第百二十六話 加速魔法
「まことに魔法契約が成就したのならば」
司祭が言った。
「われわれにも加速魔法を行使できるはず。試してみようではありませんか」
「おおっ」
と修道士たちから声があがる。
「試してみましょう」
「早速に!」
もう、修道士たちはわたしのことなんか忘れて、新しい魔法の方に夢中になっているようだった。
教会内が、加速魔法を唱える声で一気に騒がしくなる。
「神と精霊の御名において……」
「み恵みあふるる力を今ここに」
「わが身を加速させ給え」
リーゼロッテがとなりでぽつりと言う。
「みだりに唱えない方がいいと思うがな……」
「なんで?」
わたしが訊くと、
「忘れたのか? 時の魔法は非常に消耗の激しい魔法だ」
「そうか」
修道士たちに忠告しようかと思ったが、やめておいた。
言っても、どうせわたしの言葉なんかに耳をかさないだろう。
「加速魔法、スピード!」
「スピード!」
「スピードったらスピード!」
しかし、しばらく彼らを見守り続けても、魔力の消耗どころか、何の変化も起こった様子はなかった。
「なぜだ?」
「なぜ、魔法が使えない? 精霊は確かに……」
修道士たちは興奮し、大きな身振り手振りで唾を飛ばしてもめている。
わたしはリーゼロッテに訊いた。
「どういうこと?」
「おそらく、魔力が低すぎて、発動すらしないのだろう」
「ふーん」
修道士たちは、しまいに、とうとうこんなことを言い出した。
「おかしい!」
「だまされたのではないか」
「そうだ、われわれはだまされたのだ!」
魔法が使えないことに腹を立て、精霊を嘘つき呼ばわりしはじめる始末。
拳を振り上げて、そうだそうだと口々に叫ぶ。そして、
「やはり、あんな小娘ごときに時の魔法が契約できるはずはないと思ったのだ!」
「そうとも。私もおかしいと思った」
「小娘が相手だからと、精霊にみくびられたのだ!」
わたしにまでとばっちりがきた。
「ミオン、使ってみろ」
リーゼロッテが前を向いたまま言う。
「え、でも……」
横目でちらりとリーゼロッテを見る。リーゼロッテは何だか怒ってるみたい。
セレーナまで、
「やっちゃって、ミオン。見せつけてやって」
じっと修道士たちの混乱を見つめながら言う。
「…………」
やるしかないか。
わたしは大きく息を吸い込むと、とっておきのセリフを使うことにした。
「見よ汝のいぶきの雷光、我に時満ち足りき……」
目を閉じ、唱える。
「加速魔法<スピード>」
あれ、音。音、なんか変じゃない?
音が消えた。
一瞬そう思った。
急に標高の高い場所に行ったときになるような、あんな感覚。
しかし、そのほかに身体に変化が感じられない。
「失敗かな?」
だが、周囲の様子を観察して、異変に気づいた。
両隣でわたしを見守っているセレーナとリーゼロッテ、祭壇の前で必死でありとあらゆる他人の悪態をつく修道士たち――。
「あれ、みんなどうしたんだろう」
みんなの動きがなんだかおかしい。なんていうのかな……緩慢になっている?
それどころか、祭壇の上の燭台の炎。
炎の動きまでおかしい。ゆらゆら揺れる、その速度がどうみても……いつもよりゆるやかで遅い。
(どうやら成功したらしい)
にゃあ介の声。
「え?」
(ミオン。今、こちらの動きは加速している)
わたしはおどろいて、となりのセレーナを確認する。
セレーナの口が、ゆっくりと開いたり閉じたりする。
だけど何だか、水の中から響いてくるような音がして、うまく聞き取れない。
リーゼロッテの方を見ても同じだ。
教会内のみんなの、動きがまるでスローモーションみたい。
そのとき、拳を振り上げている一人の修道士の腕が、祭壇の上の燭台に当たるのが見えた。
燭台が傾き、そのまま倒れていく。
すごくゆっくりした動きなのに、誰も気づいていないみたい。
危ない。
このままだと、床に落ちちゃう。修道士の服に燃え移って、大変なことになるかも。
わたしは祭壇の方へ向かって足を踏み出した。
「うわ」
途端に、魔力が湯水のように吸い上げられるのを感じる。
「キツイな、これ」
ずっと、水の中みたいな音がしてる。
みんなの声、空気の流れ、それに雨音……なんだかわんわんと頭に響く。
燭台が倒れ、祭壇から落ちていく。
ああ、間に合わないかな。
しかし、落下はとてもゆっくりだ。
わたしは速度を上げ、走りはじめる。前方で戸惑っているリーズ・エアハルトを避けながら、急ぐ。
ああ、落ちちゃう落ちちゃう。
司祭の口が大きく開かれる。
どうやら、燭台の落ちるのに気がついたようだ。
でも、あの動きじゃ間に合わない。もう、燭台は床に着く寸前だ。
その先には、修道士の纏った布がある。
わたしはすべりこんで、手を伸ばす。
地面スレスレでそれを受け止める。
その刹那、水の中みたいだった音が、普通に聞こえるようになった。
どこかのコンサートホールの扉を開けたみたいに、わっと音が耳に流れ込んでくる。
周りを見ると、みんながいつもどおりの速さで動き出している。
時間の流れが元に戻ったのだ。
わたしはそっと、燭台を祭壇の上に戻す。
わあわあと叫んでいた修道士たちが一瞬で黙り、教会内はしんとなった。
修道士たちも、リーズ・エアハルトも、一様に、ぽかんと口を開けている。
「……い、いつの間にそこに?」
司祭が口を開く。ほかの修道士たちも、
「な、なんだ? なにをした?」
と、狼狽えた様子で問い質してくる。
「エヘヘ……」
また照れ笑いでごまかそうとするわたし。
そのとき急に、窓から差し込む光をつよく感じる。
とてもまぶしい。
そして――、
わたしは倒れた。




