1.最期の夜空
──星子。
誰かの呼ぶ声が聞こえる。
視界は真っ逆さまに反転し、私は離れ離れになった胴体や、宙に飛び散る血液を見届けていた。
──星子。
一体誰が私の名を呼んでいるのだろう。景色はぼやけている。
それでも私は何故だか、ぼんやりと桜が綺麗だ…なんて事を考えていた。記憶が途切れるまで。
──ここは、どこ?
いつからだろう。一体いつから。気がつけば、私の今生きている現実は現実ではなくなっていた。
プロローグ
「ねぇ、星も自殺ってするのかしら」
星子は科学室の窓の外の、遠く小さくぼやけている点々とした星を見つめて、とても言葉に覇気のない様子で言った。
「科学的に言えば、星もいずれは宇宙から消えてしまうけど、文学的に言えばそれも有りうるかもしれない」
と、星子の隣で同じく星を眺めて言ったのは、白衣を着て銀縁眼鏡をかけた、科学教師の蓮藤であった。
「そう……」さも興味無さそうに返事を返す。
それよりも星子の興味は、蓮藤の左手の薬指に輝く指輪にあった。そんな星子の視線に気づいて、蓮藤はまだ幼さの残る星子の華奢な肩を抱き寄せた。そしてそっと唇を寄せようとしたが、口許には細い指先だけが置かれ、吸い込まれるように黒い瞳が覗くだけだった。
「先生」
「ん?何だ、遠坂」
「私ね、明日死のうと思う」
その台詞を聞いて、初めて蓮藤は気がついた。星子は自分ではなく、どこか別の世界を見ている。
「死ぬなんて止めなさい。星子が死んだら、周りの人間が悲しむ事になる」
星子はそっと笑みを浮かべた。それは作り笑いで、とても人が感情を持っているようなものには見えなかった。
「先生は優しいのね」
「当たり前だろう。先生は誰よりも遠坂の事を思っている」
「ありがとう。ねぇ、キスして」
言いながら、自分から求めるように蓮藤へ唇を寄せた。重ね合った唇はどこか小さく震えていた。触れ合った唇が張り付くようにはぐれると、星子はにっこりと笑った。その夜は少し冷たかった。
それが蓮藤の思い浮かべる、遠坂星子の最期の姿であった。