第百四十五話 ヒネックの怪我
「ヒネック先生ケガしてる……!」
ヒネック先生は、怪我の理由を説明しなかった。
黒魔術の時間になっても、みんなの好奇の視線を無視して、淡々と授業を進めた。
「どうしたんだろう」
だが誰に聞いてもその理由はわからなかった。
昼食のときにわたしたちは話し合った。
「やっぱり、旧極魔法の復活に挑戦したのかしら」
「だとしたら、旧極魔法の契約ってずいぶん危険が伴うんだね」
わたしは、スプーンを口へ運ぶ。
今日の昼食は、わたしの知らない魚のムニエルと、グリーンスッシュという豆のスープだった。
「このスープ美味しいね。それからこの魚は……?」
「マケレイクトスという近海でよく獲れる魚だが……まさか食べたことないのか」
わたしは慌てて、
「知ってる知ってる。マカレ……マケレ……あれね。うん。あれ」
ふがふが言いながらごまかす。
「それで……」
リーゼロッテが、疑問を口にする。
「うまくいったのかな?」
「え? どれ?」
「契約だよ、魔法契約。成功したのだろうか?」
「うん、そうだ。それが問題だね」
わたしはそう答える。
ヒネック先生に訊ねても教えてくれるとは思えない。
休暇の理由も秘密にしていたくらいだし、エスノザ先生の特別授業のことを知ったときの態度を考えても、聞き出すのはとても無理そうだ。
じゃあ、どうやって確かめたらいいだろう?
◆
(それでけっきょく、後をつけるわけかニャ)
「しぃーっ。仕方ないでしょ、他に方法ないもん」
人差し指を口に当て、ひそひそ声で言う。
(心配しなくてもワガハイの声はミオン以外には聞こえんニャ)
わたしは放課後の校舎内で、ヒネック先生のことを探していた。
旧極魔法の契約が成功したのか否か、どうしても知りたかった。
「あっ、いた!」
わたしが廊下の角から顔を出すと、ヒネック先生が杖をつきながら歩いていた。
カツ、カツ、というヒネック先生の杖の音が廊下に響く。
そのまま見ていると、ヒネック先生は一階の教室のひとつに入っていく。
わたしは足音がしないよう駆けていき、そっと窓から教室の中の様子をうかがう。
ヒネック先生は羊皮紙とにらめっこしながら何かぶつぶつ言っている。
扉に耳を当てると、一言だけ聞き取れた。
「次こそは……」
ん? 次こそは、って言った? ていうことは……
「やっぱり失敗したのかな」
わたしがつぶやいたとき。
「誰だ!?」
ヒネック先生が叫ぶ。
「やばっ、気づかれた」
わたしは慌てて走り出す。
(おい、ミオンそっちは……)
「逃げなきゃ!」
後をつけたり、教室を覗いてたなんてばれたら、まずい。
わたしは振り向かず、一目散に走る。
ヒネック先生は杖をつきながらなので、逃げ切れる……はずだった。
しかし、気が動転していたわたしは、階段方向ではなく廊下の行き止まり方向へと走っていた。
角を曲がって気づく。
「しまった、行き止まりだよぅ!」
(だから言ったのに……)
「どどど、どうしよう」
カッカッと先生の杖の音が近づいてくる。
(魔法でぶち壊すニャ)
「なるほど……ってそんなことできるわけないでしょ!」
◆
と、突然、壁が動いた。
「わ!?」
壁にぽっかりと穴が開いた。壁そっくりの扉だった。わたしは偶然、それを押し開いたのだ。
「わわわ」
中へ転がり込む。
わたしはいそいで内側から扉を閉める。
ずずず、と扉が閉まると、中は真っ暗になった。
暗闇の中、息を殺してそのまま待つ。
「うー、なんか知らないけど、助かった……」
ホッと胸をなでおろし、つぶやく。
「こんな仕掛けがあるなんて」
前からあったのだろうか? 今まで誰も気づかなかったのか?
生徒はたくさんいる。誰かが見つけてもおかしくないはずだった。
それとも、今まではロックでもしてあったのだろうか……。
「あそこ見て。階段だ」
目が暗闇に慣れてくると、少し先に下方向へ向かう階段があるのに気づく。
(危険ではニャいか?)
「学校の中だし……大丈夫でしょ」
(果たして学校の中と言えるのかニャ)
わたしは好奇心に勝てず、ゆっくりと階段を下りていく。
降りていくと、下が少しだけ明るく見えてくる。
どうやら、階段の下にはさらに通路が続いているようだ。
学校の下に、地下通路。
結構大きな通路だ。一体これは?
不思議に思いながら、階下に降りつく。
「あっ」
その通路の真ん中に、誰かが立っていた。
松明を片手に、こちらをじっと見ている人物。
それはわたしのよく知っている人だった。




