第七十六話 セレーナの場合2
玄関の扉は開け放たれていた。
息苦しいほど早まる鼓動を感じながら外へ走り出ると、庭で父と男が対峙していた。
父は男に目を据えたまま、言った。
「セレーナ、こっちへ来るんじゃない」
「お父さま? どうしたの、お父さま」
「なんでもない。お母さんのところへ行ってなさい」
なんでもないわけがない。私は父のこんなに厳しい表情は、先の戦役のとき以来、見たことがない。
「お父さま……」
「セレーナ、家に入りなさい」
その声に振り向くと、いつの間にか母が玄関の扉のところまで出てきてこちらを見ている。
何かを察したのか、母の表情も父同様、こわばっている。
「警告はしたはずだが――」
抑揚のない、男の冷たい声に振り返る。
まぶかに被ったフードの中から、隻眼がのぞいた。
父の手が剣にかかる。
謎の男は言った。
「余計なことに首を突っ込むから、こうなる」
あの人何を言っているの?
余計なこと?
こうなるって何? どうなるっていうの?
男が、手を蛇の鎌首のようにもたげる。
父が剣を抜いた。
男が何かつぶやく。
炎がほとばしったかと思うと、父の剣が弾き飛ばされていた。
戦闘の中で初めて見た魔法だった。
今度は男が剣を抜く。
父は動くことができなかった。
あの強い父が、一歩も。
そして、私の目の前で、父は殺された。
◆
その日以来、私は口を閉ざした。
誰からの問いかけにも答えなかった。母からの問いかけにも。
あの瞬間のことを、毎日のように思い出す。
弾かれた父のエリクシオンが、目の前に転がる。
私は剣を握ったまま――動けなかった。
話さなければ、全てなかったことにできるような気がした。
そして逆に、言葉を発したら、そこで全てが真実になってしまうような気がした。
あれは間違いだったのだ。なかったことにしなければ。
だから私は、口を閉ざし、扉を閉ざし、待った。
自分の部屋で、父がやってくるのを。
父がいつものように笑顔で私の名を呼んでくれるのを。
そう、そうしたら、剣術の稽古をつけてもらおう。
手抜きでなく、ちゃんと本気で。そして、私も父のように強くなるんだ。
だが、いつまで経っても父はこなかった。
いつまで経っても稽古はつけてもらえなかった。
いつまで経っても父の笑顔は失われたままだった。
夢を見た。
父に稽古をつけてもらう夢。
いつも通り父と私は木刀を持ち、家の庭で剣術の稽古をしている。
朝日が降り注ぎ、他に邪魔をするものはない――。
心の何処かで、私は夢だとわかっていて――
これが最後の稽古なのだ、と気付いていた。
父が大上段に構え、私に向かって剣を振る。
それを私の剣が受ける。
カン、カン、と剣戟の音が響く。私たちは何時間も剣で語り合った。そして――
最後に父は私に訊いた。
もう行っても大丈夫か? 一人で頑張れるか?
私が頷くと、父は笑って、私の名を呼んだ。
「ありがとう、セレーナ」
私は、自分で部屋の扉を開けた。
体は重かった。瞼も。頭も重かった。
太陽の光が、痛い。
だが、私の心は決まっていた。
稽古をつけてくれる父はもういない。
私一人で強くならなければ。
そして、私は母にこう告げた。
「父の仇を討ちます――必ず」




