第百四十話 洗濯
「これは僕たちが使っている、簡単な筋力測定装置です」
ジェイクが三十センチ四方くらいの機器を取り出す。
「なんだこりゃ? 新しい農具か?」
機器を手渡された生徒たちが、不思議そうに持ち上げたり裏返したりしている。
「ここをぎゅっと握ってみてください。握る力の大きさを測ります」
「握力計ね」
わたしはつぶやく。
「へえ、すごい発明だな!」
「最新の機械を使ってるんだ! さすがイェルサの稲妻」
と周りから声が上がる。
ルーベンダイクが装置を指さし説明する。
「この針が色分けされた円を動く。力の小さい順に、青から黄、そして赤。最後は白」
「白まで行く人はいないと思いますが、とりあえずみんな測ってみましょう」
青だ、とか、黄色だ、とか一喜一憂する声が聞こえる中、わたしも列に並ぶ。
「うわー青だ」
「俺もだー」
嘆く生徒の横で、ケインが腕をぶるぶる震わせながら機器を握りしめている。
「はぁはぁ……どうだ、僕は黄色だぞ! みんな非力だな!」
誇らしげに言うケインの顔は真っ赤だ。
わたしはつぶやく。
「あんまり力を入れすぎるとまずいよね」
(いいんじゃニャいか? 赤とか白が出るだけだろう)
「うーん、それが恥ずかしいんだよね……」
なんて言っているうちに順番が回ってくる。
「さあ、思いっきり握って!」
ジェイクがそう励ます。わたしが器具を握ると、「ガシャン!」と変な音がした。
「あ、あれ」
測定器具からバネが飛び出す。
「こ、こわれてたのかしら。ホホホ……ごめんあそばせ?」
わたしは恥ずかしくて、変なテンションでごまかそうとする。
「へえ、あなた、すごいわね!」
ジュナが近寄ってきて、驚きの声を上げる。
「いえ、そんなこと……」
「謙遜しなくていい。人間離れした筋力の持ち主だよ!」
ジェイクが大きな声を出すので、
「しーっ!」
わたしは慌てて人差し指を口に当て、声を落とすよう懇願する。
「?」
(どうしたのだ、ミオン)
「怪力女なんて異名がついたら、どうするの!」
◆
翌日――。
「わぁ、遅刻だ!」
わたしは毛布をはねのけて飛び起きると叫んだ。
「にゃあ介、なんで起こしてくんないの!」
「ニャんだ? よく寝るのは良いことニャ」
「もう!」
着の身着のまま、わたしは扉へ向かって突進する。
慌てて部屋を飛び出し、そのまま数歩走ってから気がつく。
「あ、今日休みだった」
わたしは部屋へ戻りながら、こうつぶやく。
「なんかさ~、今、前の世界のこと、思い出したよ」
(ミオンは毎朝ぎりぎりまで寝ていたからニャ)
「うん。やっぱり、学校に行きたくないから、なかなか起きられなかったんだね」
そういえば、わたし、朝弱かったんだ。今になって思い出した。
「最近は魔法学校が楽しくて、ちゃんと毎日起きられてたのね」
授業が楽しい学校って、最高だなあ。そうしみじみと実感する。
「……さて! じゃあ今日はどうしよっかな」
◆
「にゃあ介のぬいぐるみ、けっこう汚れてきたなあ」
わたしはリモートゴーレム用のぬいぐるみを持ち上げて、じーっと眺める。
布製の体は、汚れてくすんできている。
とくに地面に接する下の方は、砂や泥で黒くなっていた。
「この身体では、舐めてきれいにすることができないからニャ」
ぬいぐるみのにゃあ介が言う。
わたしは窓から外を確認する。
「よし、晴れてる」
わたしはうなずくと、ぬいぐるみを抱えて部屋を出る。
「洗おうっと」
そのまま談話室へ行き、部屋の隅に丁度あったタライを借りる。
屋外へ出ると、空を見上げる。肌寒いけど雲の少ない、いい天気だ。
「さあ、じゃぶじゃぶちまちょうね~」
(ネコは基本的に水はきらいなんだがニャ)
「あんた今、ぬいぐるみに入ってないんだから、いいでしょ」
にゃあ介はわたしの中へ帰って来ていた。
わたしは周りに人がいないのを確認しながら、頭の中のにゃあ介と話す。
井戸へ行き、水をくむ。
透き通った水が、桶に入って上がってくる。それをタライへ移す。
「ひゃー、つめたい!」
水を張ったたらいにぬいぐるみを漬け、洗い始める。
「ねえにゃあ介、魔族なんてのがいるなんて、びっくりしたね」
(様々な種族がいるのが世界というものニャ。元の世界もそうだったではニャいか)
「そんなものなのかな……。そういえば、ネコ族っていうのもいるんだよね」
(そうらしいニャ)
「一度会ってみたいなー」
そんなことを言いながら、洗濯を続ける。
「むむむ……案外力入れないと、とれないね」
わたしは力を入れて、ぬいぐるみを揉む。
ぎゅっぎゅっ。
(ちと乱暴ではニャいか)
「あんたが汚すから、きれいにしてるんでしょ」
揉みこむと、汚れが少しずつ落ちていく。
わたしはさらに力を入れる。
ぎゅっぎゅっぎゅっ……。
(もうすこし優しく……)
「いいから! これくらいしないと落ちないの。……あっ」
(ニャんだ?)
「わあ、耳がとれた!」
ぽろり、とにゃあ介の右耳がタライの中に落ちる。
(ひどいニャ……)
「と、とにかく、乾かそう」
わたしはぬいぐるみ本体と右耳を、日当たりのよい石の上へ天日干しする。
「ふ~。少しはきれいになったかな?」
(耳がとれたニャ。動物虐待ニャ)
「今から縫ってあげるってば」
わたしは部屋に戻り、裁縫道具をとってくる。
針に糸を通して、ぬいぐるみを膝の上に置く。
耳を手にすると、綿を押し込む。
(大丈夫か?)
「大丈夫よ。任せて」
わたしは耳を本体に合わせてちくちく縫っていく。
「これくらい、かんたんかんたん」
(心配だニャ……)
「ほら、できた!」
わたしはぬいぐるみを持ち上げ、太陽にかざす。
うん、上出来……あれ?
「?」
(なんか変だニャ)
どうも見た目がおかしい。わたしはじいっと耳のところを眺めて……気づく。
「わあ、前後ろ間違えて縫っちゃった」
(…………)
「大丈夫大丈夫。リカバリー可能」
(おい、もうリーゼロッテに任せたほうが……)
「ここをこうして、こう……」
(餅は餅屋、病は医者、歌は公家、蛇の道は蛇と言ってだニャ……)
「ちょっと静かに!」
数十分後、わたしはリーゼロッテの寮にいた。
「な、なんだミルその姿は。どうしたのだ」
「ネコの耳に念仏、ブタに真珠ニャ。ワガハイの言うことを聞かないからニャ」
「うわーん、リーゼロッテ直して~」
ブタみたいになってしまったぬいぐるみを見せ、わたしはリーゼロッテに泣きついた。




