第三十六話 黒魔術実践※挿絵あり
青空のもと、生徒たちは校庭に集まっていた。
よく晴れて風の少ない日だった。校庭の芝生が照り返す緑色が、目に眩しい。
黒魔術の授業。
今日は、わたしが待ちに待った日だ。
とうとう、魔法の実践練習が始まったのだ。
「目標へ向かって、手をかざし、呪文を唱える」
みんなの前で、ヒネック先生が説明する。
「ファイア!」
ヒネック先生の右手から、火の玉が飛んだ。
地面に用意された水がめに入り、「ジュウ」と音を立てる。
すごい! 本物の魔法だ!
わたしだけでなく、みんなの目の色が変わる。
「おお~」と歓声と拍手が上がった。
「諸君らはすでにショウグリフに魔力を練る練習を教わったはずだ」
ヒネック先生は言った。
「必要なのはイメージだ。いままで触れてきた火のイメージ。自分の家で暖炉に火を入れる役だった者もいるだろう。あるいはかまどに火をおこす役だった者もいるだろう。そのときの火の感触を強くイメージするのだ。そして……」
ヒネック先生の目が、生徒たちを見据える。
「各々、家に代々伝わる言葉があるだろう。火をおこすときに使う紡ぎ言葉だ。それを唱えることで魔法はより強固なものになる」
そして、くるり、と後ろを向き、言った。
「ではやってみなさい」
そこら中で、「ファイア」のかけ声が始まる。
わたしも、水がめに向かって、手を伸ばし、唱えてみる。
「ファイア!」
だが、何も起こらない。
「ファイア! ファイア! ファイア!」
だめだ。
本当にできるの、これ?
まわりを見回すと、ほとんどの子が、ごく小さな火の玉を飛ばしている。
え、できてる……。
よく聞くと、みんな、口々に何か呪文を唱えている。
「火よ熱よ、炎を呼びこむ風の手よ、その力を貸し給えファイア!」
「あたたかく、熱く燃える赤き火よ……ファイア!」
なにそれ……。
私の家には、暖炉なんてなかったし、たき火もやったことないし。どうしたらいいの。全く火のイメージなんて沸いてこない。
マッチやライターも碌に使ったことないし、思い浮かぶのは、コンロをひねったときに出る、あの青い炎くらいのもんだわ。
周りを見ると、みんな次々と成功している。火花すら出ないのは、わたしくらいのもんだ。
ああ……。
わたしはがっくり頭を垂れて立ち尽くした。
落ち込まざるを得なかった。
ショックだった。
もしかしたら、いきなり上級魔法とか使えちゃって、先生も生徒も驚いて、あっという間に大魔法使いになっちゃって――そんな妄想を、何度もしてきた。
だけど、やっぱりそれはただの妄想だった。わたし、大魔導士になんてなれないんだ。
この世界では、魔法は弱い。ポートルルンガのギルドで笑われたとおり、魔法で魔物を倒すなんて、夢のまた夢。 それどころか、わたしは、ごく簡単な魔法すら使えない。
だって、しょうがないよ。
わたし、火なんて、身近な存在じゃなかったし、火をおこすときの文言なんて、教わってこなかった。だから、できなくて当然だ。
そもそも、この世界の住民でなかった時点で、魔法を使いこなす素地が備わっていないんだわ。
才能、ないんだ、わたし。
(何を言っている、ミオン。お前には、身近な火のイメージも、呪文もあるではないか)
「え? 何言ってんの? そんなもの……」
(ワガハイ相手に魔法をかけようとしていた、あの日々を、忘れたとは言わさぬぞ)
「…………!」
そうか。わたしにとって、火が実感を持ったイメージでないなら、わたしなりの方法を試すしかない。
わたしにとっての炎。わたしにとっての、「魔法」。
かっこいい文言を詠唱すると、手の先から火が飛び出す。
そんなシーン、いくつも見てきた。わたし、それならイメージできる。
「で、でも、今ここであれ、やるの?」
(今こそ、そのときだろう)
「ま、マジで?」
(大マジだニャ)
家のベッドの上で、トイレの中で、鏡相手に、枕を相手に、にゃあ介相手に、何度も呪文、唱えてきた。
わたしの中二病。わたしの黒歴史。
今までは、それで本当に火が出るなんてことなかった。
今度だってダメかも知れない。それでも。
もう一回だけ、試してみよう。ダメで元々!
わたしは深呼吸をして、目を瞑る。
じわり、と身体に流れる何かを感じる。
それを、足の先から、太腿、胸、左腕へと集めていく。
手のひらがじわじわと温かくなる。
ゆっくりと左腕を上げる。
そして……。
「……我求めん、汝の業天に麗ること能わん……ダークフレイム!」
その瞬間、わたしの手から炎がほとばしった。
ぱっとひらめいたその光は、クラスの誰にも負けないほど強かった。
気がつくと、地面の上の水がめから水がなくなっている。いや、それどころか、水がめ自体が溶けてほとんどなくなってしまっていた。
「で、できちゃった」
はっと、気がつくと、みんながわたしの方を見つめている。
や、やば。
とうとう、大衆の面前で中二ゼリフを吐いてしまった。
うう、恥ずかしや……。
人生に新たな黒歴史を刻んでいたそのとき、隣からわたしに向かって、心から感嘆の声をあげた人物がいる。
「何ですの、その素敵な呪文……!」
「せ、セレーナ?」
「ぜひ、私にも教えてくださいまし!」
あ、ここにも中二病患者、一名発見……。
◆
「どうやった?」
すぐにヒネック先生がわたしの元へ走ってきた。
「名前は?」
「あの、ミオンです……」
「ミオン? そうか、お前があの筆記テスト0点の……」
今度は笑いが起きる代わりに、ひそひそと囁き合う声が聞こえる。
やだ……そんなに有名になってるの? わたしのペーパーテストの点数。
「一体、何をした?」
「何って……、先生に言われたとおり……」
「どこでそれほどの魔力を身につけた?」
「え、わかんない、わかりません……」
「これほどまで魔力が強くなるなんて、一体、どんな高負荷の下で練習してきたんだ」
ヒネック先生はじろじろとわたしを見つめている。
わたしはいたたまれなくなった。クラスの他の生徒の注目も集めてしまっている。
そのときだった、授業の終わりを告げる鐘が鳴った。
「放課後、校長室まで来なさい」
ヒネック先生は、そう言うとくるりと身を翻した。




