第百六十八話 バシリスクの毒
「セレーナ!」
セレーナの腕には一筋の傷があった。
傷自体は浅いようだった。
だが、その周りは浸食されるように紫色ににじんでいた。
「どどど、どうしよう」
わたしは真っ青になってセレーナの前を右往左往する。
「落ち着け、ミオン」
リーゼロッテが言う。
その間にも、セレーナの腕の紫はじわじわと広がっていっているように見える。
「どうしよう、どうしよう! セレーナが死んじゃう!」
「まだ時間はある。落ち着くニャ。さもないと、本当に死んでしまうぞ」
にゃあ介が言う。
「で、でも、ど、どうすればいいの? にゃあ介」
「リーゼロッテの言うことをよく聞くニャ」
「え?」
「ワガハイは薬草学には疎い。彼女の知識に頼るニャ」
わたしはすがるようにリーゼロッテを見る。
リーゼロッテはうなずき、話し始める。
「まず、セレーナに遅延魔法をかけてくれ。毒の回りを遅らせるためだ」
わたしは言われるまま、セレーナに近づくと、遅延魔法を唱える。
「セレーナ、ちょっと我慢してね」
セレーナはこくりとうなずくと、
「だいじょうぶよ。……そんなに心配そうな顔しないで、ミオン」
と、微笑む。
わたしは唇を噛んで、何とか笑おうとする。でも、まるでわたしの方が死にそうな顔をしている。
「――ディレイ」
わたしが遅延魔法をかけると、セレーナの動きはコマ送りみたいに緩慢になる。
焦りでうまくいくか不安だったが、なんとか成功したようだ。
「リーゼロッテ、次は?」
「毒消しの薬草を探す。覚えているか? アルパネイブルを」
「アルパネイブル……あ!」
リーゼロッテがこくりと頷く。
「そう。ウィザーディングコンテストで設問に出された薬草の名だ」
「たしか蛇の毒消しの効果があるって……!」
リーゼロッテの寮で三人で必死で探した、薬草について書かれた羊皮紙。
あれがアルパネイブルだ。
羊皮紙には、確かに蛇の毒に対する解毒作用と記されていた。
「ああ。今から特徴を説明するから、よく聞いてくれ」
◆
わたしはリーゼロッテに言われた、毒消しの薬草アルパネイブルを探して走り回っている。
「紫の茎に赤い花、紫の茎に赤い花……」
目に全神経を集中し、森の中を走る。
リーゼロッテは必ずあるはずだと言っていた。
アルパネイブルは、水辺に自生する薬草。
背の低い、赤い花をつける野草で、茎が紫色。
「おねがい、はやく、はやく……!」
わたしは全神経を集中して探しているつもりだった。
だが、どれだけ探しても見つからない。
赤い花の影も形も見あたらない。
目に入るのは、木の幹と、暗い緑色をした雑草ばかり。
目を凝らしながら、走る。
自分の心臓の音と、足音、息遣いがうるさい。
「うっ!」
周りにばかり気を取られ、足元の木の根につまづく。
頭から地面へ突っ込んでしまう。
勢いのついた身体はすぐにはとまらず、雑草の間をゴロゴロと転がる。
「つぅ……っ」
身体じゅう擦りむいて痛みに歯を食いしばる。
わたしは起き上がり、また走り出す。
もどかしさでおかしくなりそうだ。もっと目が良かったら。もっと速く走れたら。
「ミオン、とまれ」
にゃあ介が言う。
「あったの?」
「いや、一度深呼吸しろ」
「そんなことしてる場合じゃない。はやく見つけないと!」
焦りと不安で頭が一杯のわたしには、そんな余裕がない。
こうしている間にも、刻一刻とバシリスクの毒はセレーナを蝕んでいくと思うと、居ても立ってもいられなかった。
「深呼吸するニャ。緊張で視野が狭くなっている。こういう場合、リラックスするのが一番大事ニャ」
わたしは焦りながらも立ち止まる。
にゃあ介の言うとおり深呼吸しようとすると、自分の呼吸が浅くなっているのに気づく。
すー、はー、とゆっくり呼吸をする。確かに視界が広がっていくのを感じる。
「あっ!」
視界の端に、何かが映った気がした。
「あれ、今、何か……」
その方向を見ても、何もない。
「ミオン、目を閉じろ」
わたしは目を閉じる。
「深呼吸、深呼吸」
にゃあ介の声に合わせ、息をする。
すー、はー。
すー、はー。
それからゆっくり目を開ける。
「あそこ!」
そこにあった。今まで目に入らなかったのが不思議なくらい、はっきりと見えた。
紫の茎に赤い花。
セレーナを救う毒消しの薬草が。
◆
わたしがセレーナの元へ戻ると、リーゼロッテがセレーナの腕を紐で縛っていた。
セレーナの腕の紫色は、肩の近くまで広がっている。
リーゼロッテの傍らには白い皿が置かれている。
薬草をすりつぶすために、リーゼロッテが出したのだろう。
「リーゼロッテ、これで合ってる?」
わたしは上がった息を落ち着ける間もなく、とってきた野草を差しだし、リーゼロッテに訊ねる。
「おお、よく見つけたな」
「合ってるのね。よかった」
リーゼロッテはわたしから薬草を受け取ると、用意していた皿の上に載せ、石ですりつぶし始める。
「ミ……オ……」
遅延魔法の効いているセレーナの口が、ゆっくりと動く。
わたしはセレーナに話しかけて励ます。
「もうすぐだからね。すぐリーゼロッテがお薬作ってくれるから」
「あ……り……が……」
セレーナの顔は青い。
「できた。塗るぞ」
リーゼロッテが言う。
リーゼロッテは右手で、すりつぶした薬草を皿から取り、セレーナの腕にすり込むように塗っていく。
薬を塗ると、セレーナの傷からしゅわしゅわと泡が出てきた。
「う……」
セレーナが声を漏らす。
「痛む?」
セレーナの額には汗がにじんでいる。
どれくらい痛いのだろう。
……わたしのせいだ。わたしが調子に乗って、気を抜いたから。
下唇を噛んで、涙をこらえる。
セレーナの腕の紫色がうすくなりはじめる。
肩まで浸食されていた紫が、じわじわと小さくなっていき――
やがて完全に消えてしまった。
◆
「ふーっ」
ギルドへ向かう道の途中、腕をくるくる回しながら、セレーナは言う。
「もう大丈夫。ありがとう、二人とも」
「ごめんなさい!」
わたしは音がするくらい勢いよく頭を下げる。
「わたしが油断したせいで……」
「もう気にしないで」
セレーナはわたしの頭に軽く手をのせる。
「次から気をつければいいのよ。ね?」
「うう……ごめんなさい」
セレーナの優しい言葉に、おもわず涙がこぼれる。
「泣き虫ね、ミオンは」
「だって……」
そうこうしているうちに、ギルドへ到着する。
ギルドの両開きの扉を開けて、受付のカウンターへ向かう。
「『バシリスク』、取ってきました」
「えっ、本当にもう取ってきたんですか!?」
受付の男性が甲高い声で言う。
ざわつくギルド内。
わたしがバシリスクの紫色の魔石を渡すと、受付の男性はそれを確かめ、
「ほ、本物ですね……。そ、それでは、Cランク試験、合格です。おめでとうございます」
と、わたしたちにバッジを手渡す。
これがCランクのバッジか。
「あの、どうかされました?」
男性が訊ねる。隣を見ると、バッジを受け取ったセレーナがわき目もふらず手元に見入っている。
「どう? セレーナ」
じーっ、と新しいランクバッジを見ているセレーナ。
新しいバッジには、盾の前に交差する二本の剣が描かれている。
そして……
「うん」
コクリ、とうなずく。
セレーナは満面の笑みだ。
バッジのデザインセンスがお眼鏡にかなったらしい。
「Cランクバッジ、どうやら合格です。おめでとうございます」
わたしが言うと、受付の男性は不思議そうに首を傾げた。




