第五百話 影
灰と煙の舞う戦場。
混沌そのものだった。
戦場のど真ん中、周囲数十メートルにわたって、突如爆発に見舞われたらしかった。
「いったい何事だ、これは!?」
「わかりません!」
砂煙の中、逃げ惑う兵たち。
叫び声と、怒号。
足音は乱れ、鎧が軋む音が響く。
転んだ者は立ち上がり、互いを追い越しながら走る影が混ざり合う。
そこへ、
「ま、魔族軍ですッ!」
兵たちの切迫した声。
後退していたはずの魔族軍が、波が返すように進軍してくる。
「ぐっ……、退け、退けッ!」
騒音にかき消されかけた指揮官の声が、辛うじて聞こえる。
「しかし、前線の部隊たちは――」
「やむをえん、砦まで退却する! 皆、馬をひけっ!」
◆
王都軍は砦まで撤退を余儀なくされた。
軍議の間では、ユンヒェムをはじめ、貴族たちが角を突き合わせている。
わたしたちは部屋の隅で、皆の様子を眺めている。
「前線で負傷した兵士です!」
軍議の間に負傷兵が担ぎ込まれてくる。
負傷兵は、額に間に合わせの布切れを巻いているが、その布地に赤く血がにじんでいる。
早速貴族たちが質問責めにする。
「何があったんだ?」
「あの爆発はいったい何なのだ?!」
騒然とする軍議の間に、一際大きな声が響く。
「静まれ!」
ユンヒェムだ。
彼の言葉に、場がしいんと静まる。
ユンヒェムは、優しく負傷兵に問う。
「教えてくれるかい。前線で何があったんだ?」
「……はっ」
負傷兵は、両側から兵に支えられながら、息も絶え絶えに答える。
「我々は奴らを圧倒していました。魔物たちは、統率された我が軍の敵ではなかった。均衡が破れ、奴らは次々に逃げ出し始めました。そのとき……」
一息でそこまでしゃべり、ごほっ、と咳をする負傷兵。
ユンヒェムは負傷兵の背中にそっと手をやり、黙って見守る。
「そのとき――突然、一人の男が現れました」
「男?」
貴族が訝し気に訊き返す。
負傷兵は、続ける。
「はい。その男は、戦場の真ん中にどこからともなく現れたんです」
「それで?」
ユンヒェムが訊ねる。
「……爆発が起こりました」
負傷兵は言った。
「気付いたときには、その一帯にいた者全員が、吹き飛ばされていました。そして――」
負傷兵は、ひゅうっ、と息を吸い込み、言った。
「森の奥から、魔族たちが進軍してきたんです」
「魔族が……!」
貴族たちが声を上げる。ユンヒェムが手を上げてそれを制する。
「王は?」
ユンヒェムは、兵の顔を覗き込み訊ねる。
「王はどうなった?」
「王の隊は、爆発によって分断され――」
負傷兵は俯いて言う。
「……最前線に取り残されました」
静まり返る軍議の間。
ユンヒェムは目を瞑ると、
「そうか」
と頷く。
その表情から、感情は読み取れない。
ただ、かすかに握りしめた拳だけが、彼の胸中に渦巻く思いを物語っていた。
「その男……戦場に現れたその男、いったいどんな奴だった?」
「遠目だったので、はっきりとは……」
負傷兵は、かすれ声を絞り出すように、
「まるで……影のような男……」
「影? どういうことだ?」
「いや、あるいは……黒衣を纏っていたからそう見えただけかも……」
それだけ言うと、負傷兵はがっくりと倒れ込む。
皆が息を呑む。
ユンヒェムが兵の息を確かめ、言う。
「傷と疲労で気を失ったんだ。手当てを」
「はっ」
負傷兵が運ばれていく。
再び軍議の間に沈黙が訪れる。
「……本当にいたのだろうか? そんな男が」
貴族の一人が疑問を口にする。
「幻でも見たんじゃないのか」
「だが実際、爆発は起きた」
「では、ど、どうすれば……」
また騒々しくなり始める軍議の間。
ユンヒェムがぴしゃり、と言った。
「王を救出する」