第百三話 火事
「全員、校庭へ出なさい」
エオル先生は立ちあがってそう言うと、急いで教室を出て行った。
わたしは、セレーナと顔を見合わせる。セレーナの顔には不安そうな表情が浮かんでいる。きっとわたしもそうだ。
「行ってみよう」
教室を出て、声のした方へ向かう。階段のところまで走った。火の手は見えない。
窓から外へ目をやる。だが、とくに異変はない。
「どこかしら?」
(あっちニャ。焦げ臭い)
「セレーナ、こっちだって!」
にゃあ介の言葉に従って階段を降りる。
(右ニャ)
右に折れて、さらに走る。
「ああっ!」
それは、一階西の、廊下のつきあたりだった。
「大変!」
床から火柱が天井まで上がっていた。
炎は激しく両側の壁を舐め上げている。
「何してるんだ、きみたち、早く校庭へ行きなさい」
ショウグリフ先生がわたしたちに気づいてこちらを振り向く。禿げ上がった頭に汗をかいている。
「でも、火を消さないと!」
わたしは叫ぶ。その場に集まった何人かの生徒と先生は、火を見てパニックになっていた。慌ててしまって、右往左往するばかり。
「どうしよう……このままじゃ……」
わたしもパニックになりかけていた。
恐怖と焦りで心を焼かれ、哀れな夏の虫みたいに炎へ向かってふらふらと近づいて行きかねなかった。
「落ち着きなさい、みなさん」
うしろから現れたのは、校長先生だった。
校長先生は見た目は子供なのに、非常事態でも全く動じず、落ち着きはらっていた。
わたしは、はっと我に返る。騒いでいたみんなの動揺も静まる。先生は一言発しただけでみんなの心に貴重な一滴の水を注いだ。
わたしのガーナデューフ校長先生に対する尊敬の念はますます強まる。先生すごい。
「これから、みんなで消火します」
校長先生は言った。
「水の魔法を使える者は、バケツに水を満たす。魔法を使えない者は、バケツを隣の人へ渡す。やるのはこれだけぢゃ」
具体的な行動を指示するその一言で、みんなはさらに冷静さを取り戻した。
「よし、火を消そう!」
「バケツだ、急げ!」
生徒たちがバケツを取りに走る。
校内から校庭まで、ずらりと生徒の列ができる。
「いち、に、いち、にぢゃ」
校長先生がかけ声をかける。
「いち、に、いち、に」
わたしたちは、声をあわせて消火に取り組んだ。
バケツに水を満たし、それを隣の人に渡す。
「そらそら、いち、に、いち、に」
先生も、生徒たちも、一丸となって作業する。
バケツの水が、どんどん回る。
しかし、炎の勢いは収まらないようだった。わたしたちの頑張りをあざ笑うかのように、その勢力を増していた。
必死になってバケツを回していると、校長先生がわたしの元へやってきて言った。
「ミオン、きみはこっちへ」
「えっ、でも校長先生……」
「いいからおいで」
校長先生はわたしを火元の近くへ連れて行った。熱波が顔を焼く。
「あっつ……」
「さて、きみの力を見させてもらおうかな」
「え?」
「魔法ぢゃよ、ま・ほ・う!」
校長先生はにっこり笑って言った。
「水がめごと消しさるきみの魔力なら、あの業火もしょんぼりへこんで意気消沈、ぢゃ」
先生にそう言われて、炎の方へ向き直る。
「さあ、できるかな?」
「わたしが……」
強さを増す火。わたしは両手を差し伸ばして精神を集中する。
煙を吸わないように、できるかぎり細く息を吸い込んでから言った。
「じゃあ、いきます」
「ほっほっ、たのんだぞ」
「我求めん、汝ら猛き水よ、獣どもの牙を折り石を鑿て……イブルウォータ!」
飛沫をあげる水の本流が、燃え盛る炎へ向かってなだれこむ。
「ほほお! こりゃあすごい」
先生の感嘆の声に力を得て、わたしはさらに強く念じる。
「ええい!」
魔力を注ぎ込むと、水の量も増していく。
「おお!」
「いいぞ」
「その調子だ!」
周りのみんなからも応援の声が上がる。
わたしは左手で右手を掴み、上下左右に水をコントロールして火を狙っていった。
わたしの大好きな学校。みんなの学校を、焼かれてたまるか。
炎はやがて鎮火していった。
◆
一階の西側で上がった火の手は、校舎の一部を滅茶苦茶にしてしまった。
おそらくは、廊下を照らすためのロウソクの火が、絨毯に引火したのだろう、ということだった。
発見がもう少し遅れたら、取り返しのつかないことになっていた可能性もある。
全焼を免れる事ができたのをむしろ喜ぶべきかもしれない。
どちらにしろ、しばらく授業はできない、と判断して、校長先生は、しばらくの休校を宣言した。
「連休が終わったばかりですまんが、数週間の猶予をくれるかの」
校庭でその話を聞いたわたしは、がっくり肩を落とす。
またしばらく魔法の授業が受けられないの?
さすがにこれには落ち込んだ。
でも、火事じゃしょうがないよね。
なんとか気分を立て直そうとする。
「ねえ、復旧までのあいだ、どうしよう?」
わたしたち三人は校庭のベンチに腰掛け、黒く焼けた校舎の一角をぼんやり眺めていた。
「うーん……」
「そうね……」
二人とも名案はなさそうだ。
「わたしね、考えがあるんだけど」
と切り出す。
「なんだ?」
「考えって?」
「ユナユナ先生に訊いたんだけど……」
わたしは時魔法の実践授業を思い出す。あの授業のあと、ユナユナ先生に質問したのだった。
「加速魔法の契約には、特別な条件が必要なんだって」
「加速魔法……」
「あの、失われたという時の魔法のひとつね。契約に条件があるの?」
「うん。リーゼロッテ、わかる?」
「聞いたことはあるが……その詳しい条件についてはわからない。文献が少ないんだ」
「やっぱり。リーゼロッテでも知らないんだ。ユナユナ先生によると、グランパレスの、王立図書館に文献があるらしいの」
「ふむ。すると、ミオンは……グランパレスに行きたいというのだな」
「……だめかな?」
わたしが訊くと、セレーナがぽつりと口を開いた。
「グランパレスには、ヴィクトリアス家の別邸があるわ」
「えっ。セレーナ、別邸持ってるの!?」
わたしは驚きと期待で目を見開く。
「私じゃなくて、ヴィクトリアス家の、ね。どうかしら?」
「行く行く! 別邸へ遊びに……じゃなくて、加速魔法の調査をしに!」
「王立図書館か……面白そうだな」
リーゼロッテも言う。
セレーナはわたしたちの言葉に頷くと、こう答えた。
「じゃあ、決まりね。今日これから準備をして、明日の朝、出発しましょう」




