第五百六十三話 魔族領1
旧ウェーデル領と国境を接する魔族領には、大きな森が広がっている。
以前、グランパレス王ユビルの護衛で向かった、国境沿いの川の向こうにも、よく似た森が広がっていた。
「黒い森、か……」
「しっ、ミオン静かに」
その森の手前までは、丈の高い草が茂った草地が続いている。
わたしたちは草に身を隠しつつ、宵闇に紛れながら魔族領の森へと歩を進めた。
「あとちょっとだ……身を低く」
見つかって止められるのではないかと冷や冷やしながら進む。
しかし国境警備の目も、その全てには行き届かないのか、意外と簡単に潜入できてしまった。
「セレーナのお父さんが知ったら、嘆くかもしれないね」
わたしが言うと、
「……そうね」
セレーナは苦笑する。
「人手が不足しているのね。まあ、私たちにとっては好都合だったけれど」
「しかし心配だな。魔族の動きが活発化している今、国境警備がこの有様では」
リーゼロッテは、ぶつぶつと喋っている。
「戻ったら、警備の重要性について、関係各所に進言しなくては……」
わたしたちは森の中を徒歩で進む。
王立図書館で写した、魔族領の地図だけが頼りだ。
「ねえ、この地図が間違ってたら、どうなるの?」
わたしが訊ねると、
「そのときは……」
「そのときは?」
リーゼロッテが言う。
「一巻の終わりだな」
◆
黒々とした木々が、風で静かにざわめいている。
木々の間から上を見ると、空の端がかすかに白んでくるのが見えた。
夜の帳が薄れていく――夜明けが近い。
「今のところ順調ね」
セレーナが言う。リーゼロッテが、
「ああ。地図が確かなら、アルテミア高原はこっちで間違いない」
そう答える。
「どれくらいで着くかな?」
「早ければ、二~三日中には着く。しかし……」
リーゼロッテは地図を見ながら、
「アルテミア高原は、こんなに広い。地図上のアプシントス群生地は、かなり大雑把に示してあるように見える」
こう続ける。
「それに、もう何十年も昔に書かれた地図だ。今もそこにあるとは限らない」
「そっか……」
わたしは言う。
「とにかく進むしかないね」
◆
「木、木、木……。木ばっかり! 森はもう飽きたよー」
半日森の中を歩き続け、わたしが愚痴ると、
「でもミオン。この森のおかげで助かっているのよ」
セレーナが言う。
リーゼロッテも、
「そうだ。この木々は、絶好の目隠しだ。森が無ければ、いまごろとっくに魔族に見つかっているかもしれない」
と同意する。
「……でも、この森、暗いしじめじめしてるし、あんまり好きじゃない」
わたしは口をとがらせる。
陽の高い昼でさえ、森の中は薄闇に沈んでいる。
枝葉は幾重にも絡み合い、光を拒むように空を覆い隠す。
重く湿った空気が肌にまとわりついて、気味の悪さを助長する。
「ま、それには同感だがな」
「ええ、あまり気持ちのいい森ではないわね」
二人もうなずく。
「だよね。……ていうか」
わたしは、思わずこみ上げてきたあくびを噛みころしながら言う。
「さすがに眠くなってきた。馬車降りてから、寝てないもん」
「じゃあ、そろそろ野宿にするか」
リーゼロッテの言葉に、わたしはまた、
「えぇー!」
と声を上げざるを得ないのだった。
「この森の中で?!」