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第七十五話 セレーナの場合1

 ――――――――――


 私の名はセレーナ=ヴィクトリアス。

 ヴィクトリアス家の長女にして、跡取り。ユリウス=ヴィクトリアスの娘。


 強く優しい父、賢くておおらかな母に恵まれ、何不自由なく育った。

 旧ウェーデル領の高台に、ヴィクトリアス家の邸宅はある。

 その中庭で、剣術の稽古をするのが私の日課だった。


「わっはっは、いいぞセレーナ。その調子だ」

「お父さま、手を抜かないで、ちゃんと本気を出してください」


 尊敬する父に剣の稽古をつけてもらうのが、何よりの楽しみだった。

 名うての剣士である父に剣を褒められることを、誇りに思っていた。



 私にとって、世界は平和で暖かで……

 それがあたりまえだと思っていた。


 けれど、それがどれだけ得難いものなのか、私は知らなかった。

 それくらい、私は子供だった。




   ◆




 その黒衣の男は、私が十歳になったある日、やってきた。



 朝食の席で母は、スプーンをセパ野菜のスープ皿に戻すと、いつもの調子で言った。


「セレーナも、剣の稽古ばかりしてないで、将来のために宮廷作法のお勉強でもしたらどう?」

「お母さま、言ったはずよ。私は剣の腕を磨いて、将来はお父さまのお仕事を手伝うって」


 私たちは、これまで幾度となく繰り返してきた話に花を咲かせていた。


「ははは、頼もしいことだな。セレーナの剣は、筋がいい」

「もう、あなたがそんなことを言うから、セレーナもその気になってしまうのよ」


 私の尊敬する父は国境警備隊の主任をしている。

 街を魔物から守る、大切な仕事だ。


「む。たしかに、父としては王族に嫁いで危険のない暮らしを送ってもらったほうが安心だ。セレーナ、考えておきなさい」

「そんな暮らし、興味ないわ」


 私は目をつむってスープを口に運ぶ。


「やれやれ。困ったものだな」

「まあ、あなたったら。ちっとも困っているようには見えないわ」


 自然と笑いが起きる。



「ユリウスさま、客人がみえています」


 そんな中、給仕が父に近寄り、告げた。


「そうか。今行く」


 そう言うと父は食事を途中にして席を立った。


「お父さま。今日は剣術の稽古をつけてくださる約束よ」

「わかっている。早めに切り上げるよ」



 朝食をとり終えた私は、二階の自分の部屋へと戻った。


 朝食前に起きたばかりのベッドは、給仕によってすでに整えられていた。

 部屋の中央にあるテーブルへ近づく。調度品が好きな母が選んでくれたもので、曲線を描く脚が気に入っていた。


 テーブルの上の花瓶には、誕生日にお客様たちからもらった花が生けられている。

 マリーディアの花言葉は、勇壮な心、と母が教えてくれたっけ。


 窓がカタカタと揺れた。


 窓に近づき、外を眺める。


 遠くに横たわる雲が流れる。

 いつの間にか風が出てきたようだ。


 目線を下へやる。

 男がただ一人、屋敷へと歩いてくるのが見えた。


 全身黒づくめに黒い外套マントを纏った男。

 フードが顔の半面を覆っている。


 あの人も、客人なのだろうか?



 父は要職にあるし、ヴィクトリアス家は貴族だ。

 仕事柄、任務に関して打ち合わせのため人の出入りは多かったし、父を慕ってやってくる友人客人も多かったが、それなりに警備はしている。

 その日もいつも通り、外門には番兵が立っていた。


 なのに、その男は番兵の間をそのまま通り過ぎる。

 まるで彼らには見えていないかのように。


 男は、そのまま静かに庭のアプローチを遣って来る。

 黒い外套マントの裾を風に靡かせて……。


 何か、胸騒ぎがした。


 あれは、客人ではない。いや――人間ですらないのではないか。


 そんな疑いさえ抱かずにはいられなかった。


 だから、階下で父の大声を聞いたとき、すでに私は剣を手に玄関へと走っていた。


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