第百九十話 植木の向こう
チコリがセレーナ邸へ来てから数日が経った。
チコリは甲斐甲斐しくユリナさんのお手伝いをしている。
広いこの屋敷をきれいに保つのは、並大抵の労力じゃない。改めてユリナさんのすごさを感じる。
チコリというメイド見習いがやってきてユリナさんが喜ぶのも無理はない。
「チコリ、玄関を掃いてくれるかしら」
「チコリ、応接間をお願い。棚の上の花瓶を倒さないよう気をつけてね」
「チコリ、朝食の準備を手伝ってくれる?」
ユリナさんはテキパキとチコリに指示を出す。
各部屋のお掃除、お洗濯、ベッドメイク、庭のお掃除等々……。
「はい、ユリナさん」
「わかりました。お雑巾はどこに……」
「今日はお魚ですね。あたしに上手くさばけるかしら」
盛りだくさんな内容だが、チコリはそれを楽しんでいるようだ。
ベルテンク・ファミリーに使えていた頃の環境とは、きっと比べ物にならないのだろう。
わたしたちは相も変わらず図書館で魔力を持つ薬草の手がかりを調べている。
図書館には薬草に関する本も恐ろしく多く、いつになったら見つかるか見当もつかない。
リーズはあれからたびたびセレーナ邸に遊びに来るようになった。
チコリとは年が近いせいもあってか、とても気が合うようだった。
今朝も、朝食後すぐにリーズが訪ねてきた。
わたしたちは図書館へ出かける準備を終え、チコリの部屋をノックして顔を出す。
二人は楽しそうに話していた。
「おはよう、チコリ、リーズ」
と挨拶する。
「おはよう、ミオン!」
「…………」
ひゃあ、またスルーされた。
(めげニャいな、ミオン)
にゃあ介が半分呆れながら慰める。
「わ、わたしたち、ちょっと図書館行ってくるね!」
わたしがそう言うと、
「行ってらっしゃい。ミオン」
チコリは小さく手を振ってくれるが、
「…………」
勝手に行けば、って感じのリーズ。
セレーナが、
「さあ、ミオン、それじゃあまた調べものに行きましょうか」
わたしの後ろから顔を出すと、
「行ってらっしゃい。またね! セレーナ」
リーズは笑顔で答える。
うーん、この格差……。
わたしがほろ苦い思いを噛みしめていると、チコリがうやうやしく頭を下げる。
その姿は、結構メイドとしてサマになっていた。
「行ってらっしゃいませ、セレーナさま!」
◆
「見つからないねえ」
図書館の書見用の机の前、わたしはぼやく。
「まあ、これだけ本があるからな」
リーゼロッテが眼鏡をずり上げる。
「気長に探しましょ」
とセレーナ。
「ホントにあるのかなー、ここに薬草の情報」
わたしは心配になってくる。
「そもそもそんな薬草、存在しなかったりして……」
わたしは本の表紙を眺めながら、
「でも長老さまが言ってたんだから、やっぱりあるよね」
とつぶやく。
「かつて大魔導士が探し求めた、旧極魔法の手がかりか……」
(ぶつぶつ言ってる暇があったら、さっさと探すニャ)
にゃあ介に言われ、仕方なくわたしは椅子に座りなおしてページをめくる。
これだけ本を読んでいると、大魔導士についての情報も散見される。
「大魔導士と呼ばれる者がこの地の南東から魔族領へ渡ったというが、詳細は不明である」
とか、
「かつて大魔導士と呼ばれた人物は、魔法によって地形すらも変えたという」
とか。
しかしどれも伝聞や言い伝えの域を出ない。
「なんだか、お伽話みたい。にゃあ介はどう思う?」
(言い伝えや伝承は、案外、実話を元にしているものが多いニャ)
「だとしたら半端ないね、大魔導士!」
結局、今日も薬草についての成果はなかった。
だがいくら本が多いとはいえ、地道に調べていけば、いつかは終わるはずだ。
そうしてわたしたちは帰途に着くのだった。
◆
「チコリとリーズは?」
別邸に戻り、そう訊ねると、
「二人とも、お庭にいます」
ユリナさんが言う。ユリナさんは、頬に手を当て、
「そろそろお夕食の準備をしなくては。チコリに手伝ってもらいたんだけれど……」
「じゃあ、わたし呼んでくる! ふたりは待ってて」
わたしはそう言うと、庭に向かって駆け出す。
「じゃあ、私たちは部屋にいるわね」
セレーナとリーゼロッテの声に、手を上げて答える。
庭に出ると、傾きかけた陽が芝生に木々の長い影を落としている。
ぱっと見、チコリとリーズの姿は見当たらなかった。
「どこかな? ……あっ、いた」
うろうろしていると、庭の隅にある植木の陰に、二人の姿があった。
わたしは近づいて行き、植木に隠れる。
「ふっふっふ、驚かしちゃうぞ」
大声を出そうと息を吸い込む。
そのとき、自分の名前が聞こえた気がして、わたしは思わず息をひそめてしまった。
チコリの声はこう言っていた。
「ねえリーズ。リーズはミオンのことが嫌いなの?」




