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10. 世界は他人事のように廻り 1

 *


「何か臭くない?」

  一人の生徒が鼻を摘んでそう言った。次々と湧き上がる悪意の孕んだ囁き声と笑い声。いくら俯いていて、自分の影に逃げても視線が突き刺さる。そうだ眠ろう。机に突っ伏して、夢を見ようと試みる。何度も何度も。そうして何事もない世界へと、いつまでも沈んでしまえ。そう深く願った。

 

  四次元目が終わるチャイムが鳴る。

「あんたの昼飯」

 そう言って、タッパーをひっくり返し、机の上に汚物をぶちまけられる。それは何かの生き物の糞のようなもので。漂う汚臭に、周りのクラスメイトからもひそひそと声が上がる。

「もう本当に臭いんだけど!どっか行けよー」

 誰も助けない。ここは悪夢だ。きっと目が覚めれば別の世界にいる。机を蹴られ、静かに教室を後にする。笑い声は背中に放たれた。

「二度と帰って来なくていいよ」

 世界は暗闇に包まれて、どこへ歩いていっても足音を消すように自分は空気なのだと信じ込む。笑い声や、悪口は全て自分に向けられているものに思えた。

 汚いなあ。醜いなあ。鏡の中の私へ呟くと、両手でめいいっぱい髪をかき乱した。

 呆然と、どこか遠くへ行きたい。


 息を吸っている、歩いている事が罪だ。笑う事は罪だ。存在している事が罪だ。ならば息を殺そう。鼻が、目が、口が、髪が──人様に迷惑をかけてしまう。これ以上醜くならないように、人の迷惑にならないように。

  縮こまりながらトイレでパンを貪っていると、外から同級生達の声が聞こえてきた。身を潜めていると、扉をどんと蹴られた。それから上から大量の水が降ってきた。

「あんたさ、死ねよ」


 嫌悪感まみれの声が鼓膜へ突き刺さった。

  セーラー服が体に張り付いて、惨めったらしい自分の存在が、自分の中でどんどん色褪せていく。あの人達の笑い声も遠退いた。便器に小さな蝿が一匹くっついている。ああ、あなたみたいだったら。虫になるの、虫になれ。感情を殺して、ただ飛ぶだけの虫に。

 息を殺して、世界を白く塗りつぶす。いっそ、死んでしまいたい。


「遠坂」

 あの人が呼ぶ。大人の包容力で、どこまでも心を満たしてくれる。ようやく、遠坂星子になれた。名前を呼ぶ声で、命を満たしてくれる。胸に触れる指には、銀色の指輪が嵌められている。この人も人のもの。だけど今だけは自分のもの。

  命が触れ合う瞬間だけは、呼吸をする事が許される。それだけでいい。生きる意味など、それだけで。そしてあの人の命は、腹の奥で死んでいく。あの蝿のように。

気がつくと涙を流していた。しかしその人は理由を問わない。そこが好きだ。そう思った。この感動も、星が死んでいく一瞬のうちの出来事なのだ。


 ──もしも私が死んだら、皆を幸せに出来ますか?この世界を救う事は出来ますか?


  夜空に問いかけても、誰も何も、答えてくれなかった。


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