9. ギャラクシア 4
「キス。知っているよ。人間の求愛行動の一つだね」
星子は背伸びをしてディーアの唇へ軽く口付けた。ひどく暖かく、優しく甘い。そして何故だか懐かしい気持ちになった。まるで前から知っているような、そんな感触。顔を上げて、ディーアの顔を見てみると、何も変わっていなかった。そうか、この目の前の生き物は死に星という、別世界の生き物だった。人の形をしているが、感情というものがあるのかどうかまだ謎だった。それでも、今の星子にとってはそれがむしろ心地よかった。愛や同情などといった感情もなく、ただ自分の弱さや甘え、醜さを受け入れてくれる器に思えた。
「不思議ね。さっきまで、空が真っ白に見えたのに。今じゃこんなにも暗く輝いて見えるのは」
「ここでは時間も、凝り固まった概念もない。そんな不自由なものは一切ない。君が望むなら、きっと望む君になれるさ。星子、君は何を望む?」
「望むもの……」そこで、星子の腹からぐうと鳴った。星子は慌ててお腹を抑え、気恥ずかしげに顔を染めた。
「えっと、望むものは……ご飯かな」
ディーアは目を丸くしてから、吹き出して無邪気に笑った。
「ご飯か。そういえば食べてなかったもんね」
「ごめんなさい」
「いいんだよ。それじゃあ星子、下に降りて星夜祭の様子を見てみよう」
「そんな事していいの?怒られない?」
「怒られる訳がない。君はリンカーなんだ。さあ、僕の手に捕まって」
ディーアは星子の手を掴んだ。
「あ、でもディーアその格好で行くの?」
「心配性だなぁ、星子は。昔から変わらない。大丈夫。死に星に身を任せて」
そう言って、ディーアはぼんやりとひかりを身にまとって、やがてその体は粒子となって宙に散ってから再び集まり、なんと人間だった姿から、美しく、豪壮な角をした鹿の姿に変わったのだった。その額には菱形の、宇宙の色をした装飾が埋め込まれていた。
「僕の背中に乗ってご覧」
「え、いいの?」
「僕は星子にダメだなんて言わないよ」
「分かった。重かったらごめんなさい」星子は鹿の背中の上に乗った。すると、鹿のディーアは勢いよく前足を上げたので、星子は振り落とされないようにしっかりとディーアの首元へしがみついた。
「行くよ、星夜祭へ」
ディーアは開いた窓に向かって駆け出した。
「ちょっと待って、ここから?――ディーア落ちちゃう!」
慌てる星子を他所に、ディーアは夜空目がけて飛んだ。星子はきつく目を閉じていたが、心地好い夜風に瞼を恐る恐る開くと、星々の中を浮かんでいた。
「わ、わあ」
ディーアはまるで野原を駆け抜けるみたくして、夜空を走り抜いていく。
「ディーア凄い、こんなに近くで星を見たのは初めて」
呼吸をするのを忘れるくらいに、懸命に輝く星々に目を奪われる。このままどこまででも行ってしまいそうな程に、ずっと遠くを見渡しても星の道は続いているのだ。近くで見た星は水色や赤や白銀と色々に輝いていた。ディーアはその中をお構いなく駆け抜けていく。星子の意思と繋がっているかのように。時を忘れたまま夜空の星達と戯れていると、ふと鈴のような笑い声が聞こえてきた。
「この声は何?」
「カストルとポルックスだよ。二人は双子の兄弟で、ああやって夜空で仲良く戯れては笑っているのさ」
目を細めて見てみると、金色と銀色に輝く星が段々と双子の男の子の姿に変わり、ぴったりと体をくっつけながら楽しげに遊んでいるのだった。どこかで聞いた御伽噺のような光景だった。
「さあ下へ降りて祭りを見てみよう」
ディーアは夜空を下降した。段々と星々にも負けないくらいに様々な明かりの灯った街の賑わいが現れてきた。地面に着地すると、青や白といった星を模した装飾が屋台や建物を着飾っている。
「わあ、なんて綺麗なの」
星子は心が躍った。
「さあ寄ってらっしゃい見てらっしゃい。シュワシュワはじける星屑ソーダだよ」屋台の店主の声に星子は反応して思わず体が引き寄せられた。
「すごい、本物の星が入ってるみたい」
「一杯100セリンだよ」
「あ……そういえばお金持ってない」
「いいやアンタはタダだよ」
「え?」
「後ろに居るの、死に星だろ?星の紋章が額についてる鹿なんて居ないからな。リンカー様に金を取るわけにはいかない」
「でも……」
「いいんだよ、星子。お言葉に甘えな」ディーアは後ろから優しく言う。
「ありがとうございます……それじゃあ、ひとつ下さい」
「あいよ!星屑ソーダ一杯召し上がれ」
「本当に良かったのかしら」
店から離れても、慣れない厚意に戸惑っていた。そんな星子にディーアは口を挟む。
「君は世界を救うんだ。こんなの安いものだよ。それより飲んでご覧」
世界を救うという台詞には未だ違和感があったが、キラキラと光るソーダ色のジュースを眺めていると喉が唸って、ストローに唇を挟んで一口飲んだ。
「ん、美味しい!本当にソーダみたい」
炭酸とラムネのような、ブルーハワイのような、清涼感のある味が口いっぱいに広がって、一気に飲み干してしまった。
「美味しかった。ねぇディーア、あれも気になる……」
少し顔を赤くしながら、星子は屋台を指さした。そんな様子を見て、ディーアは小さく微笑んだ。
「うん、いいよ。行ってみよう」
星子は祭りを心から楽しんだ。いっそこのまま夜が続けばいいと思った。お腹を満たして、人々や街の様子をじっくりと観察する余裕が湧いてきた。歩き疲れた星子は、人混みから少し離れた道のヘリに腰をかけて言った。
「そういえば、さっきのおじさんは星の紋章って言っていたけど、この額の宝石みたいなやつのこと?」
星子はディーアの額に埋め込まれている、宇宙色をした不思議な菱形を眺めた。
「ああ、この紋章はリンク者と精神を繋ぐ、死に星にしか無いものなんだ」
「ディーアだけ、特別?」
「いや、死に星という生命体は不思議でね。どうも、リンク者がどこからか現れた途端に目覚め、自然と引き寄せられるようになっているみたいだ。僕は今まで暗闇の中をさ迷っていたんだよ。そうしたら急に、目を開けられない位の眩しい光に導かれた。目が覚めたら君がいた。僕は何故だか君を知っていて、自分の役割を知っていた。……でもね、星子。死に星は僕だけじゃない。他にも存在するんだ。けれどこの世界を救えるのは君だけなんだよ。星の運命は皆それぞれ違うから」
「星の運命……」
見た事のないような溢れんばかりの星空を見上げながら呟いた。それから、長い睫毛の下に寂しげな瞳を浮かべているディーアに気づいた。恐ろしい程に綺麗な色をしているのに深い青の中には底知れぬ孤独が潜んでいるようだった。それは限りなく、人間が観測出来ぬ程に広がっている宇宙空間のようで。静かに混沌を受け入れ、ただぼんやりと光る星のようでもある。星子はディーアの薄水色か銀色に見える毛並みをそっと撫でていた。ディーアは心地良さげに瞼を落とした。
「ありがとう、星子」
その時、無限の空を照らす星々をたたえるように、やさしく温かな歌が聴こえてきた。
「この歌は?」
「星をたたえる歌さ。暗い夜空を灯す光がもっと輝きを増すように、皆で歌うんだ」
祭りの人々を見てみると、皆が夜空を見上げて祈るように歌っていた。
「綺麗な曲」
星子はその歌を聞き入り、同じように夜空を眺めた。
しかし、突然歌声から高い悲鳴が一つ上がった。そこから一転、人々はざわめき出した。人々の視線の先を見ると、地面からまたあの影のような気味の悪い生物が蠢いていた。
「どうやらホッリビスが現れたみたいだね」ディーアは淡々と言う。
「何でこんな所にっ」
「星子、変身だ」
「ちょっと待って、そんな急に言われても。負けたらどうするの?」
さっきは上手く行ったが、そう何度も勝てるとは限らない。今度こそ死ぬかもしれない。星子は不安で目が眩んだ。こんな嫌な役目は他の誰かがやってくれればいい。次第に乱舞するような悲鳴は何だか遠くの出来事に感じ、足はその場から張り付いたように動けなくなる。
「私、やっぱ無理。リンカーなんてやりたくない」
どうせ自分はただの星子なのだ。何の役にも立たない、遠坂星子。現状から目を逸らそうと、頭を抱えて俯いた。真っ暗闇が自分の居場所のように思えた。そんな中、一人の男性が星子を指さして言った。
「あの子はリンカーだ!俺達を救ってくれるぞ」
人々の視線は一気に星子へ集まった。星子の心音はばくばくと走った。ここから逃げてしまいたいと願った。しかしそんな星子の心情など梅雨知らず、街の人達は期待の目で星子を見つめ、応援した。
「リンカー様!さあ、ホッリビスを倒してくだされ」
ぐるぐると吐き気がする。ホッリビスは街の人へ襲いかかり、痛々しい声が聞こえた。
「早くしろよ!子供が死んじまうだろ」人々の声は段々と苛立ちを孕んでいった。星子は泣きそうになりながら、耳を塞いでしまいたかった。
「私、好きでリンカーになった訳じゃない!」堰を切ったように涙がこぼれ落ちる。恐怖なのか混乱なのか分からぬぐちゃぐちゃの感情が溢れ出す。
「皆無責任だよ。私だって、死にたくないのに、どうして私ばっか」
顔を上げてみると、ぐねぐねと影のように蠢くホッリビスが触手を素早く伸ばして屋台を破壊していた。傷を負った人もいた。人々の視線はこちらへ向いている。その目は冷ややかだった。先ほどの朗らかな顔をした人達はそこには居なかった。
「星子、大丈夫だよ。僕がついている。君は一人じゃないんだ」ディーアの声だけが確かに鼓膜に届いてくる。それでも今の星子には何の響きももたずにいた。
「無理だわ。私は弱いの!!」
「あなたも、リンカーなのですか?」
狂いそうな感情を止めたのは、小さく弱々しい声の持ち主だった。顔を上げてみると、声の通り気の弱そうな少女がそこにいた。自分と同じ年のようだった。その横には額に赤い色の紋章を埋めている赤黒い星型の生物が居た。ディーアにそっくりだった。少女は続ける。
「私も……怖いけど、一緒に頑張ったら何とかなるかもしれないです。だから、一緒に戦ってくれませんか?」
少女は星子に手を差し伸べる。星子は少しだけ恐怖心が和らいだ気がした。
「うん、……ディーアお願い。力を貸して」
「アデスもお願い」
どうやら少女の死に星はアデスというらしい。少女の言葉に反応して死に星は光の粒子となり、少女の身体を纏い、星子のようにリンカーへと変身をさせた。星子も同じく、ディーアと繋がる。
二人のリンカーが揃い、ホッリビスと対面する。人々の声には活気が戻り、声援が上がってきた。
「戦い方は覚えているね、星子」胸の中にディーアは語りかけてくる。星子は頷き心に念じた。するとディーアは長剣へと変化した。
「私がこの炎の弓矢でホッリビスの気を反らします。その隙に距離を詰めて敵を仕留めて下さい」少女は黒い弓矢を的に向かって構えていた。
「分かった」
「星子避けて!」
ディーアの声に反応し、星子は横に向かって慌てて避けた。膝を擦りむいたが、直ぐに星の力によって回復した。
「大丈夫ですか?」
「な、何とか」星子は立ち上がって再び剣を構えた。
「早く仕留めないと、ですね。行きますよ、ファイヤースコーピオン!」
少女が矢を放ち、その矢はまるでサソリの形をしながらホッリビスを目掛けて捕らえた。すると、矢を受けたホッリビスは一心不乱にうねり出した。
「今です。ホッリビスは今、炎と毒に侵され身動きがとれません」
星子は恐怖心を奥歯でかみ締めると、ホッリビスの方へ勢いよくかけて行った。そして、頭から力強く剣を振り落とした。ホッリビスはのたうち回ると、やがてその姿は空中に塵のようになって消滅した。
「良かった、倒せた」
星子はその場にへたれこんで、深く息を吐いた。
「ありがとうございます。おかげでホッリビスを倒せました」と、少女は言った。
「そういえば、自己紹介をしていませんでしたね。私の名前は、昴。よろしくお願いします。そして私の死に星はアデスといいます」昴はそう言って手を差し出した。星子はその手をそっと握った。昴は優しげで大人しげな表情をしている。小柄で肌が白く、きっと学校にいたら密かに男子の人気を攫うような、そんな女の子だ。
「私は星子。私の死に星はディーアっていうの。こちらこそよろしくね」
自己紹介を済ませると、街の賑わいがどっと鼓膜を震わせた。歓喜の祝福の声が、一斉に上がる。二人の少女によって、異形の者が倒され、祭りは再び湧き上がりを見せていた。
しかし星子の体はすっかり疲れ切っていた。
「星子、部屋に戻って休もうか」ディーアの言葉にゆっくりと頷いた。静かに祭りを去ろうとすると、昴が背中に声をかけてきた。
「あの!」
星子が振り向くと、昴は少し気恥ずかしげに、もじもじとしながらこちらを見ていた。「私と友達になって下さい」
「友達……?」
「嫌だったらいいです。でも、星子ちゃんとは何だか仲良く出来そうだなって、勝手に思ったので……。もし良ければ」
星子にとってもそれは嬉しい申し出だった。返事は考えるまでもなかった。
「うん、いいよ。友達になろう」
笑顔を見せて答えると、昴も同じように笑顔を浮かべた。胸の奥が何だか暖かく、初めて心細さが消えるような感じがした。
「ありがとうございます!」昴は大きく頭を下げた。
それからそれぞれ別れて、星子はディーアと一緒に城へと戻った。祭りは何だか気が騒いでしまったが、心はどこかはしゃいだままで、安らかだった。星子は制服のまま、ベッドに倒れ込んだ。
「星子、着替えないのかい?」
「んー、面倒臭い。体がだるくって」
「今日は沢山精神力を消費したからね。ゆっくり休むといいよ」
星子の体にふわりと毛布がかけられた。顔を上げてみると、男の子の姿をしたディーアが立っていた。相変わらず服は着ていない。けれどもう突っ込む気にはなれず、再び枕に顔をうずめた。傍のシーツが重く沈み、髪の毛を撫でる大きな手が心地良さを誘う。ディーアがベッドの縁に座っているのだろう。
「星子、君はリンカーになって世界を救うべきだ」
その言葉に星子は黙り込んだ。
「怖いのかい?けど君にしか出来ない。この世界は邪悪に侵されている。この世界を救うには君の精神が必要なんだ。僕は君をよく知っているんだよ。君が幼い頃からずっとね。だから、君が本当はどんなに強い子だか知っているんだ」
「貴方、私の事を知ってるの?」
そう問いかけた時、星子の頭に急激な痛みが駆け巡った。思わず顔を歪めて頭を抑えると、ディーアは飄々と言った。
「今は答えられないよ。いずれ分かるさ。さあ、今日はもう寝よう。どの道星子がこの世界から出るには、ゼウス様に頼む他ないんだ。眠れないと言うなら一緒に眠ってあげようか?」
普通なら断るところだった。まだ完璧には信用しきっていないものと眠るなど有り得ない。けれど、人間の姿であるディーアを前にして、人間らしい善意がほんの僅かに勝った。
「いいけど、何もしないって約束してね」
「何もしないって、性行為の事を言っているのかい?」
星子は小さく何度も頷いた。
「大丈夫だよ。君が望むなら別だけど、僕から自我をもってそういう行為をしようとしても出来ないからね」
「そうなんだ……。不思議だね、人間そっくりなのに」
「星子は見たことあるのかい?人間の男性の――」とディーアの声を遮って、
「わあ!!もう寝る!ディーアも風邪ひかないようにちゃんと服着た方がいいわよ。何かその格好変態っぽいもの」
星子は一人、広い清潔な真っ白いベッドへ潜り込んだ。言われたままのディーアは一先ず自分の姿を見下ろしてから、されども裸体のまま星子の背中をそっと抱きしめた。シーツ越しに生暖かい感覚が星子の体を伝うと、自然と耳が赤くなっていく。
「ディーアはどうして温かいの?死んだ星なんでしょ?」
「死に星はリンカーの精神で、輝きを取り戻す。温かいのは、君の気持ちが今温かくなっているからじゃないかな」
「そう。私がもしも消えたら、貴方はどうなるの?」
「元の死に星に戻るだけさ」
「それって、怖くない?」
「怖いよ。だけど一番怖いのは、僕という存在に意味が無くなる事」
星子もディーアの言葉に同感できた。毎日学校に通っていても、家にいても、誰にも存在を認められず、自分自身の価値すらも次第に分からなくなっていく。死んでいるように生きる。心を殺して、生きる。宇宙にたったひとつ取り残されてしまった死んだ星のように。
星子は考えた。こんな自分でも必要と思ってくれるものがいるのだろうか。信じてくれるものがいるのだろうか。名前を呼んでくれるものはいるだろうか。もしも、ほんの僅かでも一歩を踏み出せたのなら、認めて、褒めてくれるだろうか。
よく頑張ったわね。生まれてきてくれてありがとうと、あなたは褒めてくれるだろうか。
星子は笑顔をつくって振り向いた。
「私、世界を救ってみせる」
「え?星子。それは本当かい?」
「うん。まだ出来るか分からないけど、でも……少しでも頑張ってみようと思う。そうすれば、きっと何かが、それは誰にも気づかれない程に小さい事かもしれないけど、何か変わるわよね」
星子は真っ直ぐとディーアを見詰めた。珍しく前向きな気持ちだった。
「ありがとう、星子」
そう言って、ディーアは瞼を閉じた。ディーアの体はあの夜空の星々のように輝いて見えた。
「あれ、ディーア。なんか光ってる」
「星子のおかげだよ。今、僕の中には強く精神力が高まっている」
「面白いね」
「明日早速ゼウス様に報告をして、この街を出よう。星の導きを示す羅針盤をくれるはずだから……。星子?眠ってしまったんだね。ありがとう。僕と一緒にこの世界を救って」
星子の額へディーアは唇を寄せた。夜空の星々は未だ光り輝いては暗闇へと流れ、星子の運命の行く末を暗示しているかのようだった。




