第百八十七話 裁判※挿絵あり
それからの数日というもの、わたしはセレーナの家でそわそわしっぱなしだった。
日中は一応図書館へ赴くが、チコリが心配で調べものにも身が入らない。
「チコリ……大丈夫かなぁ」
「ミオン、心配しすぎニャ」
「いくら心配でも、わたしたちには座して待つことしかできない」
「そうよ。リーズがチコリの扱いについては目を光らせておく、と約束してくれたでしょう」
みんなはそう言うが、
「うん……」
わたしはやはりチコリのことが気がかりでならない。
バートさんやユリナさんも、わたしのことを心配してくれる。
「ミオン殿らしくないですな」
「いつもの元気がありませんわ」
「ごめんなさい。ちょっと食欲もなくて……」
朝食の席、わたしはため息を吐く。
「はぁ……もぐもぐ」
「食欲は以前通りに見えますが」
バートさんが言う。
「ああー……食欲出ない」
「ええ。いつもの食べっぷりですね」
と、ユリナさん。
「だめだぁ……おかわり」
わたしのそんな様子に、二人は目を見合わせ、肩をすくめる。
夜になると、わたしはベッドの毛布をひきはがし、それを床に敷く。
「何してるの?」
「床は冷たくないか?」
たしかに、大理石のようなセレーナの家の床は、驚くほど冷たい。
それでもわたしは横になり、包まりながら毛布の端をぎゅっと握りしめる。
「ミオン?」
目の端に涙を浮かべてわたしは言う。
「チコリは今頃塀の中に一人でいるんだもん。わたしもここで寝る!」
二人のため息が聞こえる。
「意味ニャいと思うが……」
にゃあ介も、わたしの頭の横で、プフーとため息のような音を出すのだった。
◆
とうとう裁判が執り行われる日がやってきた。
王立大法廷はだだっ広く殺風景で、白い装束を身にまとった裁判官たちが壇上に座っている。
傍聴のための席は満席で、わたしたちは入口の大きな扉の前に突っ立っている。
裁きを受ける者は、向かって右側の扉から衛兵に連れられて入ってくる。
「以上五名は、鬼恤薬譲渡のかどにより全員有罪。禁固六年を言い渡す。つぎ!」
ベルテンクの手下たちの判決が、次々と下されていく。
見ていて、わたしは不安になってきた。
「だいじょうぶかなあ。チコリ、有罪にされないよね?」
「ううむ、だいじょうぶだとは思うが、結審がこれほど早いとは……」
リーゼロッテも少々不安そうだ。
現代の裁判と違って、めちゃくちゃ迅速。
ほぼ裁判長の一存のみで決まり、弁護士の出番などどこにもない。
入ってくる人間は、片っ端から容赦なく有罪になっていく。
「……以上八名は、鬼恤薬の輸入に積極的に関わった。禁固三年。つぎ!」
衛兵に連れられ、おずおずと痩せた小さな少女が入ってくる。
「チコリ!」
わたしは思わず息を呑む。
「ベルテンクの奉公人だな」
裁判長がそう訊ねるが、チコリはガチガチに固くなって、うつむいている。
そんなチコリをちらり、と見て裁判長は言った。
「今回の事件に加担した罪で禁固一年とする」
「そんな!」
わたしは叫ぶ。
傍聴席の人々がいっせいに振り返り、裁判長にぎろり、と睨まれる。
しかし、引き下がるわけにはいかない。
「ちょっと待ってください!」
そう言ったものの、次の言葉が出てこない。
何といえばいいだろう。「チコリは何も知らない」? 「チコリは無罪です」?
根拠を訊ねられたら、答えられない。
でも、なんとかしなくちゃ。
チコリの顔はここからでもわかるほど真っ青だ。
そのとき、リーゼロッテが口を開いた。
「裁判長。チコリ……その奉公人の少女は、事件とは無関係と思われるのだが」
「なんだね、君は」
「私は事件当時、現場に居合わせた者だ。彼女はその時、ベルテンクの手下の一人によって監禁されていた」
裁判長が手を組んで顎の下へ当てる。
わたしは事の成り行きを、ハラハラしながら見守る。
「今昔亭という宿だ。衛兵たちから聞いて、そのことはご承知では?」
「たしかに承知している」
裁判長が答える。
「しかし奉公人には、しばられた跡も、拘束された様子もなかったそうではないか。それに、宿の扉に鍵はかかっていなかった。監禁とは呼べない」
裁判長は台の上へ腕を下ろす。
「同室にいたベルテンクの手下の一人が、鬼恤薬であるラーヒルを使用している。奉公人との、共同所持であったと思われても仕方がなかろう」
わたしは祈ることしかできない。
がんばって、リーゼロッテ。
「裁判長。奉公人は子供だ。大人の男性に指示されたら、しかも奉公先の主人のいいつけだと言われたら、逆らえるだろうか」
裁判長はまた手を顎の下へ当てる。
リーゼロッテは言う。
「奉公人はラーヒルを使用していない。禁断症状が出ていないことからも、それは明らかだ」
それから続ける。
「彼女は鬼恤薬の存在すら知らない。それどころかベルテンクによって、鬼恤薬の実験台にされようとしていた。これが事実だ」
「憶測の域を出ん」
裁判長が言う。
「何かそれを裏付ける証拠があるのかね」
「チコリが有罪であることを裏付ける証拠もないのでは?」
「詭弁だ。ほかに言うことがないならば――」
「チコリはラーヒルを所持も使用もしていないし、むしろ被害者だ。そのような無実の者を、強制的に連行して拘束して衛兵たちのほうこそ、罪に問われるべきだと思うが?」
「衛兵たちは関係ない。ただ命令に従っただけだ」
「おや、ならばただ言いつけに従っただけのチコリと同じだな」
リーゼロッテの言葉に、裁判長は黙り込む。
そのときだった。
「裁判長!」
よく通る声。
となりで手を挙げているのは、セレーナだった。
「無罪放免にしろとは言いません」
え? セレーナ、何を言ってるの? わたしは戸惑う。
無罪放免に決まってる。チコリに刑罰なんて、絶対ダメだよ!
(何か考えがあるんニャろう)
と、にゃあ介。
セレーナが続ける。
「こうしてはどうでしょう。……彼女を観察処分とするのです」
「観察処分?」
「奉公人は、ラーヒルを使用していない。売買にも、運搬にも関わっていない。有罪とも無罪とも裏付ける証拠がない。彼女の年齢を考えると、観察処分にするのが妥当だと思われます」
法廷の中がざわつく。
裁判長が腕を広げ、
「静かに!」
と叫び、それから、
「……その子供一人のために、わざわざ観察人をつけよ、と言うのか?」
全員の目がセレーナに集まる。
静まり返った法廷。セレーナの声が高らかに響いた。
「私が観察人になります」
◆
「なに?」
裁判長の顔つきが険しくなる。
「観察人になるだと?」
「なんの権限があって……」
「生意気な!」
他の裁判官たちも、口々にセレーナを非難する。
「グランパレスには、私の別宅がございます。彼女にはそこで働いてもらい、私がいないときは私の執事とメイドが、責任をもって観察人となります」
また傍聴人がざわつく。
「訊ねるが、いったい君は……」
「申し遅れました。私、セレーナ=ヴィクトリアスといいます」
「ヴィクトリアス!?」
法廷が一層騒がしくなる。
裁判官たちも、傍聴人も、驚きを隠せない様子だ。
「ヴィクトリアス家のヴィクトリアスか?」
「あの娘が……?」
「静かに、静かに!」
裁判長が再びたしなめる。
騒ぎが収まるのに時間がかかる。
しばらくして落ち着きを取り戻した法廷に、
「やれやれ」
と裁判長のため息が響く。
「そうか、君がユリウスの……」
裁判長の顔は、心なしか穏やかだ。
「ユリウスにはずいぶんと世話になったものだ」
思い出すように遠くを見る。
それからセレーナの顔へ目線を戻し、言った。
「あいわかった! その娘の身柄、そなたに預けようぞ」
「ホント!?」
わたしは自分の耳が信じられない。
リーゼロッテと、手を取り合って喜ぶ。
「やった、やったー!」
わたしはセレーナに向かって万歳して見せる。
「静粛に!」
わたしはあわてて口元を覆う。
小声で、
「やったね、セレーナ」
セレーナはにっこり微笑む。
「ええ」
振り返ると、法廷の前でチコリはぽかんと立ち尽くしている。
何が起きたのかまだ理解が追い付いていない様子のチコリに向かって、セレーナが言う。
「チコリ、私のために働いてくれるかしら?」
チコリの顔に、ようやく笑みが戻った。
「はい、よろこんで……ご主人さま!」




