第百九十二話 面倒なの
朝。
窓から見える王都の白い街並みが、わたしの目をしゃっきりと覚ましてくれる。
晴れの日の王都は、各段に美しい。
皆で朝食をとり終わるころ、今日もリーズがやってきた。
「おはよう! リーズ」
顔を見るなり、わたしはスルーされるの覚悟で話しかける。
「……お、お」
リーズがもごもご言う。
おっ、あいさつ返してくれそう。わたしは期待する。
「おはようチコリ、セレーナ」
うーん、誤魔化されてしまった。
まあ、いいか。
昨日のリーズとチコリの会話を聞いてから、気が楽になった。
わたしはリーズに心底嫌われているわけではない。
わたしは笑顔で言う。
「わたしたち図書館に行ってくるね、リーズ」
「なんで私に言うのよ。にこにこしちゃって気持ち悪い」
……オウ。やっぱり結構キツイ。
◆
リーズとチコリをセレーナ邸へ残し、わたしたちは図書館へ向かっていた。
王都は北の高台に王の住まう城がある。
城の周辺には貴族たちが住み、さらにその周りに平民街が広がっている。
街並みは秩序正しく整っていて、気持ちがいい。
王立図書館は、貴族街の中心あたりにある。
わたしたちは図書館へ向かうこの道を、もう何度も行き帰りしている。
「チコリもずいぶん新しい仕事に慣れてきたみたいだね」
「そうね。リーズという友だちもできて毎日楽しそうだし、よかったわ」
セレーナも、チコリの最近の様子に安心しているようだ。
はじめはちょっと不安もあったけど、やっぱりチコリをセレーナの別邸に引き取る判断は正解だったみたい。
「もうすこし落ち着いたら、チコリもどこかへ遊びに連れて行ってあげたいね」
わたしが言うと、
「そうだな。図書館とか」
「もう! リーゼロッテ、本を読みすぎると自分で考える力が低下するってテレビ……にゃあ介が言ってたよ!」
リーゼロッテはすこし不安そうに、
「そうなのか、ミル? 本の読みすぎはよくないのか?」
「知識を欲するのは人間にしかない大きな力であるニャ。しかし……」
わたしの肩の上のにゃあ介が言う。
「しかし?」
「トマス・ヘンリー・ハクスリーの言う如く、人生の大きな目的は、知識ではなく行動にある」
「知識を生かして行動しろ、ということか……。それももっともかもしれないな」
リーゼロッテは納得したようにうなずく。
わたしは、肩をすくめて言う。
「なーんか、難しい話になってきたね」
そんな会話をしながら歩いていたとき、背後から突然声がして、わたしは飛び上がる。
「セレーナ!」
振り返ると、そこにいたのはリーズだった。
え? さっき別れたばっかりなのに。
リーズは肩で息をしている。
「セレーナ、大変!」
リーズが言う。
「逃げて、セレーナ!」
突然のことに面食らうわたしたち。
「逃げるって、リーズ、何があったの?」
わたしはそう訊ねる。
リーズはセレーナの目を見て、
「面倒なのが現れたわ!」
と顔をしかめる。
「面倒なのって、まさか」
セレーナははっとした様子で口に手を当てる。
何か心当たりがあるのだろうか。
「どしたのセレーナ」
このセレーナも恐れるような、強力な魔物が現れたっていうのかしら。
でも、こんな王都のど真ん中に?
「セレーナはいないって言ったけど、きっとばれてる」
「ミオン、リーゼロッテ、逃げましょう」
「ま、待ってよ、何が何だか」
わたしとリーゼロッテが戸惑っていると、往来の角から、何者かが現れた。
金髪のその男性は、白と金を基調とした豪華な甲冑に身を包み、青いマントをなびかせている。
「おそかった……」
セレーナががっくりと肩を落とす。
なんだ、人間じゃん。しかも何だかイケメンだし。
その男性は、きれいな金髪をかき上げると、片目を閉じる。
「やあ、セレーナ君」
ん? セレーナに向かってウィンクした?
「セレーナ君、久しぶりだね。会いたかったよ」
そんな男性の言葉にセレーナは、
「私の方は別に……」
男性は、両手をひらひらとこちらに向け、言う。
「ご挨拶だね。将来君の夫になる男に対して」
「え!?」
今、何て?
驚きのあまり、がくんと顎が落ちる。
きょろきょろと、わたしは二人の顔を順番に見比べる。
男性の身なりを見れば、一目で貴族だとわかる。
従者を二人も引き連れているし、あの高そうな甲冑。胸と肩当ての黄金の模様が特に手が込んでいて印象的だ。
二人は美男美女だし、お似合いといえなくもない。
わたしはあたふたしながら訊ねる。
「セレーナ、もしかして、ふぃふぃふぃ、フィアンセ……?」
「そんなんじゃないわ。向こうが勝手に言ってるだけよ、ミオン」
しかし男性の方は、
「ふっ。僕たちは運命が定めた、魂の半身同士さ」
セレーナは、そんな男性に向かって言い放つ。
「勝手なことを言わないで頂戴、ユンヒェム。私にはそんな気は全然ありませんから」
「うーん、その恥じらう様子も実に謙虚で美しい。やはり我が妻にぴったりの女性だ」
セレーナの冷たい対応にも、全く動じない。
というか、自分に都合のいいように捻じ曲げて解釈しちゃってる。
「ああ、僕は幸せ者だなあ」
そう嬉しそうに頭をかくユンヒェムを見て、セレーナはため息を吐く。
なんだか、リーズとセレーナが面倒だという理由がわたしにもわかってきたのだった……。




