第九十六話 日常の風景
うーん、と伸びをして起き上がる。
同時にわたしは魔力を練り始める。
ベッドからおり、窓の前で外の景色をながめる。
朝日を浴びながら、体内で魔力が巡るのを感じる。
異世界の景色は美しい。前の世界はなんだか灰色がかっていた気がする。
いや、もしかしたら、と考える。
今は、すべてが楽しいから、景色が輝いて見えるのかも。
結局自分が見てるのは、自分の心の風景なのかも……。
(夢は現実の投影であり、現実は夢の投影である。と、フロイトも言っている。ワガハイはこれはもしかしたら……)
にゃあ介の言葉をさえぎって、わたしのお腹がぐうと鳴った。
「う、むずかしいこと考えたらお腹すいた」
(もしかしたら比喩ではなく額面通りの意味ではニャいかと……)
「談話室いこうっと」
にゃあ介がまだ何かぶつぶつ言っているが、わたしは朝日に向かって深呼吸する。
さあ、今日も一日頑張るか!
談話室へ入ると、いつもどおりセレーナが長椅子に座ってお茶を飲んでいる。
「おはよう、セレーナ」
「おはよう、ミオン。じゃあ、いきましょうか」
ティーカップを置く仕草も優雅だ。うーん、やっぱりお嬢さま。
「ねえ、お腹すいた。パンもらっていこう」
わたしが言うとセレーナは、ふふと笑う。
「ミオンはよく食べるのね」
この世界では、朝ごはんはぜいたく品だ。
ほとんどの人は食べないか、ごく軽くすませる。
一部の食いしん坊と、高級な宿屋に泊まったときだけは別のようだ。
わたしは 寮で用意されたパンをもらうと、それをくわえて外へ出る。
「いい天気だね」
「ええ」
わたしたちは学校に向かう道を歩き始める。
授業中も魔力を練り続ける。
授業に集中しろって怒られそうだけど、エスノザ先生の教えだし許してもらえるよね?
それに魔力を練りながらでも先生の話が耳に入ってくるようにするのって、結構いいトレーニングなんだ。
わたしのちょっと苦手な薬草学の授業では、心が他のところへさまよい出す。
ワイナツムの洞窟での一件を考える。
なんだったんだろう、あの毒の煙は。
一体誰があんなことを?
「メリル草は広く自生している薬草で――」
今となってはわからないが、もう少しでわたしたち全員が命を落とすところだった。
許しがたい行為だよね。
「下級回復薬の材料として用いられることが多く――」
ああ、それにしても……魔導書、欲しかったなあ。
「ミオンさん、聞いてますか」
「あ、ハハハハイ! いやあの、いいえ……」
また怒られちゃった……。
お昼休みになり、食堂へ移動する。
わたしは麦粥に乾燥ブラックハネンを削りかける。
「昨日は危なかったね」
「ああ、だが何のためにデビルグラスなど……」
リーゼロッテもブラックハネンを削りながら言う。
「ええ、ミルがいなかったらもう少しで……」
セレーナも削りながら、言う。
せっせと削るわたしたち三人を、不思議そうに周りの生徒たちが眺めているが、気にしない。
わたしたちがヒソヒソ話をしていると、ミムとマムがととと、とやって来た。
「何の話ですか、ミオンさん!」
と、大声を出す。
「な、なんでもないよ」
「そうなんですかー? ……ミオンさん、ワイナツムの洞窟へは行きました?」
わたしは、どこまで話したものかと考える。
「あのね、行ったんだけど……」
「本当ですかー!? さすがミオンさん!」
ミムマムの大声に視線が集まる。
「しー、しー!」
「それで、それで、魔導書は手に入ったんですか?」
「それが、魔導書なんてなかったんだ」
とっさに毒の煙のことはふせておくことにした。
「えーそうなんですかー? あのウワサ、嘘だったんだ……」
「ねえ、あのウワサ、一体どこで聞いたの?」
わたしが訊ねると、ミムマムは、顔を見合わせ、言った。
「気がついたらみんな話してました。ウワサの出どころはわかんないですぅ~」
午後の授業をつつがなく終えると三人でトレーニング場へ向かうのだが、ときどきエスノザ先生の特別授業がある。
今日は特別授業のある日だ。
夕暮れどきのこの街はとにかく格別だ。
何度見てもそう思う。
わたしは校舎から望む町並みを眺め、感慨にふけっていた。
にゃあ介は、
(ただ赤いだけではニャいか)
なんて、眠たそうに言っている。
「それがいいの。ネコにはわかんないかなー」
(ミオンは花より団子といった感じだがニャ)
「なによー」
そんな軽口を叩きながらエスノザ先生を待つ。
あ、先生のおでましだ。
「さて、今日は魔力を練りますよー」
またかい!
わたしはそんな漫才のつっこみみたいな声が出そうになるのをこらえる。
まったく、エスノザ先生も他の先生も、基本基本でいつまでたっても実戦を教えてくんないんだから……。
(それだけ大事なことだ、ということニャ。基本をおろそかにして、実戦などとてもおぼつかない)
にゃあ介も基礎重視派だからねえ……。困ったもんだ。
わたしは、どんどん実戦やっていきたいのに!
(やれやれだニャ)
やれやれだわ。
「ときにミオンさん。なにやら生徒たちの間にワイナツムの洞窟に魔導書が眠っているという噂が流布しているようですが」
「ハイ」
「私はそれについては懐疑的です。危険なので行かないように」
「ハハハハイ!」
特別授業が終わると、わたしたちはトレーニング場へと向かう。
わたしはセレーナと剣(棒)を交えながらも魔力を練るのを怠らないようにする。
リーゼロッテは身体強化魔法をかけて、弓の精度を上げる特訓中だ。
剣と魔法、弓の練習をそれぞれが行い、日が傾いたら寮へ戻る。
晩ご飯は、寮でいただく。
寮母さんは、ヤートナさんといって、大柄で長い黒髪が特徴的の、とても温厚な人だ。
彼女の作る料理は、味はともかく量が異常に多い。
食べ盛りのわたしとしては、嬉しくもあるのだが、そろそろウエストのラインが気になりだしてきた。
セレーナはどうなんだろう? 全然、体型変わんないけど。
「もしかして、食べても太らないタイプ?」
「?」
フォークでお肉を上品に口へ運びながら、きょとんとするセレーナ。
うー、ずるい……。
(ミオンは何度もおかわりするから、ぶくぶく太るのだ)
「ぶ、ぶくぶくですって、失敬な」
しかし、多少腹がたるんできたのは事実。あくまでも多少、ね。
食事も終わり、自室でベッドに倒れ込む。
苦しい、食べ過ぎた。
目を閉じる。今日一日の終わりだ。
ここでわたしはようやく魔力を練るのを止める。
「明日もまた、がんばろう……」
一日大いに勉強して運動して魔力を練った疲れから、心地よい眠りに落ちていく。
「食べてすぐ寝たら……太っちゃう……」
明日以降も、こんな風に平穏な日々が続いていくものと思われた。




