第百五十九話 談話室にて1
授業を終えたばかりの学校の校庭。
うっすら雪の覆う地面を小走りに走りながら、わたしは困り果てていた。
先生にこっぴどく叱られたのもこたえたが、問題はセレーナの方だった。
「本当にごめん。セレーナ」
はじめは何が起こったかわかっていない様子のセレーナだったが、授業後、わたしから詳しく話を聞くと、彼女はそれから一切口を訊いてくれなくなった(当然だが)。
「ねぇ、セレーナぁ。ごめんてばー」
「…………」
謝っても、セレーナはぷいと横を向いてしまう。
顔の方へ回り込んで、わたしは微笑んで見せる。
「えへっ?」
セレーナはまた別の方向へぷいと顔を向ける。
「ぷぺらっ」
わたしは渾身の変顔を決める。
セレーナはすたすたと歩いていく。
「うー……」
だめだー、全然許してくんない。
先に行ってしまうセレーナを、わたしは追いかけていく。
「もう、セレーナ。何でもいうこと訊くから許して!」
何度目かの謝罪のときにわたしがそう言うと、
「本当?」
ようやく口を開いてくれた。しかし、
「それなら……」
わたしはぎくり、と顔をこわばらせる。
な、何をさせる気なんだろう。
まさか、わたしにもあの煙を嗅げ、というんじゃ……。
寒空の中、素っ裸で駆け回る自分の姿を想像して、青くなる。
「な、なに?」
びくびくしながら訊ねると、セレーナはこう言った。
「ミオン、教えて頂戴。なぜ、あなたの中にはミルがいるの?」
「…………!」
「教えて。生まれつきそうなの? ネコ族だから? でもそんな話、聞いたことがないわ」
◆
寮の談話室には、わたしたち三人とにゃあ介だけがいる。
ぬいぐるみのにゃあ介は、テーブルの上にちょこん、と座り、ときおり前足で顔を洗ったり、後ろ足であごを掻いたりしている。
わたしたちは椅子に腰掛け、そんなにゃあ介を眺めていた。
「まだまだ寒いわね」
「ああ、はやく暖かくなるといいな」
「そうだね」
静かな夕だった。
暖炉の火がぱちぱちとはぜ、その音が逆に一層静けさを強調しているようだ。
「ミオン、話して」
セレーナが言った。
「……うん」
わたしはうなずくが、その後もにゃあ介を見ながらしばらく黙っている。
「話してくれミオン。私も知りたい」
セレーナとリーゼロッテの二人に促され、わたしは話し始めた。
「ある朝のことなんだけど」
わたしが話すのを、二人はじっと黙って聞いている。
「その日……わたしはいつもより少し遅く起きた。それ以外は何の変哲もないっていうか……うん、いつもと変わらない朝だったな」
わたしはゆっくり間を取って、話した。
自分に起きたことを思い出すためもあったが、じっくりと考えるためでもあった。
二人に全てを話すわけにはいかない。
「家から出ると、道の向こうににゃあ介がいた」
暑くもないのに、わたしはすこしだけ汗をかきはじめた。
あの日のことを思い返すと、今でも心音が高くなるのがわかる。
「わたしが呼んだら、にゃあ介は道の真ん中まで来て、仰向けになった」
一度深呼吸する。
無理やりにでもゆっくり息をしないと、呼吸が浅くなってしまう。
それからまた話し始める。
「道の向こうに目をやると、ものすごい速度でトラッ……」
「とらっ?」
「……とても巨大で、獰猛な魔物が走ってきたの」
二人は真剣な眼差しでうなずく。
「魔物はにゃあ介を踏みつぶそうとしてた。それで……」
「それで?」
「わたしは、魔物の前へ飛び出した」
息をのむ二人。
わたしは続けた。
「わたし、死んだと思った」
二人はじっとわたしを見つめ、話の続きを待っている。
「でもわたしは死んでなくて」
わたしは思い出す。
あのとき聞いた、神サマの声。
でもそのことは話さなかった。
「にゃあ介の姿がなかった」
そしてわたしは異世界に……この世界にとばされ、にゃあ介と合体して生まれ変わったのだ。
そのことも、話さなかった。
「気がついたら、頭の中でにゃあ介の声が聴こえるようになってた」
わたしの話が終わり、また談話室に静けさが満ちる。
暖炉の火が、すこし大きくはじけた。
「……不思議なこともあるものだな」
リーゼロッテが言う。
「ええ。とても不思議ね。奇跡みたいな話」
セレーナが、わたしとテーブルの上のにゃあ介を交互に見ながら、感慨深そうに言った。
「きっと神様が助けてくれたのね」




