第百八十六話 連行
今昔亭、ヒダマリの間。
部屋の中の柱に、一人の男がくくりつけられている。
男は楽しそうに、頭を左右に揺らし、鼻歌を歌っている。
何か楽しい夢でも見ているのだろう。鬼恤薬によって。
わたしたちはチコリの様子を確認している。
「本当になんともないのね、チコリ」
「なんともないってば。もう何回目? ミオン」
「だって、心配で……」
外が騒がしくなった、と思うと、入口から衛兵が次々入ってくる。
「ラーヒルを使用したのはそいつか?」
衛兵たちは殺気立っている。
「その男を確保する」
「ちょっと通して」
衛兵の後ろから白い甲冑が現れる。
リーズ=エアハルトだ。
「間に合ったみたいね」
チコリの様子を見て、ふう、とリーズは息をつく。
「全員、衛兵に引き渡してきたわ」
「ありがとう、リーズ!」
わたしは思わずリーズに近づいて抱きつく。
「ちょ、ちょっと!」
リーズはわたしの顔を押しのけ、
「あんたのためじゃないんだから」
「それでもありがと~!」
「やめてってば!」
そんなリーズにじゃれついていると、
「その子供は、ベルテンク家の奉公人か?」
衛兵が言う。
「拘束させてもらうぞ」
「え? そんな!」
わたしは叫ぶ。
「チコリは関係ない! むしろ被害者よ」
「その娘が、ベルテンク・ファミリーと行動を共にしていたのは事実」
衛兵は取り付く島もない。
リーズを見ると、彼女も困った顔をしている。
「なんとか大目に見てもらえないかしら」
「そう言われましても……いくらリーズ殿の頼みといえど、ことは鬼恤薬の密売です」
「私どもに決定の権限はありません。裁判にて処遇を決するのを待つしか……」
衛兵たちは目線を交わし、言った。
「やはり連行させていただきます」
衛兵がすばやく動いて、後ろからチコリの腕を掴む。
「あっ、チコリ!」
わたしはチコリを取り戻そうとする。
しかし、他の衛兵たちに制される。
わたしは、剣に手をかける。セレーナが右手を出して止める。
「だめよ、ミオン。ここは彼らに任せましょう」
「でも……」
(セレーナの言う通りニャ。ミオンまでおたずね者になってしまうぞ)
止める間もなく、二人の衛兵がチコリを引き連れて部屋を出て行ってしまう。
「チコリ……! ど、どうしようセレーナ」
「困ったわね」
セレーナもひどく難しい顔をしている。
「チコリは何もしてない。何も知らないのに!」
わたしは悲痛な叫びを上げる。
リーゼロッテがわたしの肩に手をかけ、
「ああ、チコリは無実だ。きっとそれは裁判でもわかってもらえるさ」
となぐさめるように言う。
「拘束中、チコリが正しく扱われるといいのだけれど……」
セレーナが不安を口にする。
「それは任せて」
リーズが言う。
「あの子の扱いについては、私が逐一確認に行くから」
リーズのその言葉だけが、せめてもの救いだった。
「あぁ……あああぁああぁあぁぁあー……!」
背後から声が上がり、驚いて振り返る。
しばられていた男が、急に呻き声を上げ始めたのだ。
男は叫びながら全身を掻きむしっている。
「ぐァ……うわぁああああーー!!!」
強く搔きすぎて、体中から出血している。
「な、なんなの?」
(薬の効果が切れたようだニャ)
「どんな幻覚を見ているのかしらないけれど……」
「少々哀れだな」
もうちょっとでチコリがああなっていたのか、とわたしは寒気を覚える。
「行きましょう。こうなってしまっては、もう、どうしようもないわ」
男を、残った衛兵に任せ、わたしたちは部屋を出る。
断末魔のような、ものすごい叫びをかき消すように、後ろで扉が閉まった。




