第五百七十四話 旧極魔法の契約3
わたしは魔法陣の前に立って、短剣を取り出す。
セレーナがわたしにささやく。
「ミオン、気をつけて」
リーゼロッテも少し心配そうに言う。
「ああ、ヒネック先生だって失敗したんだ。慎重に」
わたしの胸の中は不安でいっぱいになる。
「でも……やるしかない」
大きく深呼吸をして、もう一度覚悟を決める。
「大魔導士になる夢のため、それに魔王の侵攻を止めるため。……いくよ!」
親指に剣先を当てる。
ぷつり、と感触がして、血が染み出す。
一滴の血が魔法陣に落ちる――
◆
精霊はゆらりと姿を現した。
その精霊は、大きくはない。
黒髪に、紫の衣。
わたしはハッと息を呑む。
その美しさは妖しくも冷たく、近づけば魂さえ吸い寄せられそうだ。
長く艶やかな黒髪が闇のように広がり、紫の衣は波打つように風に靡く。
衣の隙間から覗く肌は淡く光を帯び、瞳には紅と蒼の揺らめきが宿る。
「ミオン、契約を」
リーゼロッテがうながす。
「あ、あのぅ……」
わたしが言いかけると、精霊が言葉を発する。
……ΣΔΓ……
「え?、え?」
……ΣΔΓ……БΧΣΓ……?!
わたしは焦る。
精霊の発している言葉が、まったくわからない。
「どうしよう、何言ってるか全然わかんない」
振り返ってリーゼロッテに助けを求めるが、彼女も首を横に振る。
わたしは精霊の方に向き直る。
なんとかコミュニケーションを取ろうとするが、身振り手振りだけじゃ、どうにもならない。
精霊の言葉が、だんだん怒気を帯びてくるのだけはわかった。
「怒ってる……」
冷や汗が流れる。
「そりゃそうだよね、わざわざ呼び出しといて、一言も言葉が通じないんじゃ……」
「これは……まずいわね」
セレーナが眉をひそめる。
ヒネック先生の言っていた、意思疎通ができないって、こういうことか。
「ん? なんか、さっきまでと……」
わたしは気づく。
全くわからないのは変わらないのだが……何か、今までと感じが違う。
リズムなのか、発音なのか……、精霊の発する言葉の感じが、不意に変わった気がした。
「違う言語ニャんだ」
にゃあ介が言う。
そうか。
精霊はどうやら、いくつかの言語を切り替えながら話しているらしかった。
また言葉の感じが変わる。
わたしは、必死で耳を傾ける。
「うう、わかんない。わかんないよ」
やはり全然わからない。わたしは頭を抱える。
そのとき、一瞬、聞き覚えのある言語を聞いたような気がした。
「えっ、今の……」
わたしは、ジェスチャーでなんとか伝えようとする。
「もう一回! 今の、もう一回お願いします!」
わたしの反応を見て、精霊がもう一度口を開く。
わたしは、目を閉じて、その言葉を聞く。
「やっぱり。わたし、この言葉知ってる」
久しぶりに聞いた『日本語』は、何だかとてもやわらかい感じがした。




