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第5話:悪夢

 ――見知らぬ町を歩いている。


 そこはとても静かだった。車が走る音、人の喧騒、ありとあらゆる音が排除された、不気味なほど静かなのに穏やかさを憶える。

 しばらく歩いていると、一軒の喫茶店があった。

 どこにもでありそうな小さなその店に、彼は足を進める。別段空腹でもでもないし、立ち寄る用事も特にない。仕事の合間の暇潰しとして利用したことはあれども、それ以外では基本彼は喫茶店を利用しなかった。

 今日は、ただなんとなく――そんな曖昧(あいまい)すぎる理由で彼は喫茶店へと入った。


 外観からでも察せられたとおり、店内はこじんまりとしている。

 カウンター席が六つ、テーブル席が四つ。空いているのはテーブル席のみ。四人座れるようになっていて、そこを自分一人だけが陣取るのも少しばかり気が引けるところであるが、店員に促されたので気にせず席に着く。

 アキラが席に着いたと同時に、女店員がやってきた。

 一先ずコーヒーを注文して、せっせと厨房へと去っていく後姿を見送った後、周囲へと目を向ける。

 穏やかな曲調のBGMだけが店内に流れていて、後の客達は一言も発することなく、各々が思い思いに時間をすごしている。

 喫茶店とはそういうものである、という価値観がある彼はこの空間を快く思った。あんまりわいわいと賑わっている場所は好きではないし、特に食事においては落ち着いて食べたい。

 ここは、恐ろしいぐらい自分に合っている。

 程なくしてコーヒーが運ばれてきた。

 砂糖もミルクも一切使用しない、ブラックのままアキラは口へと含む。

 苦い。けれども美味しい。素材の味に舌鼓を打っていると不意に、すいません――隣のテーブル席から声が掛かった。

 アキラが声がした方へ顔をやると、スーツの男がいる。その頬は痩せこけていて、肌の色も悪い。目の下にできている隈は、もうどれだけ睡眠を満足に取っていないのか予想ができないぐらい濃い。

 明らかに普通ではなかった。この男との面識がまったくない彼であったが、一人の人間としてスーツの男の身を案じて、とりあえず病院に行った方がいいんじゃないか、とだけ言っておいた。

 ありがとうございます、とスーツの男はそう言って力なく笑った。幾分か瞳に輝きが心なしか戻ったようにアキラは見えた。


 ――異変は、この後すぐにやってきた。 


 ぎょろりと白目を剥きスーツの男の表情が豹変した、と認識した瞬間彼は首を両手で掴まれていた。

 温厚な顔立ちをしておいて、その膂力(りょりょく)と握力は信じられないほど強力なもの。見た目に反して凄まじい力に抗えない、この事実がアキラを驚愕させた。

 お前もこい、とスーツの男が呟いた。

 すると、それまで誰一人として喋らなかった客が一斉に口を開く。


 ――ここには幸せがある、俺は幸せだ、だからお前もこいおマエもこいオマエもコいオマエモコイオマエモコイ……!


 アキラはP228をホルスターから抜くと、スーツの男を撃った。一発の銃声を皮切りに、店内が騒然と化す。首絞めから解放されたアキラは、立て続けに発砲した。

 一発、二発、三発……喫茶店にいる乗客の数だけ、彼はトリガーを引く。

 二つの銃口から硝煙が昇り、鉄の臭いが狭い空間に満たしていく。

 十数名という命がものの数秒で物言わぬ骸へと変わった。地獄絵図を前にして、何が起きたのか整理してみるも、思考が追い付かなかった。

 ともあれ、ここを出る必要がある。

 長居をしている意味などないし、この騒ぎに警察が介入しないはずがない。現状証拠だけでも、今のアキラは立派な犯罪者として成り立ってしまう。


 店の裏口を使って、外へと飛び出す。

 その数秒後、店の方からした荒々しい物音を耳に、彼は逃走を続ける。その傍らでは何故このような事態になったのか、突然豹変した男や周囲の客には何があったのか、などなど思考を忙しなく巡らせる。

 もちろん、納得のいく回答なんで出てくるはずもなし。

 何一つわからぬまま、いつまた彼らのように豹変した人間に襲われるか。この町にいる限り、安全な場所はない。


 ――逃げた先に人がいた。


 平凡という言葉がとても似合いそうな男は、平常心を装ってこそいたが、彼の視界にアキラが映り込んだ途端、豹変して襲い掛かる。

 またトリガーを引く。鮮血が噴き出て、その音で自らの存在を気付かせてしまった。狂人の群れがアキラへと一気に押し寄せる。

 昔に師に嫌々見せられたホラー映画を思い出させる光景に、彼は苦笑いを浮かべて再び走り出す。


 ……どれだけ走っただろう。足が鉛のように重く、呼吸に気怠さを憶えるその傍らで、アキラは沈思する。


 一分、十分、一時間近く走ったのかもしれない。

 アキラは未だ、この悪夢と呼ぶに相応しい町から抜け出せていなかった。背後からは絶えず狂人が押し寄せ、彼は振り返りざまに撃ち続ける。こんなやり取りを、あの喫茶店からずっと続けていた。

 クソが、と悪態をもらしてしまう。

 彼の手元にあるマガジンは、もう数えられる程度にしかない。これを失えば確実に負ける。

 どこまで逃げ続ければいいのだろうか。

 ひょっとすると、この町から永遠に出られないのではないだろうか。そんな不安がアキラの脳裏によぎった。


 ――それは電光石火の如く目の前に現れた。


 進路を塞ぐようにして人が立っている。少女だ、その手には彼女には不釣り合い極まりないアサルトライフルが携えられている。

 とうとう武器まで持ち出されて、いよいよ彼は死を覚悟した。しかし少女はアサルトライフルを構えこそしたものの、弾薬ではなく言霊をアキラへとぶつけたのである。

 伏せてください、とその少女が叫んだ。

 アキラがそれに従ったのは、最早直感だった。

 どこの誰で、敵か味方かもわかっていなかったが、この娘は恐らく信用して大丈夫だ。そうアキラは判断した。

 程なくして、銃掃が始まった。

 排出された薬莢が連続して地を叩く音と共に、けたたましく響く銃声の数だけ狂人達が血の海へと沈んでいく光景を見せつけられる。

 アキラも、少女が撃ちもらした狂人を撃ち殺す。


 ――静寂を取り戻した町に、むせ返るほどの血の香りが漂っている。


 すべての弾薬を使い切り、ついに狂人の群れを鎮圧させることができた。それもひとえにこの少女が加勢してくれたことに他ならない。

 大丈夫ですか、とその少女が言った。

 大丈夫だ。ありがとう、とアキラは返す。

 よかった、と呟くように口にしたその少女の顔は、世界で一番美しく映った。


 ――視界がぐらり、と揺らいだ。


 あぁ、そうか。アキラは納得した。

 今になって考えてみれば、とても納得がいく。この世界はあまりにも現実離れしすぎていた。仮にもし、ここであの狂人らに殺されていたとしても、彼は死ぬことにならない。何故ならばこれはすべて、夢の中の出来事なのだから。

 身体がふわふわとする。意識がどんどん薄れていくが、そこには不安や不快感といった不純物は一切ない。眠りに就くようなものだから、彼は安心して身を委ねられる。

 霞んでいく視界でもう一度だけ、アキラは少女の方を見やった。

 世界が霞んでいるのに、彼女だけは鮮明に瞳の中で佇んでいる。優しくて、美しくて、忙しなく鼓動を打たせる笑みを浮かべたまま、少女の口がゆっくりと動く。

 また逢いましょう、そして次は……――最後だけが聞き取れなかった、がきっとそれは悪い内容ではない。

 根拠なき自信を胸にして、アキラはそっと意識を手放した。

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