ、すまんな。頼むよ」
「お父様、この書類はどちらに?」
「それは右の棚に――あぁ、奥の方でな」
「…………」
お父様と彼を呼ぶ少女達がてきぱきと、ゴミ屋敷を片付けていく。無駄がなく洗練されている、がカルナーザ同様に彼女達も感情を表に出さない。黙々と機械的に作業をこなしていく少女達を横目に、アキラは改めてパラケラススと向かい合った。
「アンタがパラケラススか?」
「如何にも、私がパラケラススである。それで君は?」
「……アキラだ。この銃を渡されたな」
「なるほど君がそうだったか! いや待っていたよ異界の来訪者。早速だが君に一つ、依頼を頼みたい」
「――内容は?」
「ふむ、仕事にすぐに取り掛かろうとする姿勢は私は嫌いではない。君は、オルトリンデという町を知っているか? 場所は……そうだな。カルナーザと出会ったあの場所だ」
「……あぁ、憶えている」
「あの町の近くには巨大な鉱山があってね。我々にとっては宝の山も同じなのだよ。そのためにはどうしてもあの町を通らなくてはならないのだが――」
「あの化物共に占拠されている、と?」
「察しがいいね、その通りだよ。そこで君にはオルトリンデを占拠している敵勢力の殲滅並びに奪還、加えてそのティフマトの性能を確かめてほしい」
「……こいつの?」
「そのグラディウスは私が開発したものの、誰一人として扱えるものではなかった。人間、モンスター、混合種……あらゆる者が一度トリガーを引けば皆再起不能とさせる怪物を、君はまるで己の一部のように扱ったと国王より聞いている――アキラよ、唯一そのグラディウスに適合した人間として、どうか実践データをできるだけ多く取ってきてほしいのだ」
「……まぁ、それぐらいなら」
謎はあった。
誰一人として扱えない代物を、どうして自分が扱えるのか。言うまでもなく、彼は技術こそあれどファンタジー要素として欠かしてはならない魔法は使えない。
……魔剣などの類は自我を持つ、という。
そんな設定をアキラはどこかで聞いたのを思い出した。この設定に基づくのであれば、尚更ただの一般人を選んだのかがわからない。
(お前はどうして俺を選んだ?)
そう語り掛けてみるも、物言わぬ銃はいつまでも沈黙を貫いていた。
「助かるよ。あぁそうそう、この部屋を出て右に進むと装備屋がある。そこで必要な物を購入すればいい」
「購入……」
「……まさかとは思うが、君は物資がただで手に入ると思っているのかい? ただでさえ限られた資源の中でやりくりしているんだ、ましてや自分の技術を世に排出するのだよ? だったら対価をもらうのは当然とは思わないのかね?」
「……違いない。わかった、ありがとうドクター」
「ほっ、そんな呼び方をされたのは君が初めてだよ。うん悪くないね」
「それじゃあ早速行ってくる」
「あぁ、待ちたまえよ。行くのならあの出来損ないを……カルナーザを連れていくがいい。あんなのでも、まぁ少しぐらいは役に立つだろう」
「…………」
……出来損ない、この言葉が何度も頭の中で復唱される。
パラケラススは自分の娘に対して酷評だった。何を彼が判断基準にしているかにも大きく左右されるが、少なくともアキラの見立てではカルナーサは落ちこぼれではない。
瞬時に倒すべき敵を見定める判断力、それに見合うほどの射撃の精密性……あらゆる面においても、彼女は超一流の兵士だった。
カルナーサとの交流は、まだまだ浅くて狭い。それ故にアキラはこのことについての思考を放棄することにした。
気にならない、と言えばそれは嘘になってしまう。
しかし、わざわざ理由を尋ねるほどのものでもないし、なんだか自分が嫌な奴のように彼は思えて仕方がなかった。
何かしらの縁があれば、わかるだろう。その程度にして締めくくり、思考は新たな方向へ進む。