第五百六十九話 魔族領7
「ふー……いやぁ、疲れたね」
わたしは汗を拭きながら言う。
「僕は全然疲れてないぞ」
イルアがけろっとした顔で言うので、
「わ、わたしも! ほんとは全然疲れてない!」
と訂正する。
「張り合っているな……」
「ええ、張り合っているわね……」
リーゼロッテとセレーナは、呆れたように言う。
「二人とも、ちょっと休憩したら?」
セレーナが提案する。
わたしは、
「いいよ……まあ全然疲れてないけれども!」
と答える。イルアは、
「じゃあ、ちょっとだけ休憩するか」
こう話す。
「久しぶりに人間ごっこをやって、ほんのちょっとだけ疲れた」
二ッと笑って、言う。
「スリルがあった……なんといっても、本物の人間に追っかけられてるんだからな!」
「えっ?」
わたしはイルアの言葉に面食らう。
『人間ごっこ』って……魔族が人間を追いかける遊びじゃないの……?
自分が先入観で思い込みをしていたことに気づき、言葉を失う。
「何だその顔は? 休憩するんだろ? 早く座れよ」
イルアの屈託のない顔を眺めながら、わたしは複雑な思いをおさえきれないのだった。
「同じ立場……。魔族も、人間も……」
◆
わたしたちは草原に座り込み、草の上に足を投げ出している。
みんなで干し肉をかじりながら、休憩する。
「おいしい? イルア」
「まあまあだな」
そう言いながら、イルアは干し肉をぺろりと平らげる。
わたしはイルアにもう一切れ干し肉を渡し、
「なかなか捕まえられなかったなあ。イルアは足が速いね」
「ぼくは走るのが得意なんだ。でも、お前みたいにすばしっこいやつも初めてだ」
とイルアは笑う。
「……いいところだね、ここ。眺めはいいし……」
高原に吹く風を感じながら、目を閉じる。
「風が気持ちいい…………イテッ」
腰をさすりながら目を開ける。
「なんか刺さった」
おしりの下に手をやり、そこにあったものを拾い上げる。
「なにこれ?」
それは、折れた棒切れと破れた布切れがつながった、ガラクタみたいな代物だった。
「見せてくれ」
リーゼロッテが眼鏡に手をやりながら、検分する。
「どうやら、旗か何かの残骸のようだな……」
「それは……!」
イルアが声を上げる。
「見せろ!」
リーゼロッテの手から残骸をひったくって、イルアはそれをじっと見つめる。
「イルア、どうしたの?」
わたしは訊ねる。
「……魔族の戦旗だ」
しばらく黙っていたイルアは、やがて、ぽつりぽつりと話し始めた。
◆
イルアの話を要約すると、こんな内容だった。
かつてこの地を治めていた魔王が急死した。
魔王は後継者を指名しないまま崩御したため、複数の有力魔族が「次の魔王」の座を巡って争った。
その中でも、最終決戦が行われたのが「信託の地」。
そこは「魔王の血を継ぐ者が目覚める」とされた地でもあり、各勢力は「神託の地」を制した者が正統と信じていた。
戦により、「信託の地」一帯は血で染まった。
大地は割れ、空は裂け、多くの魔族の魂が帰ることなくその地に囚われたという。
現在の魔族たちは、その争いがもたらした忌まわしい記憶を避けるため、「信託の地」を禁忌の地として扱っている……
「つまり、その信託の地が、このアルテミア高原だったということか?」
「本で見たことがある。この旗は、魔族の戦旗だ」
イルアが言う。
「だから大人はみんな、ここには足を踏み入れないんだ。この高原は禁忌の地だから」
「知っててとぼけていたのね。そのこと」
セレーナが言うと、イルアは肩をすくめてみせる。
「王の座を巡って、内戦か……」
わたしはつぶやく。
「何を考えているかわかるわ、ミオン」
セレーナが言う。
「魔族と人間……。なんだか本当によく似ているわね」
イルアが立ち上がる。
「行こう」
「そうだよね。禁忌の地では遊べないよね」
わたしが言うと、
「そうじゃない。僕はそんなのこわくない」
イルアは言う。
「アプシントスが欲しいんだろ……来い。こっちだ」
それからこう付け加えた。
「僕は約束を破らないんだ」