第五百十一話 帰還
もう、手も足も、もちそうにない。
馬も疲労であえいでいる。
なのに敵の攻撃は止まない。
あの砦は、意思を持って動き、少しずつ遠ざかっているんじゃないか……わたしたちに意地悪するために。
そう疑ってしまうほど、一向に砦は近づいてこない。
「ぐっ」
わたしの真横で敵の攻撃を防ぎ続けていた、ユンヒェム隊の兵が、もろに被弾する。
「王を……頼む」
そう言って、兵は落馬していく。
わたしは助けようと手を伸ばすが、届かない。
「ああ……」
落ちた兵の身体が、魔族の群れにのみ込まれる。
また様々な思いが溢れる。
彼は自分の責務を全うした。
最後まで走り続けた。
わたしを守って死んだ。
(ミオン、泣いてる場合じゃニャいぞ)
「わかってる」
わたしは最後の力を振り絞って、馬を走らせる。
落ちたら、死ぬ。
みんなの頑張りが無駄になる。
その思いだけで、わたしは馬にしがみついていた。
◆
砦の前には、冒険者たちが集まっていた。
皆、武器を手にわたしたちの帰還を待っていた。
冒険者たちの元へたどり着くと、わたしは馬ごと倒れ込む。
セレーナとリーゼロッテも、くずおれるようにして馬から落ちる。
冒険者隊の皆が、わたしたちと入れ替えに、追いすがってきた敵軍へと突撃していく。
わたしたちの盾となった、ユンヒェム隊の最後の一人は、砦を目前にして力尽きた。
生き残ったのは、セレーナとリーゼロッテ、わたしを含む、ほんの数名。
「大丈夫か?!」
あまりの疲労で動けないわたしを、冒険者たちが介抱してくれる。
目が回る。頭ががんがんする。身体中が痛い。
「戻ったのはこれだけか!?」
「ユンヒェム様は? ユンヒェム様はどうした!?」
兵や貴族たちの混乱する声がせわしなく聞こえる。
わたしは立ち上がることもままならないまま、それでも、頭だけ起こして、訊ねた。
「王は、王はどうなったの……?」
「心配するな。王はラウル騎士団長が、たしかに砦までお連れした」
それだけ聞いて、わたしはほとんど気絶するように、眠りに落ちた。
◆
その後王都軍は、グランパレスの隼をはじめとする冒険者隊の活躍によって、砦から敵軍を追い返すことに成功した(貴族たちは、申し訳程度に戦った)。
そして速やかにグランパレスへ向けて出発した。
帰還に際して、ラウル騎士団長は、兵士たちにこう話した。
大きな打撃を負いつつも、王を護り抜くことができたのが、不幸中の幸いだった。
王さえ無事ならば、国は何度でもやり直せる。
皆の力を結集すれば、どんな逆境も切り抜けられる、と。
ラウルの鼓舞によって、兵たちは幾分かは元気づけられたように見えた。
わたしたちは、それぞれの思いを胸に砦を後にし、随分久しぶりに思えるグランパレスへと帰還した。
ユンヒェムは、帰ってこなかった。
◆
セレーナの別邸。
わたしとリーゼロッテは、屋敷の一室で、椅子に腰かけている。
じっと黙ったまま、時が過ぎていく。
我慢できなくなったわたしは立ち上がる。
「ちょっと様子見てくる」
「まて」
リーゼロッテが止める。
「セレーナのことは、しばらくそっとしておこう」
そう静かな声で諭す。
「でも……」
わたしは反論しようとするが、やはり椅子に座り直す。
別邸に帰ってからずっと、セレーナは一人、部屋に閉じこもったままだ。
チコリや、ユリナ、バートも、ひどく心配している。
最後の夜、砦の外壁の上で、二人きりだったセレーナとユンヒェムの姿が浮かぶ。
「大丈夫かな、セレーナ」
わたしがつぶやくと、リーゼロッテは言った。
「大丈夫だ」
リーゼロッテらしくもない、根拠のない台詞だった。
それを補強するためだろうか、続けてリーゼロッテは力を込め、言う。
自分にも、言い聞かせるように。
「セレーナは強い」