第二百七十八話 忙しいのに
「だめだぁ~、ぜんぜん話を聞いてくれないよ~」
わたしは帰りの道を、うなだれて歩く。
「人には、触れられたくない過去っていうものがあるもの。仕方ないわ」
「ミオンにはデリカシーというものがないからニャ」
「ぐっ……ネコには言われたくなかった」
「二人の歴史っていうものがあるわ。同じ人を大切に思った歴史。その大事な人を亡くしてしまった歴史」
セレーナは、言う。
「当事者でない私たちには、どうしようもないことなのかもしれないわね」
「彼女の言う通りニャ。部外者には想像することもできニャい歴史がある」
たしかにセレーナが言うと重みがあった。彼女も大切な人を亡くしている。
「でもぉ……なんとかしてあげたいんだよぅ……」
わたしは言った。
「ねえ、リーゼロッテ。なんとかならないかなぁ」
リーゼロッテは何か考え込んでいるように、一点を見つめて歩いている。
「リーゼロッテ?」
「ん? あ、ああ」
「何考えてたの?」
「いや……ヒネック先生が言っていた、『ただでさえ忙しいのに』とはどういう意味だろう、と思ってな」
「え? それは学校の授業とか試験とか……」
わたしが言うと、
「うーむ……」
リーゼロッテは腑に落ちない様子で呟いた。
◆
ここ最近の授業は、なんだか上の空だった。
先生たちのことがずっと気になっていたのだ。
薬草学の授業では、エオル先生が新しい薬草を配って説明をしているが、わたしの頭にはちっとも入ってこない。
なんだかタラの芽みたいな草だなぁ。天ぷらにしたら美味しそう。
そう一瞬思っただけで、心はまた先生たちのことへと飛ぶ。
「では、ビモク草の芽の皮を剝いて水にさらしてください」
ヒネック先生とエスノザ先生は、仲が良かった。それなのに、エリスさんのことがあって……。
「ミオン、そんなに剥いたら芯まで無くなってしまうわ」
セレーナに言われ、わたしは慌ててビモク草の芽を水にさらす。
「終わったら、銅鍋で茹でましょう」
剥いた芽をばちゃばちゃと鍋へ投げ入れる。
鍋の中で揺れる緑色の芽が、褐色になっていくのを眺める。
仲が良かった頃の二人には、もう戻れないのだろうか。
「この反応は不可逆的であり、元には戻りません」
「戻れるよ、ぜったい!」
反射的に大声で叫んでしまう。
エオル先生が、驚いてビククゥッと身体を震わせる。
はっと周りを見ると、みんながきょとん、とこっちを向いている。
「ミオンさん、ビモク草の芽を茹でたときの反応のことを話しているのですか?」
エオル先生が言う。
「す、すみません、ぼうっとしてました」
とたんに、教室中に笑いが満ちる。
わたしは赤くなってうつむく。
「ミオン、何を考えていたんだ?」
菜箸で鍋の中をかき混ぜながら、リーゼロッテが言う。
――戻ってほしい。わたしはそう思っている。
だけど、それは部外者の勝手なわがままかもしれない……。
◆
そんな状態で数日がたったある日。
学校へ来ると、ヒネック先生が臨時休暇を取ったことを知らされた。
「ヒネック先生がお休み?」
「黒魔術の時間は自習ですって」
セレーナは首を傾げている。
わたしはリーゼロッテを見る。
「どう思う? リーゼロッテ」
「うむ……妙だな」
リーゼロッテは言う。
「あの言葉と何か関係があるのかもしれない」
「『ただでさえ忙しいのに』っていうやつ?」
「学校の授業とは別に、何か用事があったということだ。それならヒネック先生が休んだことの説明がつく。だが……」
リーゼロッテは顎に手を当てて考える仕草をする。
「学校を休まなければならないほど、急を要する用事とは何なのだろうか」
「うーん……」
しばらく考えたけれど、やはりわからない。
わたしは言った。
「考えてもわかることじゃないね。調べよう」




