第百二十五話 時の魔法契約
それは、人というより、植物に近い生き物だった。
年季を経た、樹木。
立派な盆栽や縄文杉みたいに、一見しただけで途方もない樹齢を重ねているのがわかる。
よく見ると、その幹に四ヶ所ほどくぼみがついている。それが、まるで目鼻口のようだ。
深淵をのぞき込んでいるようなその黒いくぼみは、人間を超越した何かを感じさせ――、思わず身震いする。
「我は――」
魔法陣から現れたその精霊は、低いかすれ声を発した。
「時魔法の守護者、加速魔法の担い手、ユグドラシル――」
教会内の空気が変わったみたいだった。
かすれてはいるが、重々しい声があたりに響き渡る。
修道士たちが畏怖のため息をのむ。
「一体なんの用だ……人間たちよ……」
遠くで雷鳴が轟く。薄暗い教会内に、精霊ユグドラシルの影がゆらめく。
司祭が、リーゼロッテを押しのけて前へ出た。
「こ、このたびは、お忙しい中を遠路はるばる……」
司祭が震えた声で挨拶を始めると、ユグドラシルの顔が歪む。
「なんだこの馬鹿は……。無駄口を叩かず要点を言え……」
司祭は焦って、早口で話す。
「あなたさまに、わたくしとの魔法契約を是非お願いしたく――」
「人間との契約は……解除したはず……」
ユグドラシルはその樹の幹のような身体をけだるそうに揺らす。
「再度契約を結んでは頂けないでしょうか」
司祭の顔に冷や汗が浮かんでいるのが、ここからでもわかる。
「契約を結んだところで、お前たちには使いこなせない。人間には余る業だ」
「わたくしは、毎日魔力を練り、神に祈りを捧げております。魔力にはいささか自信がございます」
司祭が胸を張り、そう自慢気に宣言すると、
「そんなカスみたいな魔力では、干からびて死ぬだけだ……」
精霊のくぼみから、風の吹き出る音がする。どうやら鼻を鳴らしたようだ。
一蹴された司祭は縮こまり、ウンとかエヘンとか咳をしてごまかしている。
「それでしたら!」
別の修道士が進み出る。
「こちらの少女をごらんください。彼女はリーズ・エアハルト。王都の誇る逸材。彼女は剣士ですが、きっと魔力の方も……」
修道士たちに押されるようにして、リーズが前へ歩み出る。
だがユグドラシルは彼女を一瞥し、
「小娘……おまえでは力不足だ……」
そして、
「用はそれだけか? 私は還る……」
そう言って、腕を組み、じろりと一同をにらみつける。
わたしは、気が気じゃない。
びびっちゃって、誰も何も言い出さない。
このままじゃ、本当に帰っちゃうよ。せっかく来てもらったのに!
「まって!」
思わず叫んだ。
「あの、わたし、いいですか?」
一気に視線がわたしに向かって注がれる。
そのほとんどが、苦々しげで、何をおまえごときが、とでも言いたげな視線……。
ユグドラシルも、呆れた様子でわたしを見たが――。
「ほう?」
と、目つきが変わる。
「こっちへこい」
わたしは、「ちょっとごめんなさい」と、修道士たちをかき分けて進む。
前へ出ると、ユグドラシルの視線が、真っ直ぐ突き刺さってくる。
後ろからも、冷たい視線が刺さってるのがわかる。
みんなの視線を一身に受け、わたしが下を向いてもじもじしていると、
「おもしろい」
ユグドラシルは言った。そしてびりびりと身体に響く重低音。
どうやら、精霊は笑っているらしかった。
「よし。これもまた一興。数百年ぶりにおぬしら人間と、再び契約を結ぶこととしよう!」
どよめく一同。
「加速魔法<スピード>」
それだけ言うと、ユグドラシルの周りに、風が巻き起こる。
魔法陣が輝き、ユグドラシルの身体が沈んでいく。
そして、精霊は魔法陣の中へ帰っていった。
雨はいつのまにか止んだ。
教会内がしんと静まる。
「……契約が結ばれたのか?」
誰かがそう発した。
堰を切るように、修道士たちは口々に喋りだす。
「信じられん」
「本当に、旧き魔法が復活したというのか?」
喧々囂々、唾を飛ばす修道士たち。
どよめきは収まらない。そして、
「あの小娘が?」
「一体、何者なんだ」
その場にいた全員が、またわたしの方をじろじろと見る。
リーズ・エアハルトの目にも、驚きの色が宿っている。
わたしは耐え切れず、
「てへっ?」
と、とにかく照れ笑いでその場をしのいだのだった――。




