第九十四話 毒の煙
「さがれ! とにかくさがれ。この煙は危険だ」
リーゼロッテの指示でわたしたちは洞窟の奥へとさがる。
リーゼロッテがこんなに慌てるなんて、そうとう危ない煙なんだ。
「でも、どうしよう。煙の量はどんどん増えてるし、このままだと夜になっちゃう」
わたしたちの間に焦りがひろがる。
このままだと、洞窟内に閉じこめられてしまう。毒の煙が洞窟内に充満してしまうかもしれない。何か手を打たないと。
だけど、どうしようもない。洞窟に出口は一カ所だけだ。
下層へ逃げて、夜を明かす? どこまで逃げれば安全と言えるだろうか。
それに洞窟には魔物も出る。一晩中戦い続けなければならなくなるかも。いや、朝になったら煙が止むとは限らない。
かと言って、防毒マスクでもなければ煙の中を歩けない。
「まずいな……」
リーゼロッテでも解決策が浮かばないらしい。
ひょっとして、このままわたしたち……。
「よし」
不意に、落ち着いた声が、足元から響いた。
「ワガハイが様子を見てくる」
にゃあ介だった。
「え、でも……」
わたしは不安げににゃあ介を見下ろす。
にゃあ介は、そんなわたしを見上げる。
「ワガハイの身体はぬいぐるみニャ。毒など効かん」
そう言うと、にゃあ介はぴょんぴょん跳ねて煙の中に飛び込む。
「あっ」
「ほらな。なんともない」
わたしは躊躇する。
たしかににゃあ介は強い。
けれど、今は小さくてひよわな、ただのぬいぐるみだ。
「ほんとに大丈夫?」
「まかせておけ」
そう言うとにゃあ介は洞窟の入り口向かって跳ねていってしまった。
「大丈夫かな……心配だなあ」
しかし、わたしたちにはにゃあ介の帰りを待つことしかできなかった。
◆
しばらく経ったときだった。
ものすごいうなり声が空気を切り裂いた。
「なんだ……!?」
それはネコの威嚇する声に似ていた。
「あれは……にゃあ介?」
あんな声を出すなんて、何が起きてるの? にゃあ介に何かあったんじゃ……。
気がつくと、わたしは煙の中に足を踏み出していた。
「ミオン! だめよ!」
セレーナが炎を出していない方の手でわたしの腕をつかむ。
「で、でも、にゃあ介が!」
「戻れ、ミオン! この煙が肺に入れば、ただでは済まないぞ」
「息を止めて、突っきっていけば……」
うろたえるわたしに、リーゼロッテが言う。
「リモートゴーレムが倒されたとしても、ミルは術者の元へ戻ってこられるはずだ」
「そ、それじゃあ一体……」
「とにかくさがれ。煙を吸ってしまう」
「にゃあ介……」
「見て」
セレーナが前方を指差す。
わたしが二人に引き止められている間に、煙に変化が起きていた。
「うすくなってきてる?」
「どういうことだ?」
セレーナが炎を掲げる。
目を凝らすと、煙の中を何かがやってくる。
「敵か?」
わたしたちは身構える。
だが、現れたのは、ぴょこぴょこ跳ねる小さなシルエットだった。
「ニャッハッハ。ワガハイが一喝したら逃げていった」
「にゃあ介!」
わたしはにゃあ介をひっつかむと胸に抱きしめる。
「心配させないで!」
「むぎゅ」、とにゃあ介がわたしの胸で変な声を出す。
わたしの腕の間から顔を出したにゃあ介は、ぷふーと息をついて言った。
「誰かが、洞窟の入り口で毒の煙を発生させていたようニャ」
にゃあ介の言葉に、
「なぜそんなことを……」
わたしたちは顔を見合わせる。
「ミル、いったい何者だったのだ?」
「わからん。黒いフードを被っていたが……」
セレーナの顔つきが変わる。
「セレーナ! まだ駄目だ!」
リーゼロッテが、入り口へ向かおうとするセレーナを止める。
「まだ、煙が残っている」
「落ち着いて、セレーナ。煙が消えるのを待って、洞窟を出よう」
◆
わたしたちが洞窟を出ると、外はもう真っ暗だった。
洞窟の入口に、見たこともない草が大量に積まれていて、それが半分焦げている。
吸い込まないよう、リーゼロッテが手で口をふさいで検分する。
「やはり、デビルグラスだ」
「これをいぶしていたのね……あぶないところだった」
「ああ、燻煙を吸い込むと精神をやられてしまう。ミルがいなかったらどうなっていたことか」
わたしたちは、とにかく帰り道を歩き出した。
早足で歩いて、高台を下りる。
まだ遠くではあるが、街の明かりが見えてくる。
ルミナスの寮が近づくにつれて、安心感が胸に広がっていく。
見上げると、満天の星だ。またこの星空を眺めることができたことに感謝する。
わたしは、外の空気を胸いっぱい吸い込む。
「やっぱり新鮮な空気はいいなあ」
そんなふうに、生きる歓びをかみしめていると……
胸元で声がする。
「それはいいが、ミオン、そろそろ離してくれ」
気がつくとわたしは、にゃあ介をむぎゅ~っと強く抱えたままだった。
にゃあ介を地面に降ろすと、プルっと一回身体をふるわせてからぴょこぴょこ歩き出す。
「早く帰らないと、叱られちゃうね」
「……そうね。寮母さんを心配させてしまうわ」
口数少なかったセレーナも、ちいさく微笑む。
「それにしても、どうなっているのかしら。魔導書もなかったし」
「うん。残念だなあ……魔導書欲しかったのに!」
わたしは空を仰いで盛大にため息をつく。
「うむ。収穫はこれだけか」
そう言いながらリーゼロッテは懐から草を取り出す。
「あ、デビルグラス!」
「少々珍しいものだからな」
リーゼロッテはそう言って笑った。




