第百七十三話 ヴァルリヤ石
長老の家から出ると、日が高く昇っていて丁度お昼時らしかった。
「本当によいのか? ヴァルリヤ石ならいくつか渡してもいいんだぞ。村を救ってくれた礼だ」
ディゴスが言う。わたしたちは首を振って、
「いいんです。とれる場所を教えてもらえただけで。貴重なものでしょうし」
と答える。実際、宝石なんて簡単にもらうわけにはいかない。
ディゴスは、
「そうか」
とうなずき、言った。
「……言った通り、ヴァルリヤ石はこの近くの川底でとれる。深くはないが、冷たいから気をつけてな」
◆
わたしたちは川のほとりにいた。
森から抜けたところにあるこの川は、カライの村のすこし北に位置している。
すこしとはいっても、数十分はかかる距離だ。
さきほど水瓶を運んでいた女性は、ここと村を往復していたのだろうか。
「大変だなあ」
思わずそんな感想が漏れる。
毎日ここまで水を汲みにこなければならないなんて、不便きわまりない。
「不便だけど、でも……」
水は澄んでいて、川面がきらきらと陽に輝いている。
「きれいな川だね」
「これだけ透き通っているなら、生活用水としても十分役を果たすだろうニャ」
川は東から西へ、すこし蛇行しながら流れている。
「ここでヴァルリヤ石っていうのが採れるのね」
川岸へ近づいていくと、草が砂にかわり、ざっざっと足下で音をたてる。
やはり透明度が高い。ちらほら小さな魚の影も見える。
わたしは裸足になって、足をつける。
「うーっ、つめたい!」
凍るように冷たい。
とてもじゃないけど、泳ぐのは無理ね。転ばないように注意しないと……。
わたしは慎重に歩きながら、石を探し始めた。
セレーナとリーゼロッテも続く。
さいわい、流れはきつくない。溺れる心配はなさそうだった。
何百年も昔から、ここにはヴァルリヤ石があったのだろうか、と思いをはせる。
大魔道士もこうやって、川底を探したのだろうか……。
「これかな?」
わたしはゆるやかな流れに指先を入れる。とたんに冷たさが手を伝わってくる。
ええい、とやけくそで両手を突っ込み、石を持ち上げる。
赤茶色で丸みを持った石だ。
「いや、それはただの赤っぽい石。ヴァルリヤ石はもっと透き通っている」
「そーだっけ」
その石を投げ捨てると、
「ミ゛ャ」
水飛沫がかかったにゃあ介が変な声をたてる。
わたしは手に息を吐きかける。
「はー、ちめたいちめたい」
また川底探索に戻る。
「あれでもない、これでもない……」
石探しに没頭していると、いつしか全身ビショビショになっていた。
「風邪ひきそう……」
ぶるぶる震えながら、わたしは言う。
にゃあ介もびしょ濡れになっていたので、わたしは両手でぬいぐるみを絞る。
「ムギュ」
変な声を出すにゃあ介。
「もうちょっとやさしく扱ってほしいニャ」
「いつだってやさしいでしょ」
言いながら、にゃあ介を肩の上に戻す。
「落ちないように気をつけてね」
「…………」
それからまたしばらく目を水面に目を凝らす。
「見つかんないねー」
わたしはふとセレーナを見る。
川の水に浸かる白い肌が、余計冷たそうにみえる。
必死で水の中を探す彼女を見て、少し胸が痛くなる。
「ごめんね。セレーナは貴族なのに、こんなことさせて」
ぴく、とセレーナが一瞬反応する。
そのまま、固まる。
「セレーナ?」
「貴族扱いしないでって言ってるでしょう」
「あ、ごめん」
わたしは謝る。しかしセレーナはわたしに背を向けたまま、固まっている。
じっと、うつむいて黙っている。
こんなに怒ると思わなかった。わたしは心配になり、セレーナに近づく。
「ごめん、セレーナ」
わたしは肩に手をかけようとする。
セレーナは突然、振り返ると、両手に汲んだ水をわたしめがけてかけてくる。
「きゃあっ」
わたしは、棒立ちになり、セレーナの顔を見る。
セレーナは微笑んでいる。
「ふふっ。ひっかかったわね」
「むむむ」
やられた。
ようし、そっちがその気なら……。
「やったなー!?」
わたしは水をかけ返す。
「つめたい! なにをするのミオン!」
「どの口が言うか! そっちが先にやってきたくせにー!」
セレーナが応戦してくる。
ばしゃばしゃと、冷たい水のかけ合いになる。
それを見ていたリーゼロッテが、
「……ばかなことやってないで、はやく探すぞ」
冷めた口調で言う。
「…………」
「…………」
わたしとセレーナは、じとっとリーゼロッテを見つめる。
「なんだ?」
怪訝そうにわたしたちの様子をうかがうリーゼロッテ。
わたしはセレーナと同時に、リーゼロッテに襲い掛かる。
「わーっ、やめろ!」
逃げ惑うリーゼロッテ。
水は透き通っていて、冷たい。
いつの間にか水遊びと化したわたしたちは、ヴァルリヤ石を探すのを忘れていた。
楽しいな。こんな時間がいつまでも続けばいいのに。
と、思った次の瞬間、三人はもつれあいながらバシャーンと川の中へ倒れ込み、尻もちをつく。
リーゼロッテが呆れたように言う。
「だからやめろと言ったのに……」
三人で顔を見合わせて……、
大爆笑になる。
「あははははっ!」
わたしたちの笑い声が天にむかって吸い込まれていく。
いい気分だった。
にぎやかで、愉快で、とってもすがすがしくて……
「――ヘークションッ!」
三人とも、ずぶ濡れだ。このままじゃ、本当に風をひいてしまう。
「すこし休むか……グスッ」
わたしたちは一旦休憩するため、川岸に戻ることにした。
パシャパシャと小さな水しぶきを立てながら、日なた目指して急いで歩く。
川岸の大きな岩の上で、日向ぼっこしながら濡れた服を乾かす。
陽の熱を蓄えた岩肌を抱くように寝転がる。
かじかんだ手や足がじんわり暖まり、生き返る心地がした。
しばらくのあいだ、わたしたちは岩に腰掛けたまま川面を眺めていた。
降り注ぐ日差しに水面がキラキラ輝いている――。
ぼうっとそんな景色を眺めていると、なんだか自分が自然に溶けていく気がする。
森の緑と川岸の白。透き通った川の流れは薄い水色。
頭の中から言葉が消えうせ、変わりに他の感覚がしゃっきりとしてくる。
風と、音と、匂い。それから、川底のキラリとした光――。
「あそこ!」
わたしは川面を指さす。
日向の岩場を下りて走り出す。
せっかく乾いた服が濡れるのも気にせず、川へ突っ込む。
「……!」
ばしゃりと手を突っ込む。
ゆらゆらと揺れる水の下に、透き通ったえんじ色。
「あったーっ!」
わたしの掲げたそれは、少し地味だけど美しい宝石だった。
慌てて後からやってきた二人にも見せる。
「これだよね?」
「ええ。そうだわ」
セレーナがうなずく。
リーゼロッテは眼鏡に手をやりながら確認する。
「うむ、まちがいない」
「やったー」
ぴょんぴょん飛び跳ねて喜ぶ。
水が跳ねるが、うれしくてその冷たさも忘れてしまった。
「ヴァルリヤ石ゲットー!」




