第百四十八話 小さな炎
雪の白さは地球と変わらない。
しかし、遠くに見える巨大な輪を持つ惑星に降る雪は、やはり大きく違って見える。
寒さがいっそう募り、雪が深さを増してきていた。
そんな中、気のせいか、わたしには学内の生徒たちの表情が、どこか緊張感を持っているように感じられた。
あのおしゃべりなミムとマムでさえ、無口に羊皮紙へ向かって一生懸命ペンを走らせていた。
「最近みんな、なんかピリピリしてない?」
授業後、玄関ホールから見える中庭の雪を眺め、手に白い息を吐きかけながら、セレーナとリーゼロッテに訊ねる。
「そろそろだからな」
「もうそんな時期なのね」
「? なんのこと?」
「期末試験だよ」
「き、きまつしけん!」
そんな言葉、すっかり頭から抜け落ちていた。
だが異世界といえど、勉学の進み具合をはかるために定期テストはあるはずだった。
「落第するわけにはいかないから、皆必死だ」
「ら、らくだい……!」
わたしは青くなる。
「き、期末試験ってどんなの?」
「期末試験は、筆記試験と魔法の実技試験の二部構成だ」
リーゼロッテが答える。
「筆記と実技か……」
魔法の実技なら、多少は自信がある。しかし筆記となると……。
わたしは、入学試験で人生〈むにゃむにゃ〉回目の0点を華麗に叩き出したことを思い出す。
「決めた! これから毎日、図書室で勉強する。リーゼロッテ、教えて!」
わたしが頼み込むと、リーゼロッテはこう言った。
「……いいだろう。だが条件がある。筆記試験の対策を教える代わりに、実技試験の方を教えてくれ」
◆
「これが試験範囲だ」
リーゼロッテが、分厚い本を五冊、どん、と机に積み上げて言う。
室内とはいえ、図書室もけっこう寒い。
「これ全部?」
わたしは信じられない思いでその本の山を見上げる。
こんなの、とても覚えきれない……。
すると、リーゼロッテはこともなげに言った。
「これは魔法学総合。他の教科はまた別だ」
「うそでしょ?」
◆
ひとしきり図書室で勉強した後、実技の練習をするため、わたしたちはいつもの開けた平原へ移動していた。
向かう道中、わたしは言う。
「メリル草は下級回復薬の材料……っと。いやーリーゼロッテの説明はわかりやすい。おんなじ学年でよかったよ」
リーゼロッテはわたしとセレーナより数か月先に入学していたが、学年は同じだ。
わたしにとってはそれが幸いだった。
「わたしひとりであれだけの範囲を勉強してたら目も当てられないことに……わぁ!」
わたしたちの練習場は一面白く、見渡す限り雪で覆われていた。
「きれい」
すこし向こうに見える背の高い木々は、冬でもその赤い実をつけたまま、白銀の世界にアクセントを利かせている。
「それじゃあ……」
わたしはてってっと駆けていく。
平原のまだ人の踏み入れていない雪を、ざくざく踏んで進み、手ごろな木の幹を叩く。
「この木ね」
それからてってっ、と二人のところへ戻り、
「あの木めがけて、炎の魔法、放ってみて。セレーナ」
「やってみるわ」
セレーナは炎の魔法を唱えた。
◆
「やるねー! セレーナ」
焼け焦げた木を見つめながら、わたしは言う。
木の幹は、黒く煙を上げている。
「ミオンほどじゃないわ。あなただったら、これくらいの木、なぎ倒してるもの。本気出したら、この辺一帯焼け野原かも」
「えへへ……おだてても何もでないよ」
わたしは照れながら、
「もっと、魔力を両手に集めることを意識すると、いいかもしんない」
とアドバイスする。
「わかりました、先生」
セレーナはそう言ってニコッと笑う。
「次はリーゼロッテだね」
そういえばリーゼロッテの魔力をあんまり知らない。
わたしは言う。
「リーゼロッテ、やってみて」
リーゼロッテはためらっている。
「どしたの?」
「とりあえず、やってみるが……笑わないでくれ」
「え? どういうこと?」
わたしの質問には答えず、リーゼロッテは炎の魔法を唱えた。
「ファイア!」
「!」
そこで彼女がためらった理由がわかった。
リーゼロッテの炎は、とても小さかった。
◆
リーゼロッテの放った小さな小さな火の玉は、木の幹の、セレーナの作った焼け焦げの上に当たった。
小さくパチっと爆ぜる音がする。
なんと言ったものか、わたしが考えていると、
「やっぱり、弱いか?」
リーゼロッテが訊ねる。
「え、あの、うーん」
「いいんだ、わかっている。炎の魔法はからっきしだめでな。……才能がないんだ」
「リーゼロッテ……」
「気にするな。筆記試験で挽回するさ」
精一杯明るく言ったリーゼロッテの顔は、しかしわたしにはひどく沈んで見えた。
「一緒に魔力を練る練習しよう? そしたら威力が上がってくるかも」
「……私はいい。時間がもったいないだろ。自主練するからセレーナに教えてやってくれ」
セレーナとわたしは、顔を見合わせる。
セレーナの顔にも、憂いの表情が浮かんでいる。
リーゼロッテはわたしたちに背を向けて、ひとりで魔法の練習を始める。
「ファイア!」
見えないくらい小さな火の玉が遠方の木に飛んでいって、赤い木の実が落ちる。
「ファイア!」
やはり飛んでいくのは、弱々しく光る火……ぽとり、と落ちる木の実がいっそう寂しい。
リーゼロッテは首を振る。
「やはり駄目だな……」
わたしは胸がぎゅっと痛くなる。
リーゼロッテのことだから、自分が炎の魔法に向いていないことに、とっくに気づいていたに違いない。
きっと人知れず練習したことだろう。
努力家の彼女だ。毎晩毎晩、練習したかもしれない。書籍にもあたっただろう。
それなのに……。
わたしは、唇を噛んでその後ろ姿を見つめる。
うなだれるリーゼロッテと、地面に落ちた木の実……。
「えっ!?」
はっとして、叫ぶ。
「リーゼロッテ!」
「ん? ああすまない。未練がましいな。もうやめる」
「ちがう! そうじゃなくて……リーゼロッテ、もしかして、狙って撃ってるの?」
わたしはリーゼロッテの撃ち落とした木の実の方を指さす。
「え? そりゃあ……」
わたしの言っている意味が分からず、困惑するリーゼロッテ。
「すごいよ! リーゼロッテ!」
わたしは本気で驚きの声を上げる。
「この距離から、木の実を狙い撃つなんて、誰にもできない! ねえセレーナ」
「リーゼロッテ、あなた、魔力のコントロールがずば抜けているわ。常人には到底不可能な芸当よ」
「ほ、本当か? ミオンにもできないのか? セレーナにも?」
信じられないといった様子で、リーゼロッテは訊き返す。
「弓の照準を合わせる練習と関係しているのかしら……とにかくすごいわ、リーゼロッテ」
「ほんとだよ。リーゼロッテ、すごいすごい!」
わたしはリーゼロッテの両手をつかんで、ぶんぶんと振る。
「…………」
リーゼロッテはしばらく呆然としていたが、
「ははは。そうか、コントロールか」
リーゼロッテが笑うと、その顔に雪のように白い歯がこぼれた。




